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「少年の革命」 | 第二小説集『紙の匂い』

少年の革命works

少年の革命 10

         (十)

 その日のデモはいつになく荒れそうな気配だった。おれは、ヘルメットをかぶり、竹の棒をもって、デモの先頭近くにいた。エミは後の方の列にはいっていた。デモの両側には、いかめしい機動隊が、デモ隊をはさみこむようなかたちで囲んでいた。仲間が、前をとりまいていた機動隊に、竹の棒や角材をむけてえいえいと力まかせに向かっていった。ジュラルミンのたてで、これを必死で防いでいた機動隊も、次第に興奮してきた。ガキッガキッと楯と角材のぶつかりあう音がした。
「バカヤロウ」
「テメエ、ソレデモ人間カ」
「キサマラ、一人残ラズ捕エテヤルゾ」
 罵声がとびかい、竹棒や警棒のうちあう音がはげしくなった。人と人とがいり乱れ、仲間たちは、次々とつかまった。興奮した感情と感情がはげしくぶつかりあった。つかまりそうになるとおれは必死に逃げた。あとから、機動隊のひとりに、足をとらえられた。その時、これでついにだめかと思った。しかし、必死に相手をけり、手くびにかぶりついて、ひるむすきに逃げた。ただこわかった。夢中で公園の方へ走った。走りながら、ふとエミはどうしたろうと思った。デモの中止指令が出ると、エミを捜したが見つからなかった。人にきいても知っているものはいなかった。もうアパートへ帰ったかも知れないと思った。へルメットをぬぐようにという指示があって、いよいよ解散だ。まわりをかこんだ機動隊にむかって
「でるから、そこどけー」
と叫ぶと、おれたちは走った。走りながら、ヘルメットをかぶり直して、一斉に地下鉄へ走った。集団無賃乗車。駅員もなにもいわない。電車からおりると、おれは、まっさきにエミのアパートへいった。でも、そこは、カギがかかっていて、靴もなかった。すぐ帰ってくるかも知れないと思って、待つことにした。カギを置いてあるところも知っていたし、エミの部屋にはいって電気こたつも入れた。勝手知ったエミの部屋だった。インスタントコーヒーのアゲビンの底にのこったのを、スプーンでかいて、コーヒーカップにあけた。なまぬるいポットのお湯を注いで、角砂糖をおとした。一杯のコーヒーをすすると、急に興奮のあとの脱力感におそわれた。心も体も疲れていた。いつのまにか眠ってしまったらしい。
 目がさめると、外は明るかった。とうとうエミは帰って来なかった。警察につかまったのだろうか。七時すぎ、エミの部屋を出て公衆電話で仲間のひとりに電話してみた。
「お前、知らなかったのか。エミはポリにつれていかれたよ。彼女も、少し要領の悪いところがあって、人がみんな逃げたのに、彼女だけ、おくれたのさ。自業自得というのかなあ」
 平気な声が電話口から聞こえた。彼らは、警察に捕まることをなんとも思っていないのか。それとも、エミに少しも同情していないのだろうか。大学生である彼らは、おれやエミを蔑視しているのではないのか。
「そいつは、知らなかったよ。いつ帰ってくるんだい」
「さあ、そんなことわからないなあ」
「いま、エミのところへいるんだけど」
「きっと、ポリがエミの部屋へ指紋とりにゆくよ。早く出たほうがいいよ」
「うん、わかった。ありがとう」
 おれは、そこで電話を切った。これからどうしたらよいのだろう。エミはいったい、いつ帰してもらえるのか。とにかく、この部屋を出なくちゃならない。ポリが来るというのに、こんなところで見つかったら大へんだ。おれは、あわてて、エミの部屋を出た。ちょうど入れかわりに、警察の車がとまった。今ごろエミの部屋のあらゆる場所が捜索されているはずだ。部屋中の持物や食器類の指紋がとられ、その指紋の中で、エミ以外にはおれの指紋が一番多く見つかるはずである。おれは、早足でアパートへもどった。どうしてよいのかわからなかった。エミがかわいそうだった。権力のきたなさへの怒りがあった。と同時におれも、いつかは警察へつかまる日が来ると思うとこわかった。差別反対のために戦っていながら、学生運動の中にも、中卒者への差別があるのだと思った。おれやエミは、その運動の中で孤立していたのだ。
 エミが、警察につかまってから、おれは、〇〇派の集会やデモから遠ざかった。おれはひとりで考えたかった。ほんとうの同志がほしかった。毎日、いろいろな本を読みあさった。エミがその後、どうしているかも知らない。おれは、アパートを何度もかえた。エミがおれを訪ねようとしても、おれの居場所は知られなかったはずだ。
 連続殺人事件――広域重要一〇八号事件―の犯人、永山則夫の手記を読んだのは、その時であった。六八年の秋、東京で、つづいて京都、函館、名古屋とピストルによる理由なき殺人事件が連続して発生し、当時、人々を姿なぎ連続殺人魔として震憾させた。警察庁では、広域重要一〇八号事件と指定する凶悪犯罪であった。
 六九年四月、この犯人が東京で逮捕され、各新聞は、このようすを一斉に大きく報道した。この犯人十九歳の永山則夫は、北海道網走で八人兄弟の七番目に生れた。父は、賭博癖が昂じて、行方不明となり、行路病者として死んだ。永山は、行商の母の手一つで多兄弟の中で育てられた。彼が五歳の年、生活に窮した母は、子供たち四人を、厳寒の網走に残して、郷土に帰り、残されたものたちは、一冬の間、食べ物もろくになく、生麹をかじるような飢餓状態の中に放置された。少年時代を青森で育ち、長屋生活、生活保護、新聞配達をくりかえし、姉は精神病を患った。この劣悪な環境の中で、長期欠席、家出をくり返し、成績はオール1。中卒と同時に東京へ集団就職、以後犯行までの三年間に、十数回の転職のほか、密航未遂、自殺未遂、米軍キャンプ侵入をくりかえした。永山が連続殺人を引きおこし、東京で逮捕された時、各新聞は「虚栄心の強い孤独な男」「職を転々外国へあこがれ」「家族に精神病者や犯罪者」「父は出稼ぎ中死に、母は魚の行商」「暗い家庭に育つ」と大きな見出しをつけて報道した。七一年六月の東京地裁で、検察側はこの永山に死刑を求刑した。
 永山は、獄中で手記を書き続け、マルクスを読み、キルケゴールを読み、『貧乏物語』を読み、しだいに自己変革をなしとげていった。彼の手記には「金の卵たる中卒者諸君に捧ぐ」という副題がはっきりついていた。

社会主義には貧乏人はいない
生活が苦しい時、皆一緒だ
政治が危うい時期 皆が耳を傾ける
誰一人その集団から逃げはしない

この日本も何時の日か、その日が来る
そして俺のような奴の出ない国に変わる
人たちよ!
俺の叫びを無駄にしないでくれ
俺は非人に落ちたが
あなたたちは未だ人間だ

俺の叫びを無駄にしないでくれ
それとも それとも
まだ出そうとするのか 第二の俺を
悲しいではないか 人たちよ!

社会主義には貧乏人はいない
在りもしない神を語る狂人もいない
在るのは、楽しき生活を守ろうとする
その燃える力のある人々の実存だ。

永山の痛切な叫びをこの本によみとった。その通りだと思う。
 この永山の殺人を、だれが責められるであろう。彼が人を殺したのではない、資本主義社会が彼を殺人魔に仕立てあげた。父母や学校、そしてこの社会が、彼を捨てた。ピストルこそ彼の唯一の友であり、生きがいであった。彼が人を殺したのは、彼を捨てた社会に対する復讐なのだ。永山は完全に無実である。裁判所は、彼を死刑にする資格はない。裁かれるのは、永山を貧困の中に押し込め、社会の枠の外へ投げだした資本主義の社会そのものでなければならない。おれは、永山の血のような叫びをその手記の中に読みとった。
 おれも、小さい時はいつもひとりだった。父や母だけが頼りだった。一時も母の姿が見えなくなると、大声で泣いた。小学校のころ母と別れるのがつらくて、小学校の校門のところまで、むりに来てもらった。校門まで送ってくれた母が帰ってしまうと、みんなの前もかまわず、大声で泣いた。
学校では、友だちがなく、ひとりで遊んでいた。中学校のときの、トメやサチは、遊び友達だったかも知れない。しかし、人のいいおれはいつも人に利用されて生きてきたのだ。家では、一度として、おれにオモチャを買ってくれたことはなかった。正月に、おじさんが来て、おもちゃを買ってくれた。だから、いつも正月が待ち遠しかった。おもちゃがほしくなると、おじさんのところへ手紙を書いた。でも、それは、母が出してくれるといいながら、一度も出されなかった。母がくれるのは、十円がやっとだった。それで、隣の店へいって、チョコレートやアメを買って食べた。十円で買える品物は、限られていた。そんな貧乏くさい生活が、おれは嫌いだった。友だちに、そんなところを見られるのは、死ぬよりはずかしかった。友だちの前では、いかにも金があるようにふるまっていた。その習慣が中学を出てもぬけず、土方していても、貧乏くさい飯は一度も食べなかった。
 中学の時、同じクラスにK君というのがいた。彼の父母は、借金が払えず夜逃げしたのだ。彼は、祖母に育てられたが、学校の集金など、いつも持って来なかった。シャツの衿は垢で汚れ、何日も風呂にはいらないのか、ボサボサの髪から、いやな臭いがした。女の子たちは、彼がくるといやな顔をした。
「いやねえ、K君って。フケツね」
といいあった。彼は、勉強がだんだん落ちてゆき、高校へもはいらなかった。そして、自分をだんだんおいつめでいき、卒業と同時に家をとび出した。今、家を売り払い、山口県あたりで、父と二人飯場暮しをしているという。あのころのおれは、彼の家のことなど、クラスの者たちといっしょに、エヘラエヘラ笑いながら話した。なんという幼さであろう。おれの家も、彼とそんなにかわらなかったのに、おれは、彼を貧乏人として差別していた。なにより、あの女たちは救えないと思った。中学のときのミチ子や、パン屋のケイ子も、おれを捨てていった。エミは、どうしているだろう。おれは、ほんとうに女を愛することを知らないのだ。女こそ、この社会で、もっとも救いがたい差別者ではあるまいか。エミも結局、セックスの相手でしかなかったのでないか。
 何よりも、この資本主義社会を根本から覆すことからはじめなければならない。金があらゆる魔術のようにものいう社会をやめなければならない。そこでは、おれを学校や故郷から追い出したような人たちは存在しなくなるだろう。うわべだけで人の価値を決めようとする女たちや、この社会が限りなく吐き続ける差別者を、一刻も早く目覚めさせることにある。
 それには、まずなにから手がけてゆくか。おれの考える革命の理論は、こうだ。これを次の三つの面から推しすすめていくことだ。
 一つには、教育を権力者から奪いとることであろう。口先では、「おまえたちの気持ちはよくわかる」といいながら、権力者の手先となって、差別教育をおしすすめている。テスト一本やりで、勉強のできる子、できない子、金持ちと貧乏人を差別しながら、自らは権力者へ反抗のポーズをとっている。権力者に対しては追従し、生徒の前では、権力の批判をしたりする。実は、どちらに対してもいい子になろうとするこの日和見主義者を学校から追放することだ。教育はまず、権力者の仮面をはぎとって、その陰謀を徹底的にあばき出すことからはじめなければならぬ。中学のころのおれは、何もわからず、先生のやり方に反抗しようとしていた。今、考えてみると、彼らの指導と称する俺への弾圧は、自分たちの護身のためだったのだ。高校への合格率をあげること、校内から不良を出しては世間へ対して申し訳ないとする、つまり世間体のためであった。そのために、おれのような人物がいては困るのである。教育をかえることだ。学校というなまぬるい温床をぶち破って、社会に対して行動する基地にしなければならない。
 二つには、マスコミの偽まんを糾弾することだ。言論の自由をとなえ、権力を批判しながら、実は、裏で権力者と手を結び、批判のほこ先をかわしてしまう。彼らもまた資本主義社会の利益のために新聞を発行している。利益があがれば、権力と妥協する。日米安保条約反対、首相渡米阻止、原潜入港反対、あらゆるデモ隊を、「暴徒」ということばでかわそうとする。デモ隊が暴徒といわれるならば、権力を背景にして、デモ隊を逮捕するあの機動隊の暴力をなんとよべばよいのであろうか。背後にかくれた権力の悪を見逃しておきながら、武器をもたないデモ隊が少し暴れたことが、どうして暴徒になるのであろう。大衆は、この巧妙なマスコミの操作にあやつられているのだ。ここでも、権力は決して表面に出ることなく、大衆を操作する。その裏面をあばこうとすれば、容赦なく弾圧する。そのために、権力内部のドロドロした醜い膿の部分には、一度もマスコミのメスがはいりこんだことがない。
 三つ目は、あらゆる悪の根源自衛隊を解散させることだ。自衛隊とは、いったい何であろう。ほんとうに、この国を守ろうとしているのであろうか。「もしも、他の国がせめて来たら」といい、多くの近代兵器を際限なく備えて、毎日、仮想敵国にむけて戦闘訓練をくり返している。核爆弾が、三、四発落ちれば、この日本列島は、全滅するというのに。自衛隊は、アジアにむけて戦争を開始しようとしている。日本企業は、アジアに進出し、アジア諸国に日本商品をあふれさせた。アジアでは、日本商品のボイコット運動が各地に発生している。何万トンという巨大タンカーが中東からアジアを通って、日本に石油を運んでくる。これら日本企業の利益を守るために国の政府は、自衛隊を出動させようとしているのだ。かつての日本が大東亜共栄圏の構想をもって、アジアに侵略していったように、国内での革命的な人たちを弾圧し、アジア侵略に乗り出そうとしている。
 だからこそ、反戦自衛官小西誠はたちあがった。
「人を殺すピストルを作ってはならないといって、なぜ悪い」
「人民にピストルをむけてはいけないといってなぜ悪い」小西誠は、こういって裁判にかけられた。なぜ小西誠は、裁判にかけられる必要があろう。裁判にかけられるのは、憲法で禁止されている戦力をもっている国自身ではあるまいか。
 自衛隊を解散させ、軍事同盟としての日米安保条約を廃棄させる。
 そして、やがて、帝国主義の陰謀を見破った目覚めた人たちが、各地で武器をもってたちあがるであろう。自衛隊も、警察官も、そのピストルの銃口を、権力者に向ける日が来る。ベトナムでは、解放軍という革命軍が自ら銃をとって、アメリカ軍とそのかいらい政権を自国から追放した。目覚めたこの国の人民たちは、ひとにぎりの権力者を国外へ追放する。そのあとに、おれたちがつくりあげる社会は、金というものの魔力が通じない。人が人を差別することのない、理想社会である。
その時まで、おれは闘いぬかねばならない。中学の村田先生は、こんなおれの姿を見て、びっくりしたようにいうだろう。
「おい、平田、お前は、いったいどうしたんだ。気でも狂ったのか」
「はい、先生、先生から教えてもらったおかげです。いろいろと御指導ありがとうございました」
 おれは、その村田先生のおどおどした姿の前で、堂々とこういうであろう。

 
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