本文へスキップ

「彼岸すぎても」 | 第三小説集『さつきの花』

彼岸すぎてもworks

彼岸すぎても 2

 妻の不機嫌になったのは、良明が三歳の時が初めてだった。あれは、二月にはいって、寒く、雪がいっぱい積もった時だった。わたしは、あのころ勤めが遠かったので、冬は下宿していた。妻は、良明を母に子守してもらって勤めていた。金曜日の午後、妻から勤め先に電話が入った。母が、良明をおんぶしたまま雪道にすべって転び、肩の骨を折ったという。わたしは、その日夕方あわてて帰ってきた。母は、青い顔をして寝ていた。母の怪我は長びきそうだという。妻は勤めを休んで母を病院へつれていったが、母の怪我を治療する間は、良明を子守してくれる人がいない。妻がそれほど長くそのために休んではいられない。これからいったい、どうしたらよいだろう。近くに子守をたのめそうな人はいないだろうか。父も交えて話しているうちに、母がポロポロ涙を出して泣き出した。妻も二階に上がって泣き出した。まだ結婚してまもないわたしたちで、近所に子守をしてくれそうな知り合いもない。妻は、
「良明を私の実家に預けて、実家の母に子守してもらうことにするわ」
といった。わたしは、
「そんなことしなくても、この近所に子守してくれそうな人を探した方がよいよ」
「あなた、そんなことばかりいうけど、ほんとにいるの? これ以上人に気をつかうのはいやよ。あなたが、いやだというなら、わたしひとりで良明をたのんでくるから」
 妻はそういうと、良明の着替えをベビーダンスの引き出しから取り出して、ぽんぽんとダンボールの中に投げ入れはじめた。
「ちょっと待てよ。もっといい方法を考えようよ」
とわたしがいっても、
「もう、あなたの話はあきたわ。口先ばっかりで、ちっともわたしの気持ちをわかってくれない。いいわ、あなたの世話にならなくても、わたしひとりで運転して良明を家まで連れてゆくから」
 妻は、こういいながら、良明の着替えをまとめる手を休めようとしなかった。良明も一緒になって、
「おとうさんなんかくるな」
といっている。外はひどい雪である。もう妻は車のエンジンをふかし始めていた。まだ運転を始めてまもない妻を、この雪の中を峠をこえて、実家まで一時間以上運転させることはできない。わたしは、あわてて、アノラックを頭からかぶり、長グツのかかとをつぶしてはき、シャベルをトランクの中に投げこんで妻と運転をかわった。峠を越すと、雪は驚くほど多かった。
「長い結婚生活を続けてゆくと、こんなこともあるさ。人はみんな、こんなことに耐えて家を守っているんだろうね」
 わたしは、こんなことを妻に話しかけた。
 妻はだまったまま、私の方へ顔を向けようともしなかった。無言のままフロントガラスにうつる雪をみつめている。わたしは、運転しながら、時々助手席の妻の顔を見た。妻は何を考えているのだろう。いくら話かけても、口をきっと結んだままだった。良明は、いつのまにか妻の腕の中で眠り込んでしまった。わたしもそれきり口を開かなかった。エンジンの苦しそうな音だけが響いた。
 車が町の中にはいると、この町は、ちょうど雪祭りの前夜祭にあたっていて、アーケードには紅白の幕が引き渡されていて、その下を多くの人が歩いていた。店の前に、みやげ品を山のように積みあげて、大きな声で客を呼び込んでいるのが見えた。大きな釜からもうもうと湯気をたてておでんを煮たり、鉄板の上に焼きそばをかきまぜたりしているのも見えた。遠くから見物に来たらしい団体客がそのまわりを取り囲んでいるのも見えた。子供が大きな包紙の品物を大事そうにかかえて、両親とつれだって歩いているのも見えた。
「ああ、そういえば、きょうは雪祭りの日だったね」
 おもわず、わたしはそのことばが口をついて出た。妻は、あいかわらず答えない。雪まつりでにぎわっている街の中を、場ちがいのように、危機に瀕した一組の夫婦が、通り抜けようとしていた。知らない人が見たら、この一家もまた、雪まつりの見物のために街にくり出した幸福な家族と思えるであろう。
 実家につくと、妻は良明を抱えてとんとんと家の中に入っていった。どこも除雪された雪が山のように積まれて、人の背丈ほどの雪壁が、道路の両側にできていた。わたしは、車に積んでおいたシャベルで、道路わきに長いことかかって車のおけるだけのスペースを除雪した。狭い場所なのに、これだけで一汗かいてしまった。妻の家にはいると、妻はおもいがけず饒舌になっていた。
「明日朝、除雪車がきて、車が邪魔にならないかしら」
「大丈夫、かなり脇によっているから」
 わたしたちは、ここでは、もう普通の夫婦になっていた。その夜、わたしたち三人は、こたつのまわりに、ぐるりと輪になって寝た。
 わたしは、ここでも寝つかれなかった。妻は、もうすやすやと眠っている。あの時、わたしが妻の運転する車に乗らなかったら、どうなっていただろう。妻は、雪道の運転が困難であればあるほど、車の中で、私への憎悪を燃え立たせてゆくだろう。父母の味方ばかりして、妻の危機を救ってやろうとしないといって。その夫へのみせしめのために、車ごとダムの調整池の中にダイビングするなんてこともなかったであろうか。考えられないことではなかった。思えば、あの時、わたしたち夫婦は危機を迎えていたのだ。それをわたしが、車にとびのることでようやくのりこえたのだ。妻の車は、あの時、もう動きはじめていた。わたしは、フロントガラスをおさえて、妻の運転を止めさせた。もし、あの時、私が妻の出発を傍観しているだけだったとしたら、その時がわたしたち夫婦の破滅だったかも知れない。思えば、妻は、あの車の運転を強行することによって、妻へのわたしの忠誠心を試そうとしていたのかも知れない。
 翌日、良明が実家の母に連れられて、よその家に遊びにいっているるすを見はからって、二人は逃げるように帰ってきた。親子が別々に暮らしたのは、後にも先にも、この時だけだった。帰りの車の中で、妻は肩をふるわせて泣いていた。今までおさえていた気持ちが、ここにきてどっとゆるんでしまったような気持ちになっていたのだろう。
 一カ月半の間、わたしたちは一度も良明に会いにゆかなかった。わたしたちが非情な両親というわけではなかった。良明が泣いて困るので、こないでくれと実家の母にいわれたからであった。夜になると、わたしたちは、良明の話をした。それだけが、良明に対する唯一の謝罪のような気持ちだった。
 三月下旬、母の怪我もすっかり直ったので、良明を連れて帰った。皮肉なことに、その四月から、わたしの勤めが、妻の実家の近くにかわったので、こんどは、家族三人で、実家に居住することになった。浩美は、妻の実家にいる時に、生まれたのだ。
 眠れぬままに、わたしは、妻との婚約時代の日記を読み出した。あの時の五月の海は、遠くまで青々としで、静かだった。わたしたちは、その海を眺めながら、コンクリートの防波堤の上をずっと歩いていた。防波堤の上には、砂がうすく敷かれたようになっていて、二人が歩くたびにパラパラとかわいた音をたてた。海水浴シーズンにも間があるせいか、海岸には、わたしたちのほかだれもいなかった。わたしは、そのころ、山の中の学校に勤務していたし、妻は、家の近くの司法書士事務所に勤めていた。日曜日になると、わたしたちは、このあたりの中心都市におちあって映画を見たり、山にのぼったりしていた。翌年の春には、結婚式をあげる約束になっていたので、日曜日がたのしみだった。
 防波堤の下に広がる湿った砂の上に、波に打ち上げられた貝殻や海草、ビニール容器やガラス壕、空カンなどが一面に敷かれたようになっていた。そこに小さな波が、白い泡をのこして引いたり寄せたりしていた。わたしたちは海を見ながら、お互いの職場の話をしたり、家族のようすを話したりした。結婚式に呼ぶ人のことや、新婚旅行の行先など話し合った。これらは、会うたびに話しているので、もうあらかたのことは話がついていた。
 話しながら、わたしは、「ちょっと……」といって、すっと妻の手を握った。その時のことばは、おぼえていなかったが、あとで妻がいうのには、「ちょっと、やってみようか」
とわたしがいったという。そのあと妻はいつものように、
「いつもあなたっててれやなんだから。あんなとき、ゆるしを請う人なんか、どこにいますか」
といった。
 わたしが手をのばすと、妻は、ちょっとわたしの方を見て、にこっとして、それを待っていたかのように握りかえしてきた。話はまだ、いままでと変わらぬように続いていた。しかし、何を話しているのかわたし自身でもわからなかった。海がもりあがって見えた。柔らかい手のぬくもりが、わたしの全身に電気のようにつきぬけていった。心臓の鼓動がのどのところまであがってきた。口の中がかわいて、舌がもつれるようだった。このまま手を離さず、どこまでも歩き続けたいと思った。
 しばらくすると、コンクリートの防波堤は切れて、公園にあがる細い坂道になっていた。妻は、すっと腕をわたしの腕に絡ませてきた。わたしもその腕に力を入れた。急速に、わたしたちは、近づいていった。妻の未知の部分をすべて知り尽くしたい衝撃に駆られた。
 日記を読んでみると、婚約時代の妻のことが今もなまなましくよみがえってくる。あの妻は、隣の部屋に一人で寝ている妻なのだろうか。顔だけがもとのままで、心の中だけがわたしの知らない間に別の人と入れかわってしまったのではあるまいか。そして、心だけ別人になった妻がわたしに復讐しようとしているのではあるまいか。
 翌日、浩美の日記に、こう書かれているのを盗み見た。何がおそろしいといっても、浩美の日記ほど恐ろしいものはない。これは、そっくり担任の先生に読まれるからだ。教務室の談話の中に、こんな話が出ることもあろう。わが家の恥部があらわになってしまうからだ。

 今日、お父さんとお母さんが、いっしょにねませんでした。お母さんがお父さんを嫌っているようなのでした。いったいどうしたのでしょう。わたしは心配で「早くもとのようにならないかなあ」と思ったり、「こんな家ていだと、子どもがひこうになるんだぞ」と思ったりしていました。

 妻の不機嫌は、それから一週間してもとにもどった。わたしが何もいわないのに、書斎に積んであったわたしのふとんを、わたしたちの部屋に運び、二組のふとんをすきまのないようにして、ぴったりくっつけて敷いた。わたしは、一週間前と同じように、そのふとんの中にもぐりこんだ。
「自分で脱いだ服くらい、ちゃんとハンガーにかけておいてちょうだい。あんたって、いつまでたっても子供みたいなんだから。きっと死ぬまでこうなんでしょうね。いいわ、ずっとわたしが世話してあげる。あんたは、わたしが必要なのよねえ」
 妻は、そういって、わたしの脱ぎ捨てた服をハンガーにかけ、ズボンにアイロンをかけるために、スイッチを入れた。

 
 > 2 >