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「瞽女の墓」 | 第三小説集『さつきの花』

瞽女の墓works

瞽女の墓 3

 ミチさんは、おタツ瞽女のことを一気にしゃべり終ると、しばらく、窓の外を流れる雲の方へ目をやってしばらく無言が続いて、
「おが、おタツさについて、知っていることはそれだけです。あのおタツさに比べたら、おらの方が、よっぽどみじめなのかも知れませんて。こんなところへ入れられてしまって」
ミチさんは、また話し出した。
「おばあちゃんは、どうしてまたこんなところへ来ることになったんですか」
「おら、ちっとも知らんうちに、ここに連れてこられたんです。親類衆や子供が、どっげの相談したんだやら、『ばあちゃん、極楽へ連れていってやるぜ』なんていって。どこへ連れていくんだろうと思うていたら、こんげの施設のとこだった、おらだまされて連れてこられたんです。でも、今は、あきらめていますて。
 おらがつれあいの雄太郎は、呆けたみてぃになって、別の施設に何年も入っておりました。子供は、みんな遠くにいるんだが、おらひとりで、家にいて、せっざいもん(野菜類)家のまわりにつくっていました。すいかも、とうまめ(とうもろこし)もよくできて、よくじいさんのどこへも、持って行ぎました。昼間は、近所の婆さん連中が、遊びにきてお茶やつけものをもちよって、そらあ、はりのある、毎日でしたよ。
 でも、一人ぐらしは、夜さりになると、さみしくなりましたね。今は、体が丈夫らろも病気でもしたら、だれがめんどう見てくれるんだろうと思いましたね。
 上の娘は、千葉へ嫁にいっていて、二カ月ぐらい、一緒にすみましたかねぇ、だろも、この年になって、あんげに、人と建物のこちゃこちゃしたとこへなんか、長く住まれるもんでねぇ。そっげのとこへ、小さくなってくらしているんだけや、家にひとりでいるほうが、よっぽどいいと思いましてねぇ、野地の家へ戻って来たんです。
 去年の正月、施設に入っていたじいさんが死んで、いよいよひとりになってしもうて。おまけに、そのあと、家の中で、ひょいと立ち上がろうとしたら、急に目の前が、真っ暗になり、まわりのもんが、ぐるぐる回ってみえて、ヒロ婆さんのところへ、電話をかけるのがやっとでした。それから、親類衆の世話になって、気づいたときは、病院の白い天井が見えて、びっくりしましたて。
 そこを退院してから、またこの老人ホームにつれて来られてしまいました。ここに入っている人のほとんどが、寝たきりか、おしめをあててもらっている人で、人の子の顔もわからないような人ですて。
 ほれ、そこへ坐っているばあさんなんか、一日中、人形さんぶって、職員から、さじで食べ物たべさしてもらっていますでしょう。おしめあてて、仏様のような人でしょうの。
 おら、この中で、腰はまがっているだけで、どこもなんにもない、毎日、あんげな人たちのおしめたたんでやるのが仕事ですて。この前、親類の人が来て、この仕事を見ながら、『ボケ防止に、ちょうどいい仕事らねか』なんて、いうてけつかる(いいやがる)。だれでも好きでしてる仕事でねぇ。ほうして、職員には、一週間に一度の休みがあるというがんに、おらのような入所者には、一回の休みというもんがないんですぜ。おタツ瞽女さはめくらでも、ちゃんと、生まれた家で、みんなから看とってもらえたのに、おら死ぬときは、どうなるんでしょのう。こんげの、家から離れた、施設の部屋で、見ず知らずの人の中で、息ひきとるなんて、考えただけで、さびしいもんです。
 ここだって、まだできて二年目しかならねぇろうも、何人も死んでいきました。でも、連絡しても、だれも身よりの人が来ねぃこともあります。まるで、姥捨て山みていなもんだといいあっています。やっぱり、話相手がいねえというんが、いやですね。お前さんはどういう人か知らんが、久しぶりに、心の中のものを吐き出したような気持ちになりました」
 おミチさんは、おタツさの話よりも、自分の置かれた今の境遇を話すのに熱がはいった。わたしも、おタツさんのことも忘れて、しばらく、おミチさんの身の上ばなしに何回かうなずいた。おタツさんの話なんか、どうでもよいような気持ちになった。故郷から遠く離れた、こんな施設に、自らの意志と無関係に入れられたことへのうつ積した不満をおミチさんは一度に吐き出すように感じられた。おミチさんのことだけでない、家を持っている人だって、家の畳の上で、みんなから看とられて息をひきとるわけではない。病院では鼻から管を入れられ、人工呼吸器をつけられ、うでには、点滴の管をさしこまれながら、器具にかこまれて死んでいく人が多いのではあるまいか。このわたしだって、おミチさんの願うような死に方が出来るかどうか。
 午後四時半、このホームの入所者は、五時からの夕食のために、みんな食堂に集まりつつあった。五時の夕食のあと、翌朝七時半の朝食、すべてこの施設の職員の勤務の都合のためであった。病院も施設も、入っている人よりも、まず働いている人の都合が第一にされる。わたしは、おミチさんに、お礼をいって施設をあとにした。車にのりこもうと、ひょいと玄関を見ると、まだおミチさんは、立ったままで、私の車を見送っていてくれた。
 おタツ瞽女は、結婚しなかったから、もちろん、子があるわけがない。九蔵の妹にあたり、おタツさの姪のサト婆さんが、まだ元気でいるはずだときいて、私は、すぐ出かけた。サトさは、わたしのすぐ隣の部落に住んでいたのだ。さっそく訪ねていった。八十九歳という。
「おタツさは、知っています。墓もあるのですが、そうですか、墓におタツさの名が刻んであるなんて知りませんでした。おタツさは気持ちのやさしい、いい瞽女さでした。おらあばとよんでいました。おらは、唄をきいたことがなかったですども、唄が上手だと、評判がよくで、あっち、こっちとめでたい席によばれていました。『松前』とか『松坂』とか、おタツさのおはこの唄でした。おらとは三十も年がはなれていましたがの。おタツさからつむぎ縞に羽織一枚もらいました。あのころ、おら家は、貧乏だったもんだすけ、親からなんか着物買ってもらえなかったし、うれしかったですね。それに、あの瞽女さの三味線入れておく袋、あれは、三十三人からもらったきれを、あわせてつくると、人の命を助けるといわれていまして、よその家へきれをもらいに歩いたんですよ。雄太郎の上の三人の子が早死にでしてね。どうしても雄太郎だけは、早死にさせたくないといって、真剣にきれをもらいに歩いたんですよ。そのおかげで雄太郎は助かったがです。何しろ、瞽女さの集めた米でご飯炊くと、長く息しるなんて、いわれていましてね。瞽女さは、大事にされたんです。
 おタツさの回る宿は、どこへいってもきまっていましてね。宿へよると、どこの家の人も喜んで、泊めてくれるんだそうですよ。おタツさと一緒の瞽女さ、おツガさは、野地へ何回か来たことがあります。体格のいい人でねぇ。もう一人、沢口の奥へ入った、高山の瞽女さも仲間で、三人で回っていたそうですよ。手引は、いたんでしょうども、聞いていません。
 おらは、二十二の年に、野地からおりて、貝田というどこへ、嫁にきたんですよ。ええ、九蔵は、おらの兄ですがね、母親が違うんですよ。年も離れていましたし、まるで父親みてぃでしたよ。いばっていましてね。貝田へ嫁ぐときでも、お前貝田へ行けというて、一言も、こちらへ相談なしですよ。古道具屋をやっていましてね。掛軸や膳椀の類が家の中で、山のようになっていましたよ。
 おらは、一番末っ子のもんで、他の人みてぃに、工場に糸引きに出してくれんし、若い時から、百姓仕事は、なんでもさせられましたよ。馬を飼っていて、その草刈り、蚕をいっぺい飼っていたすけ、桑の木を切っちゃ、家まで背負ってきたり、ぼよ切り、田打ち、あぜ塗り、男衆と同じことをさせられました。そのおかげで、嫁に来ても、舅づとめが出来たのかも知れませんて。九蔵は、おっかなかったですよ。でも、おタツさには、頭があがらんかったようですよ。墓を建ってくれたり、羽織つくってくれたりしたことなんか、ちっとも教えてくれませんでしたがね。やっぱり、そんげのこと、しょうしくて(恥ずかしくて)、いわんねかったんでねぇですか。瞽女さんから、銭出してもらったなんて。時々、おら実家へ帰ると、九蔵は家中のタンスの抽出しを、みんな壁に向けておくんです。中のものを、おらがとってゆくのが心配だったんだそうですよ。まるで、家から外へ嫁に出したものを、泥棒扱いなんですから。おタツさが死んで、おタツさの道具なんか、自分で勝手に処分したんでしょう。おら、そんげの相談なんか、ちっともありませんでしたね。それどころか、自分の娘、嫁にやるどき、出立ちにも招んでくれんのです。下の娘なんかおらの嫁いだ貝田の隣の村へいったんですよ。おらの村通って、嫁にゆくというのに、おらに知らせてくれないし、しょうしい(恥ずかしい)たってありはしない、人がみんな嫁見に外へ出てゆくのに、おらばっか出らんねぇ。九蔵という人は、そんげの人でしたよ。やっぱり、腹ちがいの兄妹というのは、情けが薄いんでしょうかねぇ。おらも、すぐ上の兄も、あんまし実家へ行けんようになりましてね。実の兄は、満州へいって、いい暮らししていたのも、あの終戦のごたごたで、ひどい目にあって、内地へ引きあげてきたあと、その栄養失調がもとで死んだんですよ。気持ちもいい、優しい兄でしたろも気の毒でした。
 それにしても、おミチさも気の毒な人ですよ。病人の世話を、どれくらいしたもんだやら、ずいぶん人の世話をしたんですよ。こんだ人から面倒見てもらうというときになって、子供は、みんな遠くへいっている、亭主には先立たれる。あんな老人ホームに入れられるなんて、人の世は、思うようにならんもんですね。姉娘の嫁ぎ先の千葉へいったのに、帰ってきてしまって、婿さんとの間が、うまくいかなかったということですよ。でも、ミチさんは、気丈な人ですよ。そんな愚痴一つこぼさんのですから。
 瞽女さんなんて、世間じゃ、いやしい職業というて、瞽女の行列に、子供が石をぶつけたり、するんですども、そんげのもんじゃないでしたよ。「おらちのごぜさん」というてどこの家でも、瞽女さの来るのを待っていてくれたそうですよ。普通の目あきでも、年とっていけば、『あのごうつく(欲張り)婆、はやくくたばってくれれやいい』なんて、嫁にかげ口の一つもたたかれるのに。亭主も子もいなけりゃ、身一つで、ほいほいと好きなところへいかれるし、見ず知らずの人から、瞽女さの唄ききたいと情けをかけてもらえる。
昔から芸は身を助くって、よくいったもんですね。目が見えなくても、普通の人より、ずっとずって幸せな一生送れるんですから。何が人には幸せなもんだやら、ほんとにわかりませんこて」

 
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