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「少年の革命」 | 第二小説集『紙の匂い』

少年の革命works

少年の革命 5

          (五)

 汽車が上野駅につくと、おれは、あらためて闘志のようなものが湧くのを感じた。これからは、ひとりで生きてゆくのだ。その生きるための闘いが、この時からはじまったのである。まず、駅の売店で、牛乳を一本胃の中に流しこんで、心を落ち着かせた。ここで、アルバイトニュースを買った。これは、家を出るとき、先輩から教えられていたことだった。

  土木労務者、年齢不問、住込可
  日給三千五百円、電話〇〇番

 多くの求人欄の中から、この仕事を見つけると、さっそく電話した。すぐ来てくれという。場所だけをしっかりきいて、再び電車にのった。どんなところでもよいと思った。とにかく、今夜寝るところさえあればよかった。その会社へつくと、おれは、名前と年齢、住所をいっただけで採用された。住所といっても、まだきまっていないことを話すと、それでもよかった。年齢は、十八歳といっておいた。おれは、体が大きい方だったから、そういっても、疑われなかった。
 宿舎は、プレハブ建ての二階だった。部屋の中は、タタミが敷いてあり、けっこうきれいなふとんを貸してくれた。部屋のすみにはこの部屋に泊っている人のものだろうか、洗濯物がぶらさがっていた。しかし、夜になっても、この八畳の部屋には、だれも来なかった。テレビやラジオといった音の出るものはなかった。きこえる音といえば、前の道を通る車の音と、同じ建物に泊っているらしい人の話し声だけだった。こんな見知らぬ部屋にポツンと置かれているだけで不安だった。だれでもいい、話す人がほしかった。これからいったいどんな生活がはじまるのだろう。どこか知らないところへつれていかれて、奴隷のようにこき使われるのではないだろうか。いや、そんなことはない。それなら、こんなところへ泊めるはずがない。こうなったら、もうなりゆきにまかすより仕方がないなと思った。着替えのないおれは、服とズボンを脱いで、そのままふとんの中にもぐりこむだけだった。しかし、その新しい土地でぐっすり眠るには、あまりにも家とは違いすぎた。壁にたてかけたギターもない。ボリュームいっぱいにあげて聴く、ステレオもない。あるのは、色あせた壁紙だけだった。
 翌日、他の部屋の人たちの話し声や、水を使う音に目がさめた。おそくなって眠ったらしい。外は明るかった。どこかの部屋でラジオ体操の音がきこえた。六時半らしい。タオルをさげて洗面所へゆくと、四十歳くらいのヒゲの濃い、日焼け顔のおじさんが顔をそっていた。
「おや、見なれない顔だな、新人かい」
 おれにいった。
「はい、よろしくお願いします」
と小さい声でいった。聞けば、この人も東北の方から働きにきているのだという。七時に朝飯になった。下の広い部屋で、みんなといっしょに食べるのだ。ドンブリ一杯の飯と菜っぱのはいったみそ汁、それにたくあんだけだった。こんなのは、とても食えないと思った。おれは、もともとこんな貧乏くさい飯がきらいだった。ほとんどはしをつけないでいると、そばのおじさんが
「おめえ、まだこの仕事新米だな、飯を食わないでいるとへたばるぞ。まずくてもむりやり腹につめこんでおいだ方がいい」
といってくれた。おれはしかし、黙っていた。そのまま、飯に手をつけようとしなかった。こんな飯、死んでも食ってやらないぞと思った。
 仕事は八時からはじまった。道の端を掘り割って、その中にガス管をうめる仕事だった。機械力のはいらない狭い露地は、もっぱら、ツルハシをふりあげての肉体労働であった。ツルハシで固いアスファルトをこわし、シャベルですくいあげる。重いツルハシをふりあげるとおれの体がふらついた。シャベルで、すくうにも、アスファルトの破片は、あまりに重すぎた。アスファルト道路の照り返しが熱風のように思えた。汗がどっと吹き出る。額の汗をにぎりこぶしでぬぐうと、ほこりをすった汗がべっとりと手の甲についた。
 十時に休憩。
「まあ、いっぷくせい。ほら」
 知らないおじさんが、おれにタバコを一本投げてよこした。知らない人の親切がうれしかった。中学のとき、いたずらして吸ったことはあったが、まだ慣れていなかった。咳こまないように、肺の中に煙を入れないで、すぐ口からはき出したが、はじめてタバコがうまいと思った。
 昼の時間がくると、おれはみんなから離れてラーメン屋へはいった。ラーメン屋にはいるために、トイレでジーパンにはきかえていった。おれは、貧乏人くささが嫌いだった。土方の貧乏人くさい弁当は嫌いであった。こんな仕事をしているが、人とは違うんだぞということを人に見せたかった。
 仕事は五時に終った。疲れ切った体は、どこを歩いているのか、ふわふわして、宙に浮いているような感じがした。宿舎に帰ると、おれは夕飯もたべず、そのままふとんの中にもぐりこんだ。風呂にもはいらなかった。だいたいこの宿舎には、風呂がなく、近くの銭湯にいかなければならなかったが、その場所もよく知らず、めんどくさかった。綿のように疲れ切った体は、めんどうなことをうけつけなかった。
 三日目になった。洗濯していないおれのシャツは、汗臭くて着る気がしなかったが、そうかといって着替えもなかった。吐き気のしそうな汗の臭いが、ふとんの中にもしみこんでいた。きたない足であがるので、そのふとんは泥色に変色した。汗と泥にまみれたおれの体を、自分ながら嫌悪するようになった。そうかといって、持って来た金も、あと残り少なくなった。
 三日目の仕事がおわると、突然おれは家へ帰ろうと思った。一方ではあんな決心をして出て来たのに、四日目で家へ帰るなんて、おめおめと帰れないと思った。しかし、帰らないではいられなかった。仕事が終ってから、親方に「金がねえから、今まで働いた分の金をくれ」といつた。親方はだまって、三日分一万円と少しの金を手渡してくれた。おれは、まず下着のシャツとパンツ、上へ着るジーンズの服とズボンを買った。着替えの終った泥まみれのシャツやパンツは、一つにまるめて、無造作にごみ箱に投げこんだ。風呂にはいらない首すじあたりは、こするとボロボロと垢がおちたが、それでも少しは、気分が落ち着いた。
 町へ帰ってきたのは、すっかり暗くなってからだった。家のあかりが見えてくると、おれは、泣きたくなるのをこらえていた。やっぱり家はいいなと思った。そっと戸をあけて、家の中をのぞくと、人の気配に気づいたのか
「イワオか! イワオじゃないか、お前帰ってきたのか」
 母がまず、大きな声をあげて出てきた。父も兄もやってきた。
「イワオ、よくかえってきたな。ずいぶん心配したぞ。いままでどこで働いていたんだ」
 父はいった。おれは、口数が少なかったが、ようやく、今までのことをポツリポツリ話した。久しぶりに、家の風呂桶の中にどっぷりと首までつかった。同級生たちのことが気になった。聞けば、きのう高校の入学試験が終ったという。もはや、おれは、彼らとは別の道を歩みはじめたのだと思った。必ず、偉くなって、彼らを見返してやるぞと思った。だれにも会いたくないと思った。風呂からあがったあとのおれは、いつものようによくしゃべり、みんなを笑わせた。ただ、おれは、このまま家にいるつもりはなかった。態勢をたてなおして、もう一度、東京へ向かうつもりだった。おれは、やはり、ここにいる人間じゃないと思った。仕事場からだまってぬけ出て来たのだし、すぐ帰らなければ、クビにされてしまうことだろう。おれは、そのことを恐れた。いつまでも、この安らかな家の空気を吸いつづけていたいと思う反面、こんなところへいられないという気持ちも強かった。
 翌日、家の人たちのひきとめるのもきかず、あわただしく東京へむけて発った。しかし、こんどは、あの逃げるようにして家を出たのとは違っていた。大きなリュックの中には、米を入れ、着替えも入れ、電気釜さえも入れて、パンパンにふくらんでいた。金も当座の生活には困らなかった。
こんどこそ、新しい生活の中に思い切って踏みこんでゆけそうな気がした。それは、東京という巨大な怪物に素手で立ち向い、一度退却して、態勢のたて直しをはかって、再び敢然とたち向ってゆくひとりの英雄に似ていた。
 飯場にもどると、親方がひどいけんまくで怒っていた。
「てめえ、いったい二日間どこへいっていたんだ。おかげで仕事のペースがめちゃめちゃだ。こんどこんなことしたら、クビだぞ」
「はい、どうもすいません」
 おれは、あやまるだけで、何もいわなかった。その日から、めちゃくちゃに仕事をやった。この仕事も慣れてくるとそんなに苦痛も感じなくなった。適当に体を休めることも知った。あいかわらず、まっ黒になって働きながら、心の中では、いつも「おれは貧乏人なんて嫌いだ。いつかきっと偉くなって、金持ちになってやるぞ」と考えていた。おれの毎日は、そのために生きることだったといってよい。

 
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