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「はらから」 | 第三小説集『さつきの花』

はらからworks

はらから 6

 十二月の初め、一番目の姉ミチ子が横浜へ嫁ぐことになり、その振舞いが、中橋の家で近所の人を招んで行われた。ミチは、ちょうど学制のかわり目に高等科を卒え、新制中学に出ることなしに就職し、紡績工場に十年勤めた。ひたすら家や弟たちのために送金し続けてきた。二郎は、ちょうど試験の最中の日曜日だったが、家に帰った。利一も帰っていた。兄弟といっても離れて暮らしていると、ゆっくり話す機会もない。父母たちは仕度に忙しかったが、こたつの中で二郎と利一は話した。利一はいった。
「昼間の大学だって、国立ならそんなに金のかかるものでないさ。奨学金もあるし、アルバイトしたりすれば、決してやっていけないということはないだろう」
「やってみなければわからないが、かなりきつくなるだろう」
「それはきついが、東京に出て夜間部へ進むよりはいいさ。就職口を見つけるのも大へんだし」
「それも先生にたのんであるんだけど」
「東京に出てしまうと、地元に帰ってくるのが大へんなんだ。金のことは、なんとかなるから、受験勉強だけはしておけよ」
利一は、一度あきらめていた昼間の地元大学をすすめた。
「進路が決まらないと、勉強に身がはいらなくてね」
「大学なんか、はいってしまいさえすれば道は開けるものさ。受験の準備が何よりだよ」
 利一にこういわれると、二郎は、また大学への希望が持てるような気がした。一度決意した就職も、上京の夢も再びしぼんでくる。兄のいう通り、すんなりと大学へ行くことで気がすむのか。二郎が大学にいる間に、末の弟の和男が中学を卒える。和男はどうなるのか。なによりも、この家の跡を誰が継ぐことになるだろう。利一は、ここでもまた二郎にまわりを見ないでひたすら走ることをすすめた。高校へはいるときもそうだった。それでも、おかげで高校生活の三年間でより高い知識を身につけることができた。学問の面白さを味わうことができた。今また利一の言葉に黙って従いてゆくほうがよいのだろうか。利一は、助教諭という自分の不安定な身分も顧みようともせずに、二郎の進路の心配をする。それでいて、学費を送ってやるとはいわない。利一は、自分の果たせなかった夢を二郎によって果たそうとしているように見えた。
 十人のお客を招んでいる中橋家は、その準備で慌ただしかった。座敷と居間とを仕切っていた戸は取り払われ、新しい畳が敷かれた。借りてきた共同の膳椀は、磨き上げられ、大皿には山のように料理が盛りつけられてあった。お客が座につくと、広作の簡単な挨拶があった。
「この家で、初めて娘を嫁にやることになりました。いろいろ苦労させてばかりいて、なんにもしてやれず、娘には申し訳なく思っています。また皆様の世話になるばかりですが、これからもどうかよろしくお願いいたします。きょうはなにもありませんが、ゆっくりしていって下さい」
 二郎は、こたつの中で、広作の挨拶を聞いていた。着物を着たミチと背広とネクタイの利一がこの宴会の給仕であった。利一を短大に出してやったのもミチであった。広作はこのミチのために、嫁入り道具一つ買ってやれなかった。それは、ミチ自身が、十年の間に貯めた貯金と退職金で用意した。この振舞いは広作がミチに対してやってやれるたった一つの贈り物といってよかった。祝の字のはいったまんじゅうを頬ばりながら、二郎は七人の姉弟がこれからどう生きてゆくのだろうと思っていた。ミチは、もう二郎の手の届かないところにいってしまって、いつまでも甘えることはできない。三つ年下のミエ子の嫁ぐ日もそう遠くはあるまい。かつて、小さい子供たちで溢れていたこの家も、鳥が飛び立つように次々とこの家をあとにしてゆく。
 忙しい母のとりに代わってミチは弟妹たちの子守をし、食事作りをし、田んぼに出た。しかし、この家を去ってしまえば、もうすでに二郎が頼ろうとしても頼れない。他人になってゆくのだ。いったい、弟妹とはなんだろう。同じ母の胎をいためて生まれてきて、ある時期、ともにすごすことがあっても、家を出てしまえば、環境も違い、それぞれの生き方も違い、まったく他人と違うところはない。自分のことは、自分で決めて生きてゆく時期が、二郎にもやってきているのだ。
 宴会に並んでいる人達には、酒もほどよく回り、にぎやかな歌も出て、宴たけなわとなるころ、二郎は、抜けるようにして下宿へ向かった。明日からまた試験が待っていた。

 翌年四月、二郎は、地元大学の教育学部に入学した。学費の方は、奨学金と家庭教師のアルバイトで、仕送りしてもらえなくても、なんとか続けることができた。利一のいっていたことが間違っていなかったことになる。
 二郎が大学二年になった時、ミエ子は郷里に帰って嫁ぎ、利一も晴れて正式な教諭として、東頸城の小学校に赴任していった。

 
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