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「紙の匂い」 | 第二小説集『紙の匂い』

紙の匂いworks

紙の匂い 7

 沖津はそのころ、紙を漉く青年K君に会った。K君は、大国町と低い丘陵を隔てたT町に住み、若いながら紙漉きに意欲的にとりくんでいるというのである。このK君のことを聞いたとき、今まで捜し求めていた若い後継者にめぐりあえるのだという大きな期待をもってK君を訪ねた。
 K君の家の前には、人間の背の二倍もあるような楮の束が、山のように積まれてあった。K君の曽祖父からはじめて、K君まで続く四代の紙漉きだという。
「おれなんか、とても都会で暮らせないと思ったから、ここでおやじのあとを継いで、紙漉きをやってみようと思いまして」
 まだ地元の定時制高校三年というK君は、こう話をはじめた。
「だいたい都会は人の動きがせわしすぎて、どうも落ち着かないんで。おれの家が、せっかく代々の紙漉きだったんだから、これをもっと大規模にやってみようという気になって」
「そりゃ、いいことですね。今の時世は、和紙を伸ばすには、条件がよくなっています。君の計画は、きっと成功すると思います。私も君のような若い後継者にめぐりあえて喜んでいるんです」
 沖津は、K君の自信にみちた顔を見るにつけても、橋本家のことを考えていた。あの橋本家でリタでも倒れたら、あとだれがその技術を受け継いでゆくであろう。トミの夫五郎は紙漉きをやる気など毛頭ないらしい。トミの長男はまだ小学生でしかなかった。K君の家では、来年から出稼ぎに出ていたK君の父も、冬は紙漉きに専念するという。うらやましい話であった。この家で漉く紙は、大国和紙よりも厚く、判も大きい伊沢紙とよばれていた。伊沢紙は、新見川の上流の丘陵地一帯に漉かれていた紙で、K君の家も、この流れをくんでいるらしかった。大国紙が小さい三条凧紙になればそれより厚いこの紙は白根の大凧に使われた。
「話にきけば、埼玉県の小川町というところでは、大規模の和紙業者が何軒もあり、そこには、県立の製紙工業試験場まであるという話だそうです。私も、ぜひここにいって、本格的な和紙の勉強にとりかかりたいと思っているんですが、よかったらいっしょに行きませんか」
 沖津は、このK君といっしょに、あのT氏から聞いた小川町を訪ねてみたいと思っていた。この若い紙漉きに、大きな刺激を与えるであろうことは、十分予想された。沖津は、今、そういう同じ仲間を作りたいと思っていたところだった。この話にK君も目を輝かせてのり出して来た。
「それはいいですね、おれひとりだととてもそんなところに出かけられないんですが、ちょうどいい機会で、ぜひ勉強させて下さい」
「私も、実際に紙を漉いたこともないし、人の話を聞いただけで、はたして小川町が君の満足するところかどうかわからないんだけれど、決して無駄ではないと思って」
こうして沖津は、このK君と二人で小川町へゆく相談を決めた。それは、沖津がこの大国和紙とかかわってからはじめての県外旅行であった。それを決めたあと、沖津は、久しぶりにうきうきした気持ちであった。大国和紙の将来にも、明るい光を持ちこめるかも知れないという気がした。

 
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