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「瞽女の墓」 | 第三小説集『さつきの花』

瞽女の墓works

瞽女の墓 2

「おタツさは、昭和十九年に八十四で死にました。ちょうど、わらびの生えるころで、家にとってきたわらびを山のようにつんでいて、それの根元のところを取ったり、先をとったり、いつも、釜の中で煮るための下ごしらえをしていたんです。そのままばたっと手がとまって、横になったんです。おらも、おらの亭主の雄太郎、雄太郎の親の九蔵も、おらの姑のトラも、みんないました。いいしまいでした。おらも、あんげな死に方してみていと思っていますども、こればっかりは、神さまがきめてくれなさるんでのう。
 おタツさは、八十になるまで、雪のないときは、いつも三味線もって、外まわりしていました。年とったすけに、もう外まわりやめてくれろと家のもんが、どんげに頼んでも、雪が消えるのを待って、家を出て行ぎました。一度、家を出ると、雪がいっぺい積もるようになるまで、帰ってこないんです。よほど、瞽女さの旅は、いいもんらしかったです。
 雪が降って、動けんようになると、沢口の人から言づてが来て、沢口まで迎えにいったんです。迎えは、いつもおらの仕事でした。沢口てや、御存知ですかい。野地から、峠こえて、鯖石谷へおりた初めの部落ですこて。その雪の中を、おタツさんの瞽女の荷しょって、かんじきかけて、おタツさをつれてくるんでねぇ。昔から、重い荷のことを『瞽女の荷のようだ』というように、おタツさの荷の重さといったら、男衆だって、この荷をしょったら、腰がふらふらしてしまうほどでしょう。この荷をおらがしょって、雪の積もった峠を、かんじきかけ通しで、あがってくるんですねぇ。おタツさは、おらのかんじきのあとを杖んぼで探し、そこへ足をかけるんだろも、目あきの人でも、雪の中はどぶって(ぬかって)どぶって、やっと歩いているがんに、おタツさんは、あっちころび、こっち転びして、白ねずみみていになって、家の中へころがりこむんです。おらも、あの荷しょって歩くんだろも、汗だくになってしもうて、『もうちっと、早く雪の降らんうちに、帰って来てくんねか』とたのんでいるろも、どっげ瞽女さてや、外、まわるがんが面白いんだやら、『おれも、お前さんに迷惑がかかるんで、もうちっと早く帰ろうと思うんだろも、村の人がおらうちへも来てくれ、むこうの家へも来てくれととめるんだんが、ついつい雪が降るようになってしもうて』とおタツさは、口ぐせみていに言っていました。
 おタツさの目がつぶれたのは、何でも、二つの時だったと聞いております。親衆は、可愛くて、可愛くて、ありとあらゆる医者に診てもろうたろも、だめで、瞽女さんに出したということです。くわしくは聞いていないろも、刈羽ごぜの仲間にはいって、安田の瞽女さんところで修業したとかいっていました。ひとりでまわっていたんではなく、何でも上条のおツガさという瞽女さと一緒だったと話していました。まわるとこも、遠くでなく、鯖石谷、鵜川谷ばっかだったというんです。いつも瞽女宿てや、きまってるんだそうですえ。おツガさてや、どっげの人であったんですやら、おらとんと聞いておりません。
 あの墓建った年の、昭和九年は、世間じゃ冷害、凶作で、娘の身売りもあったてがんにおタツさは、瞽女まわりで金ためて、あんげの墓建ったんですと。あの年、おらが嫁にきた年で、おらは二十六でした。おタツさはいうておりました。
『おミチ、なあは、まだ若いし、そんげのこと、思うてみたこともないろうろも、おらみていの盲は、年とれや、人の世話にならんけやならんし、そのめんどう見てくれるとこてや、この生まれた家のほかにどこがあろうじゃ。年とってからいっそけぃ(すべて)家の人の世話にならんけやならんすけ、今のうちに、自分のはいる墓ぐれい(くらい)建てようと思うて。旅まわりばっかしてきて、親不孝重ねて来たんだんが、おが出来ることで、ちったぁ親孝行しょうと思うて』
 ほうして、あの墓建てて、本床買うてくれましたんです。本床てや、畳のことですがの。それまでは、むしろを敷いていたんです。もうひとつ、じいさん(雄太郎)の子の、男一人、女二人に、紋付きの着物買うてくれました。
『おが死ぬどき、紋付きがないようじゃ、恥かくすけに』
 おタツさは、いうておりました。おタツさは、ちゃんと死ぬときの用意までしていたんです。今思うと、偉い人でした。世間じゃ、ごぜんぼだの、めくらだのというと、ばかにしておりましたが、気持ちのたいらな、いい人でした。
 家にはいっても、子守をしてくれました。顔をなぜて、『でっかくなったなぁ』なんていっていました。目が見えなくても、針に糸を通して、針仕事もしていました。家の中も、きちんとかたづけて、ちゃんと整理ができていて、おらが捜しもんしているときも、すぐ見つけて、出して来てくれるがんは、不思議なくらいでした。
 田んぼの忙しいときは、留守番もして、風呂を湧かして、待っていてくれるんです。火だけは、おっかなくて、それだけは焚かないでくんねか、火あまして火事でも出したら、というんだろうも、別に火事になることもない、偉いもんでした。
 おタツさんが死んでも、瞽女さの道具は、そっくり残っておりました。三味線と、それを入れる袋、べっこうとつげの木と角で出来た三本の撥も、それに笠、桐油合羽と杖が残っていました。おらも、子供が、六人ありまして、戦時中、食べるもん、着るもんに苦労しました。九蔵というおらの舅は、古道具屋でした。その瞽女の道具は、戦争中の物のないとき、売って、子供の着る物買うてもらいました。高く売れて、おタツさんのおかげでどんなにたすかりましたことやら」

 
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