本文へスキップ

「はらから」 | 第三小説集『さつきの花』

はらからworks

はらから 1

 二郎が、中学三年の時だった。そのころ、短大の一年だった利一は、二郎にしきりに高校へ進むよう手紙を書き送った。二郎は、中学を卒えたら、すぐ就職するつもりだった。なによりも、家の貧しさを見るにしのびなかった。金のない苦しみを下の弟妹たちに味わわせたくなかった。金がなくなると、しばしば親戚に金を借りにいった。そんな時、広作は自分では借りにゆかず、とりに行かせた。
 中橋の家の田は、手間だけが多くかかり、収量の少ない棚田が多かった。稲刈の時など子供たち一連隊を引きつれてこの日陰の沢田に出かけた。畦ばかりが大きく、小さい段々田んぼが、沢の湧水を利用して、山の中腹まで続いていた。はざは、山の上の松の木を利用して作られたから、そのはざまでゆくには、狭くて急な滑りやすい土の段を何段ものぼっていった。稲刈りの時期になると、広作はこの道の草を刈り、松の木から一本の縄をたらす。子供たちは、この縄にすがって、松の木の根元まで重い稲を運びあげる。刈ったばかりの稲は重く、背に括った荷縄が、肩に食いこむようだ。ロッククライミングよろしく、急な土の段を何段ものぼりつめて、ようやく松の木のはざの根元に稲をおろす。
 二郎の夢は、この田の低いところに、コンクリート柱をたてて、はざ場を作ることであった。一日も早く、子供たちをこの重労働から解放してやることであった。そのため、早く就職して、なによりも自分で働いた金を手にしたいものだと思う。中学生の二郎は、その考えも短絡的である。
 二郎は、まず川崎の叔父の勤めているN鋼管株式会社に願書を出した。会社の中に独自の養成所をもっていることが、二郎にとって魅力であった。同じ中学校で、ここを受験したのは二人いたが、二郎だけが不合格となった。視力が弱いことがその理由という。そのあとある紡績工場の調整工の試験を受けた。そしてまたまた不合格になった。運命というものは、何がその引き金になるとも限らない。二郎が近視でなく、このN鋼管に入社していたら、二郎のその後もまた大きくかわったであろう。
 中学三年の一月、それは高校の願書受付が始まる一週間ばかり前だったのだが、突然利一が、二郎のところへ手紙をよこした。

 弟よ。お前が、次々と会社の試験を不合格になってくるのを聞くと、かわいそうでならない。思い切って高校に出てみないか。お前が、一日も早く就職して、家に金を入れたい、父母を楽にさせてやりたいという気持ちは痛いほどよくわかる。おれは、農家の長男に生まれて、せっかく高校まで出ながら、とうとう家を離れてしまった。これほど親不孝な子もないだろう。しかし、いつも親のそばを離れず、あの小さい田をかきまわして、父母の苦労を減らしてやることが、ほんとに親を大切にすることだろうか。あんな山の田で、どんなにあがいてみたところで、あの平野の広い田に比べたら、先が見えすぎている。俺は、教員になろうとしてこの大学に来た。そのために、親不孝をし、姉や妹に大きな犠牲を強いることになった。姉たちにこの上に迷惑をかけることはしのびないが、お前のことを話すと、なんとか学費を出してくれるという。さいわい、お前は成績も悪くないから、いっそのこと、N高校へ進学して他の人をおどろかせてやれ。家のこと、兄弟のことをあれこれと心配することは大切なことだが、これからさきのおれたちは、十年、二十年先のことを見て生きなければならないのだと思う。後に続く、満や和男のこともあるが、その時はその時で、また道も開けるであろう。今となっては、あれこれと思い煩うことなく、しっかり決意を固め、見事に高校に合格してほしい。

 二郎はこの手紙に小躍りしたわけではない。今までは、就職するつもりで、受験勉強もろくにしていなかった。はたして試験に受かるのだろうか。当時の二郎には、高校は魅力のあるどうしても行きたいところではなかった。眠っていた子がむりやりおこされて、目的もなしに走り出したようなものだった。広作もとりも、利一の熱意に負けてしまった。鉄道から遠く離れ、山間にひっそりと住む中橋家は、どのみち高校へは下宿しなければ行けなかった。どうせ同じなら、この地域の進学名門校といわれるN高校へ行けというのは利一である。二郎は、利一に起こされてひたすら走るだけである。二郎が高校進学を決意した翌々日から、願書の受付が始まった。
 二郎が、高校の願書を出してから、名古屋の小さな鉄工所の採用決定通知がきた。赴任の方法から、乗ってくる汽車まで指定してあった。二郎は自らこの鉄工所にあてて、高校を受験することになった事情をくわしく書いて、おわびの手紙を出した。もし、利一が、強く高校受験をすすめなかったら、その後確実にこの会社にはいっていたはずだ。人の一生はサイコロの目のように、どんなきっかけでその生涯の方向がきまってゆくのかわからない。
 N市の高校を受ける生徒達は、受験の前日、五人一緒に、雪道を二時間歩いて駅まで行き、ここから三十分のN市まで汽車に乗った。百八十名の中学卒業生の中で、高校へ進学するのは、わずか一割にすぎなかった。もちろん、その一割の中に二郎がはいっていたこともいうまでもない。生まれて初めて、旅館に宿泊して高校の試験を受けた。二郎の中学からこのN高校へ入学できたのは、二郎一人だった。雪が消えると、駅までの十キロの砂利道を自転車で通った。二郎に朝食をつくってやるために、母のとりは朝四時半に起きた。暑くなってくるにつれ、家へ帰ると、全身汗みどろになり、下着はびしょびしょになった。二学期になると、疲れて勉強できないということで、駅近くで最も下宿代の安い寺へ友人たちと下宿した。

 
1 >  >  >  >  >  >  >