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「船頭亀吉」 | 第二小説集『紙の匂い』

船頭亀吉works

船頭亀吉 5

 亀吉も二十九歳になっていた。すでに他の人たちは世帯をもっていたのに、亀吉はまだ独身であった。船頭をやめた亀吉は、縁談がおこるたびに船頭であることをいやというほど知らされる結果になった。船頭というと他の人たちは一種違った差別意識をもって見ていた。どこの家でも船頭との縁談を嫌った。船頭のところへ嫁にやるなら親威づきあいをしないという人まであった。どうしてこんなに船頭が嫌われるのか、亀吉はわからなかった。船頭がいなかったら、この村の人たちはどんなに困ったであろう。百姓ならだれでもできる。しかし、船頭は、船頭でなければできないことであった。それは、医者や坊さんの仕事に似ていると思う。医者がいなければ病人がでた家ではどんなに困るであろう。死者がでたとき、坊さんがいなければどんなに困るであろう。これと同じように、船頭がいなかったら、向う岸に渡りたい人はどんなに困るであろう。船頭は、このあたりの村の人たちには、医者や坊さんと同じように、絶対必要な人であった。しかし、医者は人力車に乗り、坊さんは弟子を連れて歩く。医者は高い金をとっていい暮しをし、寺にはたくさんのお布施がはいる。しかし、船頭であった亀吉はどうだ。一回に二銭の渡し賃は、米二合分にしかあたらない。しかも、その渡し賃は遠くの村の人だけで、一日三十銭もらえばいい方である。近くの村からは、正月前にツナギ米といって、渡しを利用する回数によって一軒から米三升から五升くらいずつ集めてまわる。しかも、これを仲間の与之助と山分けする。ツナギ米を集めてまわると、中には
「ツナギもらいにきたてや」
と、まるで乞食に一鉢の米をめぐんでやるようなことをいう家もある。同じ村にとって必要な人でありながら、医者や坊さんどころか船頭は百姓よりも生活が苦しい。亀吉はここがどうしてもわからない。どうして船頭だけ蔑視されるのか。ある時、父国松に聞いたことがあった。
「おらも、そんなことは知らねえ。なんでも家の先祖は武士であったとか。どうして武士がこんなところへきて船頭になったのか、おらもきいてないが、なにかよくないことをして、きっとこんなところへやられたんじゃないかと思ったりしているんじゃ。船頭でもしていたら、きっとかたきにもあえると思って船頭になったともいっていた。そのころ、この姿の渡しは、このすぐ上の安養寺にあったそうだ。ここが、川が悪くなって、船がつけられなくなったんで、姿にうつってきたんだときいている。今さら、そんなこと聞いたってはじまらねえ。そういうものだとあきらめるより他はあるめえ」
 国松はこういった。それにしでも亀吉にはわからなかった。国松は、孫左衛門渡しの船頭の娘を嫁にもらった。亀吉の母トシがそうだった。亀吉は、城之古の渡しの船頭をしている家の親戚から嫁をもらった。亀吉の妻マスである。船頭は船頭どうしということばがある、いやなことばだ。世間の冷たい目につけられた傷をお互いなめあっている。船頭がなくなれば、あらゆるものが自然となくなってゆくだろう。亀吉の子供が成人になるころ船頭への蔑視はぬぐいさられているに違いない。この渡しに橋がかかった。亀吉は川からあがって百姓になった。それが子供のためにはよかったのだ。亀吉は、それに期待していた。

 
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