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「船頭亀吉」 | 第二小説集『紙の匂い』

船頭亀吉works

船頭亀吉 4

 大正十三年一月の寒い日だった。亀吉は、十九歳、この日は艫に近所の与之助をのせて櫂をもたせていた。与之助は、まだ亀吉より若く、船頭としても経験が浅かった。いわば船頭見習いというわけである。寒中ということで、川の水は少なく、河原にもまだ深い雪が山のように積っていた。新宮側から年のころ三十歳くらいの若い女を乗せた。亀吉はこの女を知らなかった。近くの部落に嫁にきた人だろうと思っていた。渡し船には、知らない人を乗せることはめったにないことだった。何の用があって船に乗るのか、亀吉は、気がかりだったが、若い女の相手が得意でないので、だまっていた。女は一言もしゃべらず、だまってフナバリに腰かけていた。船は川の真中にゆるゆるとすすみ、亀吉は、前を見たまま、艫にいる与之助に話しかけていた。後の方でポチャリと何か水におちるような音がした。亀吉はふりむいて、そこに女がいないのを見てどきりとした。客が川に落ちた。
「大へんだ。客が川におちた」
 与之助もびっくりして叫んだ。下流の方に黒い着物姿の女が流されてゆくのが見えた。亀吉は、すぐ大正九年におきた上流滝ノ渡しの事故のことを思い浮かべた。大正九年は、亀吉の家がやけた年だ。三月で川が増水していたとき、無理して船を出して大綱が切れて船が転覆して、船頭ふたりと客の三人が雪どけ水の渦巻く信濃川に投げだされ、船頭ひとりだけは泳いで岸にはいあがったが、四人が死亡する大きな事故であった。あの時は、この姿渡しも水死人を捜すことで大さわぎであった。客を安全に向う岸へ渡すことが、なによりも重い船頭の使命であった。あの事故は、亀吉にも大きなショックだった。あれ以来、亀吉の櫂のあて方にも慎重さが加わった。とにかく大へんなことになりそうだと亀吉は思った。船は、親線を通して滑車に結ばれている。まず親線の針金をほどいて船を自由にさせておいて、あとを追わねばならぬ。こういう時のために、亀吉は、親線をすぐはずせるようにゆるくゆわえておいた。かつてこの親線は、固く船にくくられていた。ある時、川の真中で滑車がはずれて船が動けなくなったことがあった。さいわい、その時客のもっていた斧で親線を切ってやっと動かすことができた。その時以来、親線をすぐはずせるようにしておき、船には必ず舵櫂と棹を積んでおいた。
 亀吉は震える手で親線をはずして、船を自由にすると、艫の方へまわって舵櫂をとった。早く流れてゆく女のところへ船をこぎよせねばならぬ。与之助はおろおろするだけで船につったったままである。川に流れた女の体はまだ浮いたままはるか下流を流れている。あと五百メートル下流には、川が断崖に激突して大きく渦巻く神明のマキという難所がある。ここに巻きこまれたら助からない。その間になんとか追いつかなければ。亀吉は必死に櫂を動かした。それでも、川の流れにまかせたままの女の体より、亀吉が必死に櫂でこぐ船の方がいくらか早いことはたしかだ。溺れた人を助けるときは髪の毛をつかめといわれていたのを思い出した。船がようやく女に近づくと、亀吉は与之助に手伝わせて髪の毛をつかんだ。とたんに女が亀吉の方をじろりとにらんで
「はなしてくれ。このまま死なせてくれ」
と二言いった。亀吉は、この時、女が身投げしたのだとわかった。亀吉も必死だ。着物をつかむ。水を吸った女の着物はひどく重かった。二人がかりでようやく船に運びあげた。とたんに船はぐるぐると旋回をはじめた。神明のマキにはいったのだ。
「与之、おまえ、この女をしっかりおさえでいろ」
 亀吉は艫にもどって、櫂をにぎった。神明のマキは、信濃川を往来する船の船頭たちがおそれている難所で、ここで数々の遭難があった。川船の船頭たちは、ここに水天宮をまつって安全を祈った。水が少ない時期なので、渦巻きは大きくなかったが、このマキをぬけ出るのは容易ではない。与之助はぶるぶる震えながら、女をしっかりおさえている。髪からも着物からもしずくがしたたりおち、女はすさまじい形相である。しかも
「おれなんか、いらん人間だすけ、放してくれ」
と叫んですごい力で与之助の腕をふり切ろうとする。与之助もびしょぬれになりながら、しっかり女をおさえつけている。ようやくのことでこのマキをぬけた。とにかく、女は助けたが、これからどうしたらよいだろう。両岸には、三メートルの積雪があって、船をつけたところで陸へあがることはできない。下流の城之古(たてのこし)渡しには、あと三キロもあり、その間に難所もある。なにより、この女が凍えてしまわないであろうか。女のむき出しの腕はもう紫色にかわっている。しかし、今、城之古(たてのこし)の渡しにこの船をつける以外は考えられない。
「与之助、城之古の渡しまでゆくぞ」
 亀吉はいった。
「えっ、城之古まで。ほんとにゆけるべか」
 さすがに、与之助はびっくりしたようにいう。亀吉にも自信があってのことではない。しかし、ここで与之助に不安の色を見せてはならないと思った。先輩の船頭としての威厳をつくらなければと亀吉は懸命にふるまった。女はもうさっきのような声をたてなくなった。寒さのために体が弱っているのだ。その女の顔色をみていると、どこか近くに船をつけなければならないと思った。そのあとの事は、また考えよう。それは、十九歳の船頭亀吉の考えるぎりぎりのことだった。しばらくゆくと、そこに羽根川という小さな川が信濃川に流れこんでいるところがあり、ちょうど浅瀬になっていた。
「与之助、ここに船をつけるぞ。女は大丈夫か」
 亀吉は、そう叫んでぐいぐいと櫂を漕いで一気に浅瀬に乗りあげた。船はたしかにとまった。しかし、水が流れている場所以外は堆い積雪である。ともかくも、亀吉は、女の着ている綿入れをぬがした。水を吸って重くなった綿入れの着物からしずくがたれている。この綿入れのおかげで水に沈まなかったのである。着物の下のじゅばんもぬがした。血の気のうせた青白い肌があらわになった。亀吉は、自分の着ているヤマヌノコをぬいで女に着せた。ヤマヌノコは、半袖の短い作業衣で船頭はいつも着ている。亀吉は、その上にそでなし状のブイトウをきているだけである。そのブイトウも女に着せた。与之助のヤマヌノコは水でぬれて役に立たなかった。一月の寒中に、亀吉のシャツ一枚のむき出しの腕は紫色に鳥肌だった。しかし、不思議と寒さを感じないのは、興奮しているせいだろう。とにかく、家の近くまでこの雪をふみわけて出なければならない。むろん、かんじきがあるわけではない。船の艫には、船頭が腰かけるタチバ板があった。この板を与之助にとらせて、これで与之助が雪をたたいて歩き出した。女はもう息もたえだえに、ぐったりして、血の気が失せている。女を死なせてはならぬ、亀吉は、女を背負ったまま、一歩一歩腰までうまる新雪の上を歩いた。三人とも雪だるまのようになった。
 この騒ぎは、そのころ村中に知れわたっていた。亀吉が、川流れの人を追って下流へ下ったというので、大さわぎとなった。消防団をはじめ大ぜいの村人が、かんじきや着がえをもって、川にそって歩き出した。亀吉たちが小黒沢部落の入口近くにたどりついたとき、かけつけた人たちが亀吉たちを見つけてやってきた。亀吉と与之助は、女を迎えの人たちに渡すと、急に寒さが身にしみてきた。与之助は、今までの緊張がゆるんで、人に支えられるようにしてやっとのこと歩くことができた。
 女は、この近くの村に嫁いできた人であった。体が弱くて寝たり起きたりという状態で自分がいると家人に迷惑をかけるばかりだと思って川にとびこんだのだという。家の人は、そんなこと少しも思っていないのに、自分ひとりで勝手に思いこんでいたらしい。女の病気が回復して、快気祝いのとき、亀吉と与之助は、この家に招待された。
「船頭さんのおかげで、うちの嫁も命拾いさせてもらいましてのう。ほんに、よく助けてくださいました。おかげで、今は元気になってよく働いてくれますて」
 この時、亀吉たちのところへ女は酒をはこんできて、深々と頭を下げた。あの時の女の叫び声などうそのようであった。あの時は夢中だったが、やはり助けてよかったと思った。その時、亀吉はいつになく酒がすすんですっかりいい気持ちになった。
 その年四月には、櫂をにぎっていた船頭与之助が櫂にはねられて、増水の川に転落して流されるというできごとがあった。この時も亀吉は必死で追いかけて、仮死状態の与之助を助けあげた。身を切るような雪どけ水で冷え切った与之助の体は、両側を腰巻だけの女の人が二人で肌を密着してあたためつづけた。雪の中の凍死寸前の人もこれは同じことで、急にあたためてはいけない。人肌で徐々にあたためるというのはこの種の体温回復の常識でもある。亀吉は、この他、上流の宮中から流木拾い中、転落して流れてきた人もこの渡し場で助けあげた。父国松も、川で遊泳中の子供を何人も助けた。水死人の捜索にも渡し船は使われた。渡し船は人を渡すだけが仕事ではなく、川でおこるさまざまな事故に必ずかかわりを持つこととなった。
 昭和五年、亀吉は、姿部落のオモダチ衆のひとり、太郎院の家に突然よばれた。
 「亀吉、実は、こんどの姿の渡しに橋をかける相談ができてるんだが。このあたりのオモダチ衆で出資して橋をつくろうと思うて」
 太郎院の旦那のきり出した話はこうであった。
「えっ、橋ですか、それはいいですのう。それでわしら船頭は仕事がなくなるわけですね」
「そのことで、何でも橋をかけるには、大へんな費用がいるわけで、しばらく橋の渡し賃を通る人からもらおうと思うて。船頭は、橋番として仕事をしでもらおうと思うて」
「はあ、それはありがとうございやす」
 亀吉は橋ができる話をまえから聞いていた。すでに大正十三年、十日町橋ができて、長く続いてきた孫左衛門渡しと城之古の渡しはさびれる一方で、近々廃止する話も聞いていた。長く続いた姿の渡しも、まもなく、孫左衛門や城之古の渡しと同じ運命をたどるであろう。これからいったい亀吉は、どう生きていったらよいのだろう。たしかに橋番として、生活するだけの金はもらえるであろう。しかし、それは、あくまでも船頭の技術を生かすところではなくなってしまう。櫂をにぎっている船頭亀吉は、だれにも負けない誇りがあった。しかし、橋のそばで通る人からいくらかの渡し賃をあつめる仕事はだれでもよかった。この険しい段丘に橋がかかることは人々にとって願ってもないことであった。亀吉は、川からあがった河童のようなしょげた気持ちだった。
 工事は、その年秋からはじまった。両岸にコンクリートの高い支柱ができあがった。むろん現在のような鉄筋コンクリートの橋ではなく、この支柱から二本の鋼鉄のワイヤーがつるされてこれで橋桁や橋板を支える釣橋であった。姿大橋は、翌昭和六年完成した。この橋の完成とともに、亀吉の青春はおわった。昭和二年には、すでに現在の飯山線が完成して、長岡と水沢とを結ぶ川下りの荷船も通わなくなっていたし、昭和五年には、国鉄信濃川発電所工事が着工された。それと前後して、上流には東京電力鹿渡発電所工事も始まった。この大川にダムを築いて、本流の流れをせきとめてしまうことなど、妻有にすむ人々には信じられないことであった。このダムの完成によって、信濃川の水は激減し、川底が露出した。船頭亀吉の青春が、姿大橋の完成によって失われたころ、妻有の川の時代はおわったのだ。橋番の仕事は、父国松にまかせ、亀吉は一反三畝の田を耕し、ひまをみて旦雇いの土方にゆく生活にかわった。

 
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