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「少年の革命」 | 第二小説集『紙の匂い』

少年の革命works

少年の革命 6

         (六)

 給料日と同時に、おれは土方をやめた。再びアルバイトニュースを買って、こんどはパン屋にゆくことにきめた。今までの土方仕事が、あまりにみじめに思えてきたからであった。次の日、面接に出かけてゆくと、ここもすぐ採用してくれた。部屋は、ビルの三階のけっこういい部屋で、水道まで引かれてあった。今までのプレハブ建の飯場暮しとは大きな違いだった。おれは、ここがすっかり気にいった。その日、おれは、家からもってきた釜で、はじめて飯を炊いた。米をといで、濁った水を換え、手を入れて、水の量をはかる。母が米をといでいた姿を思い出していた。電気のスイッチを入れてからも、何度もふたをとってみた。しばらくすると、ふたがカタカタ音をたてて、湯気が出てきた。カチッと自動スイッチが切れたが、ふたをあけるとまだ水が残っていた。上の方の水をすてて、飯を口に入れてみた。どの飯粒にもしんがあって、食べられたもんじゃなかった。あきらめて、飯は、台所の残飯入れの中に捨てた。
 その時、戸の外で
「ごはんになりましたよ」
という声がしたので、びっくりした。
「はいっ」
と思わず大きな声で返事をしてドアをあけた。
 そこに、おれとまだ年が違わない瞳のパッチリした女の人が立っていた。美しいというほどではないが、あどけない顔つきがおれの気をひいた。テーブルをかこんでいたのは、おれのほかに五人だった。その中で、おれが一番若かった。その次に、おれをよびにきた女の人だった。他の人はケイちゃんとよんでいた。ほんとうは、ケイ子というのだそうだ。おれとケイ子を除いては、あとは四十くらいのおばさんたちだった。
 食事の間は、おれのことが話題の中心だった。
「平田くんは、どこの生まれなの」
「新潟です」
「そう、じゃあのあたり雪がいっぱい降るでしょう。去年、スキーにいったわ」
「はい、ぼくの近くにもスキー場があるんです」
「そりゃいいね、こんど一度いってみたいな」
 みんなが、次々といろんな質問をおれにあびせた。おれは慣れてくると、時々新潟の方言を使って、みんなを笑わせた。こんなところなら、これからずっと働けるような気がした。ケイちゃんも、口数は少なかったが、いつもおれの方を見て小さく笑っていた。
 食事が終って、みんなが部屋にひきあげて、八時すぎたころ、おれの部屋がノックされた。
「イワオさん、テレビ見ない」
ケイちゃんが外に立っていた。
「テレビなんてあるんですか。豪華ですね」
といって、おれはケイちゃんの部屋に案内された。若い女の人の部屋なんてはじめてだった。ポータブルテレビがあったり、その上に一輪ざしが置いてあったり、傍に姫鏡台があったりする。彼女のつけているいろいろな形をした化粧品の容器が並んでいた。ケイちゃんは、おれのために、すみれの花をデザインしたかわいらしいコーヒーカップに、コーヒーを入れてくれた。彼女のつけている化粧品の匂いだろうか。部屋の中にかすかな香りがしていた。
「イワオさんて、あなた年はイクツ」
「十六です」
「そう。じゃわたしより二つ下というわけね」
 彼女は、ひとりごとのように小さくいった。
「じゃあ、ケイ子さん十八歳ですか」
「きこえた。わたしここで働いて三年目よ。あなたの先輩というわけね」
「先輩、よろしくお願いします」
 おれは、正座して、深々と頭をさげた。それは、ふざけていたのだ。
「あらたまって、そんなことして、おかしいわ。でも、かわいがってあげるわ」
といって、ケイちゃんは笑った。その時、小さなえくぼができてかわいく見えた。こんな話から、おれの緊張している心もいつのまにかほぐれでいった。それから、お互い、生まれた家のこと、小中学校の話など打明けあって、自分の部屋へもどったのは十二時すぎだった。
 次の朝、おれは、すっかりおそく起きた。それだけぐっすり眠れたのだ。あの飯場での第一夜とは、まるで比べものにならなかった。ケイちゃんも寝ぼうしたらしい。朝飯は、ケイちゃんと二人だけだった。 「イワオさん、早く早く」
 ケイちゃんは、自分でさっと、お茶づけをすませて、おれをせきたてた。そして、すばやくあとかたづけをして仕事場へいった。
 おれの仕事は、パンのはいった箱を自動車のところまで運びこむこと、パン粉でねったパンを釜のところまで運ぶ仕事が主だった。砂利やアスファルトの破片をシャベルですくっていたのに比べたら、まるで楽であった。それに、ケイちゃんとは、いつも近くで仕事していたので、わからないことはなんでも聞けた。部屋の中は、ガスバーナーを使っているので、汗が出るくらいだった。ケイちゃんは、人目をぬすんで、おれの額の汗をハンカチでふいてくれたりした。ハンカチには、かすかなオーデコロンがしみこませてあった。おれは、だまって笑って、頭をさげた。
 たいてい、夜はケイちゃんの部屋にテレビを見にいった。でも、テレビはつけたまま、彼女と話す方がおもしろかった。いつも十一時か十二時ころまで、とりとめのない話をして帰った。同じこたつにはいっていると、思いがけないときに、足の先がふれあうこともあった。そんなとき、おれは、ビクッとして足をそらせた。
 何日目だっただろうか。ケイちゃんは、おれのそばにきて、そっと手をさぐるのだった。ケイちゃんの化粧の匂いが鼻先をかすめ、おれの気持ちを高ぶらせた。彼女の胸のふくらみが、おれのすぐ目の前にあった。おれの心臓がドキドキと高鳴った。おれは、彼女のそばで
「おれ、ケイちゃんが好きなんだ」
といった。ケイちゃんは、小さい声で
「わたしも……」
と答えた。こんどは、思いきって
「キスしてもいい」
というと、彼女はだまってうなずいた。ケイちゃんは、たちあがって電気を消した。おれの欲望が、いなづまのように体をつらぬいた。頭の上では、ズキンズキンと脈打つ音がはっきりわかった。おれは、ケイちゃんを二つの腕で強く抱いて、接吻した。はじめてのことだった。女の唇のネトネトした甘い蜜のような感触が、おれを興奮させた。おれは、それ以上にすすもうとした。でも、なにも知らなかったのだ。なにもできないもどかしさのようなものを感じながら、二つの腕だけは力いっぱい彼女を抱いたままだった。彼女は
「あまり強くすると、いたいわ」
といった。おれは、びっくりしたように手を放した。つけ放しのテレビが低い声で話していた。おわったあとの妙なてれくささがあった。おれは「おやすみ」とあいさつして自分の部屋にもどった。
 それからのおれの一日は、ケイちゃんで始まり、ケイちゃんで終った。朝起きると彼女の顔を見にゆく。仕事中も彼女のことを考える。仕事がおわると、彼女の部屋にいってテレビを見る。自分の部屋に帰るときは、お休みなさいのキスをする。しかも、しだいにその回数も多くなった。おれたちは、でもそれ以上はすすまなかった。おれがまだ子供だったのだろう。おれの手が、彼女の下の方へのびようとすると、彼女は、やさしく拒むのだった。女の人が好きになるってことが、おれにはじめてわかった。熱病におかされたように、彼女の顔をいつも見ていないと落ち着かなかった。
 パン屋に勤めて、十日目の夕方だった。夕飯をおえて、ケイちゃんの部屋へゆくと、彼女は、服をきかえたり、ハンドバックになにかをつめたり、口紅をぬったりして外出するようなようすだった。
「どうしたの、そんなにあわてて」
 おれがきくと
「彼が外で待っているの。ついて来ないで」
といった。おれはびっくりした。そんな人のこと、一度もきいていなかったからだ。
「おれもいく」
といって、彼女の制止をふりきってあとを追った。
「たのむから、ついてこないで」
 彼女は何回もいったような気がした。でも、その時のおれには、そんなことは耳にはいらなかった。おれは、むりやりケイちゃんのあとについて外へ出た。外には、白いスポーツタイプの車がとまっていて、そばにブレザーを着た、サングラスの男の人が立っていた。彼女は、その男の人の方へゆくとき、おれの方をむいて、はっきりいった。
「あんたみたいな、中卒者なんて大きらい。学間もなくて、貧乏人で、田舎弁なんか大きらい」
 彼女は、白い車の中に消え、エンジンの轟音を響かせておれの前から去っていった。おれひとり、暗い闇の中にポツンと残された。おれは、中卒者なんだ、高校にも入られない貧乏人なんだ、別れぎわに彼女の残した激しい罵声が、頭の中でガンガン鳴っていた。おれは、自分の部屋にもどって、ふとんの中に顔をうめると、しばらく声をあげて泣いた。おれは、一途に彼女の好意を信じて来た。そのおれの存在は、彼女にとって何だったのか。それは、単なる遊びの相手でしかなかったのだ。中卒者とは、そんなに軽蔑されるような人たちなのか。自分から捨てた高校であった。おれは、その夜おそくなって、ケイちゃんに別れの手紙を書いた。もう彼女と顔をあわせるのもいやだった。その手紙を彼女の部屋に投げこんで、おれは荷物をもって出た。ゆくあてもない。外は、春先のあたたかい南風が吹いていた。その夜は、公園の固いベンチですごした。うとうとすることはあったが、眠れなかった。おれは、一生人に裏切られて生きなければならないのかと思った。いったい、これからどう生きていったらよいのだろう。

 
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