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「川の季節」 | 第二小説集『紙の匂い』

川の季節works

川の季節 1

 岩室温泉に向かう車の中では、もうカンビールのせんがぬかれた。二台の乗用車に分乗した五人は栗ノ木沢部落に残った中学の同級生であった。この五人の一人、紘一は、この旅行に初めて加わった。二年に一度ずつのこの旅行もすでに三度目であった。紘一は、長く家をあけていたので、今までの旅行には行けなかった。
「紘一のとこは、こんどずっと家にはいってもらえるんだろう」
 俊夫が聞いた。
「うん、まあなんとか、家にいられるだろう」
「それはいい、同級生がまたひとり増えてうれしい」
 ハンドルをにぎっている克志がいった。
 突然、後の車のクラクションが激しく鳴った。
「なんだろう、こんなときに」
 乗っている三人がぶつぶついいながら車をとめて後を見ると、正夫が赤い顔をしておりて、ズボンのチャックに手をやると、前の小川にむけて放尿した。
「もうだいぶまわっているな」
「今夜の酒は、少し節約できるかな」
 俊夫と克志がいいあっていた。
「いやいや、呼び水がはいったから、あとは底なしだぞ」
と俊夫はていねいに念をおした。車は、この短いトイレ休憩をすると、またのろのろと走り出した。こんなふうに同じ車に、村の同級生がのるのは、紘一ははじめてであったし、今夜の宿にしてからが、温泉に一泊するのもむろんはじめてであった。
「そういえば、こんなふうにして、同級生が同じ宿へ泊るのは初めてだろうか」
 紘一がいった。
「いや、いや、中学の修学旅行があったぜ」
「そうか、あの時以来だな、あの時は、往復とも夜行だったな。はじめて東京へいったんだった。
あのときから二十年ぶりというわけだな」
 紘一が二十年ぶりだなといったのは、卒業以来ずっと村を離れていたからだ。今日は、その部落の同級生に対して、新しい仲間に加えてもらうためのあいさつもかねていた。運転のしかたも、酒ののみっぷりもすべて珍しかった。名前も、二十年前のような名前のよびすてである。
 宿についたのは、まだ五時すぎたばかりだった。めいめいゆかたに着がえて、温泉に浸った。三十七歳のぜい肉が腹のまわりにはりついた体を湯の中にうめながら、子供の話や仕事の話になった。紘一は、中学の教員をやり、俊夫と克志は、大型トラックの運転手であり、正夫は衣料店をやり、弘は木材店のあとをついだ。また共通していることは、それぞれの職業の他に、親の代からの田んぼも耕していたことだ。  宴会が始まってからも、車の中の酒の下地があるので、五人は、たちまち酔ってしまった。いつのまにか、ろれつの回らぬことばが出、酒くさい息を吐いて、会話というよりもつぶやきのようなことばを発しながら、お互いが気持ちよく酔った。
 歌も出たが、いつのまにか話にもどっていった。五人の同級生に共通しているのは、二十年前の小中学校のころしかなかった。話はいつも、最後にはそこにもどっていった。
「あの時のT先生は、いまごろどうしているだろう」
「もう中学の時以来会っていないなあ」
 だれかがいった。十一人いた村の同級生も、卒業後、家ごと部落をはなれて、もう連絡のとだえてしまった人もいた。十一人の心をつなぎとめるものは、今なにも残っていない。小学校、中学校、ともに統合になり、学校もなくなってしまった。酒がはいると、しきりにみんなはそれをさびしがった。ここで飲む酒は、体のすみずみまで沁みこんでゆくような気がした。ここでは何でもいえる。
お互いの家も、小さいころのことも、みんな知り尽くしていた。
「保が川で死んだとき、おれたちは、みんなそこにいた」
 紘一が突然口を切った。
「その話はやめておこう」
 俊夫がさえぎった。
「もう二十年たってしまえばいいじゃないか」
「よくないよ、あの時、おれたちはみんなの心の中にしまっておくことを誓ったじゃないか」
 ちょっとした沈黙が流れた。
「お前は、あのとき何をしていた」
 克志が紘一にむかっていった。
「今でこそ、先生面なんかしているが、あの時、お前は、おっかながってぶるぶるふるえてばかりいたじゃないか」
 克志がたたみこむようにいった。
「でも、あの時、おれたちは中学生としての責任をはたさなかった。これだけはたしかにいえる。
自分たちだけで、別の場所で泳いでいたから、保は川に流された」
「それはいうな。中学生だったおれたちにどれだけの責任があるというのだ」
 俊夫がいった。みんなは、いうな、いうなといいながら、この話の中にのめりこんでゆく。
「たしかにあの時、おれたちは小学生の面倒をみないで、自分勝手に泳いでいた。でも、それが、どうだというのだ。中学生にすぎないおれたちにみんな責任があったというのか。今では、小学生が泳ぐときは、必ず大人が監視したり、一緒に泳いでくれる。これは、大人の責任だ。あれからもう二十年たっている。もし、あのとき、おれたちに責任があったといっても、もうとっくに時効になっているだろう」
 俊夫がいうのももっともだ。それから五人はまたとめどもなく酒を飲んだ。

 
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