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「紙の匂い」 | 第二小説集『紙の匂い』

紙の匂いworks

紙の匂い 4

 昭和四十七年十月、沖津は、同じ県内で和紙を漉き続けている、東蒲原郡上川村を訪問した。「小出和紙」の名で、まだ四十代のT氏が、熱心に紙漉きをやっていて、その名が知られていた。それにしてもこの小出と大国とは、広い新潟県の端と端のような位置にあり、大国からバスと汽車を乗りついで、東蒲原郡の津川駅頭に降りたったのは、三時をすぎていた。県内の和紙の産地は、東南部山麓地帯の県境附近に点在していた。小出もまた一つ山をこえれば、もう福島県である。和紙の産地は、山ひだのはざまに隠れるかのように、何箇所かの小さな点としで存在していた。それらの点は、他との交流もなく、ひっそりとそこで衰え、そして消えていった。
 津川駅頭の改札口に、それこそ小出和紙に書かれたであろう、「大国町、沖津さん」という和紙を掲げている男の人がいた。沖津が前もって電話していたので、小出紙のT氏が迎えに出てくれていたのだった。小出は、会津街道をさかのぼり、右におれて川ぞいにすすんで、上川村の中心部から東側の山麓にある村であった。
「ほんとうによくきてくださいました。大国紙のことは、人からよく聞かされていたので、ぜひ関係者と話してみたいと思っていたところですよ。何分、こんな場所に住み、家業に追われていると、なかなか動くことができないで、あなたのような人がやってきてくれると大へんうれしいですよ」
 T氏は、顔いっぱいに笑みを浮かべて、歓迎の表情を示した。沖津は、これを見ただけでやってきてよかったと思った。小出と大国、今まで山麓の小さな点と点に過ぎなかった二つの地が、今細くはあるが、点と点とが一本の線で結ばれたのだと思った。T氏の大きな茅葺屋根が見えるようになるまで、何年か前からの知己のように、T氏は夢中で話し続けた。
「私らの村も、紙を漉く家は、今は、私のところだけになって、すっかりさびしくなりましたよ」
 そういいながら、T氏は、家の脇の物置を改造した紙漉き場に案内してくれた。そこには「T和紙工房」と書かれた看板が掲げられており、中は、広々として、中央に大きなフネがおかれていた。打解機やら、乾燥機やら沖津の知らない大がかりな紙抄造装置もあった。桁もまた、幾種類もあり、これを使って名刺やはがき、便箋といったものまで漉きあげるという。大きくとられた窓ガラスから、外の明るい日ざしがさしこみ、あの橋本家の狭く薄暗い紙漉き場とはまるで違った余裕と明るさがあった。橋本家の紙漉きが、農家の副業としかに過ぎないのに、T氏のそれは、「工房」ということばが示すように、工芸品の製造であった。
 紙漉き場を案内してもらったあと、沖津はもってきた橋本家の和紙をT氏に見せた。T氏は、それを手にして驚いたような表情を見せていった。
「ほう、大国では、まだこんな紙を漉いているところがあるんですか。こんな紙は、全国どこでも漉いていませんよ。おそらく、昔からの方法をじっと守って漉いているのですね。稀少価値は十分あります。もっといろいろな販路を開拓してみたらどうですか。いい値段がつきますよ。……それにしても、こういう紙は、私ら子どものころ父親が漉いているのを見たことはありますが、今から五十年も前のことになりますね。珍しい紙です」
「新しい販路の開拓といってもどうしたらよいのか、量も少ないし、なにより売れるんでしょうか。そういう方面のことは、まるっきり知らないものですから」
「私の知っている京都の紙問屋を紹介してやりましょう。そのほか、民芸品のコンクールなどに出品してみたらどうでしょう。そういう受賞作品というと、また値段が違いますよ」
 大国和紙の販路は、障子紙はもちろん、大福帳、傘紙、桐油紙(桐油の紙でつくった合羽)、凧紙と用途も広かったが、生活様式の変化に伴って、用途も縮小されていった。障子紙さえ、大国和紙の三分の一の値段で、模様まではいった機械和紙が出まわっていて、現在の大国和紙の中心は、三条で使う凧合戦用の凧紙であった。その強さといい、川に落ちた時、水に溶けて川を汚さないことといい、凧紙には、喜ばれていた。この販路が、もっと拡大され、いい値で売れるようになれば、大国和紙の経済的な自立にもつながり、その技術を継ごうとする後継者もあらわれてくるであろう。T氏訪問の目的の一つも、それであった。
「今は、手作りの味が喜ばれる時代となり、民芸品ブームがおこっています。大国和紙の発展も、ちょうど時期に恵まれているんですよ。それに、これからの和紙造りは孤立してはいけません。全国には、同じような和紙づくりに励みながら、販路や後継者の点において、同じような悩みをたくさんかかえているのです。こういう人たちで、全国手漉和紙同業者連合会というものをつくっており、毎年大会を開いております。ここには、大国紙の人たちは出たことがありませんが、ことしはぜひ出てもらえませんか」
 T氏は、こうした和紙業者の話題や、和紙の需要についての沖津の知らなかった情報を、次々と沖津に話してくれた。埼玉県小川町にある製紙工業試験場の話を教えてくれた。ぜひ小川町を訪問してみるように勧められた。日本ではじめて、手漉和紙の技術保持者として、国の重要無形文化財の指定を受けた越前奉書紙の岩野市兵衛氏や、雁皮紙の安部栄四郎氏の話などもしてくれた。次から次へと紙に関する話は尽きることがなかった。同じ紙漉きをやりながら、橋本家の人たちとこのT氏とは、まるで別な仕事をやる人のようにさえ見えた。今まで、橋本家の狭い紙漉き場しか知らなかった沖津は、T氏の話を聞きながら、和紙抄造の新しい世界に導かれる思いであった。
 このあと、T氏は、わざわざ土佐からとりよせた三椏の畑を案内してくれたり、くるみやハマナスを使った草木染めについて説明してくれたりした。T氏と話しながら、沖津はいつのまにか時間のすぎるのを忘れていた。
 帰りの汽車の中でも、いつまでも快い興奮が沖津を包んでいた0大国和紙を守ることに自分の生涯をかけてもいい仕事があると思った。明日は、さっそく、きょうのことを橋本家に報告しなければならない。

 
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