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「活字」 | 第三小説集『さつきの花』

活字works

活字 3

 一方、大学に入学すると同時に、日米安保条約改定問題の激しい学生運動の中に巻き込まれた。今までの次郎は、世評をいろいろと批評し、意見を述べることはあった。しかし入学と同時に、自分の立場を確立しなければならなかった。はじめて学生総会に出席してみて、演壇に立つ人たちの語調の激しさに驚かされ、そこで使われることばのむずかしさに驚かされた。この条約改定が、アメリカの軍事戦略に日本を売りわたすことであり、アメリカ帝国主義と手を結んだ日本独占資本家たちの陰謀であると述べた。校内でも、各地のデモに合流して、何回かの市内デモが続いた。次郎は、そういう人たちに全く無関心を示す態度はとれなかった。つとめて市内デモには出ていた。しかし、そうかといって、自分たちこそ正しいと信じて、自己の演説に酔っている自治会執行委員の考えに同調もできなかった。政治が自分たちの望まぬ一つの方向にゆこうとしているのに、お前は手をこまねいて何もしようとしないのか、友人に言われると、それを聞き流すことができなかった。次郎のこれからの生活が、この国の施策によって大きく規制されるかもしれないと思うと、次郎も、じっとしているわけにいかなかった。次郎がだまっていることが、日本の資本主義独占に手を貸していることにつながるのだ。なんとか、自分の生きる道を探さなければならない、社会的な関心は、どのように自己を表現するかにあった。デモだけが、次郎の自己表現ではなかった。デモに疲れて帰ってくると、無性に自分の時間が欲しいと思った。歩き疲れてのどの渇きを感じているものに、一杯の水がどんなに欲せられるか。現代の騒然とした日常の中で、静かな自分だけの時間を欲していた。『山脈』第七号には、はじめて三十五枚の小説「雪に包まれる村」を書いた。ここでは、もう完全に大学生の次郎が主人公であった。今までの次郎の書くものは、はるかかなたの少年次郎の姿であった。その哀しみも、喜びも、すべて時間のベールの中で美化されてきた。
「雪に包まれる村」の主人公、大学生の「私」は、大学に入って、学生総会の執行部の演説に驚かされる。出席人数は少ないのに、その激しい口調は、次々と国家体制への批判であった。授業の終わったあとの教室を封鎖して、学生総会に切りかえ、その中で半日授業ストライキを議決した。私は、その強引さに抗議し、執行部の人たちと対立する。それでもデモにはきちんと出ていたが、友人たちをデモに誘うことはなかった。新安保条約が多くのデモの中で強行され、全学連と警官の衝突の中で死者が出た。そのテレビを見ながら、権力への怒りにもえる。私は、翌日国会議事堂をとりまくデモに参加した。その三十三万人のデモ隊の中で、一人孤独感をもつ、自分もまた意志をもたない一滴にすぎないのではないかと思う。
 多くの反対デモの中で、条約は自然承認され、反対運動は消えてゆく、私は政治のもつむなしさを思い知らされる。
 その私は、雪の中の山村にわけ入って、老人に会い、昔話を聞きにゆく。若い友人達から、後ろむきの生き方とか、骨董趣味とか批判されながら、ここに自分の生きてゆく道を発見する、それは、力と力が激しくぶつかりあう現代の政治状態とは違って、みちたりた静寂の世界であった。
 この作品は、次郎の生き方と深くかかわっていた。この作品を書きながら、次郎は、自分の生き方を必死に捜し求めた。次郎自身の生き方を、いろいろな人から批判された。それでも、次郎は、生きのびてゆかねばならない。一字一字原稿用紙に刻みつけるように苦しい作業を続けていた。文を書くことが、次郎に残された唯一の自己表現であった。
『山脈』は、七号を出して、編集をやっていたNさんが転勤によって、県都から去ることになった。次郎は、大学後期二年を県都ですごすこととなり、Nさんに会うのを楽しみにしていたのに、次郎の県都入りとすれ違うようにNさんは、県都を去った。
「雪に包まれる村」を書き上げてから、次郎は、すぐ次の作品「吹雪の笛」の執筆にとりかかった。二つの作品の題はどちらも、雪という文字が入っているのにおどろいた。
 大学二年の春、「私」は、一年生の加代子に会う。加代子は、高校時代社会科クラブにはいって土器の発掘を手がけていた。「私」が、加代子に民話採集の話をすると、加代子も興味を示して、一度つれていってくれという。五月にはいると、歴史研究部は、加代子の案内で、近くの縄文遺跡見学旅行をおこない、「私」は、土器の美しさに打たれる。民話採集と、加代子の世界の類似点を発見し、私はますます加代子に興味を示し、いつのまにか友人以上の感情をもつようになる。
 大学祭のダンスパーティーの席で、パーティーの雰囲気にとけこめず、一人ポツンとしている加代子に話しかけ、私と加代子は、はなやかな席から逃げるようにしてぬけ出す、私は加代子を下宿に誘い、家から送られてきた餅をたべさせる。加代子は嬉々として食べ、よく話した。そのころ、安保条約の改定をめぐって、国内は激しい反対運動がおき、学内でも毎月デモが続いた。加代子は、必ずそのデモの中にいて、「私」に革命について質問する。そして、いつのまにか加代子は、自治会の執行委員小林義一に接近してゆくようすであった。「私」は、小林らの考え方に批判的で、加代子の接近をハラハラして見守っているが、積極的にそれをひきとめる力をもたない。自分のもっている民話の世界が、現代の社会を動かすために、どんな力になっているかわからないまま、それでも、その世界を必死に守ろうとする。加代子は、学内の執行委員に立候補し、「私」は、それを引きとめる力を持たない。激動する社会の中で、確固とした人生観ももたずに生きてゆく自分の弱さを思い知らされてみじめになるばかりであった。
「私」は、一人で伝説の地を訪ね、その世界に没入することによって、生きてゆく苦しみを忘れようと努める。一人、雪の中を山ひだの村を訪ねる。雪は激しく降りつづいて、峠の途中道を失ってしまう。その雪の中で、「私」は死を予感し、自分は、現代の社会の中で生き抜けぬ弱い人間だから、このまま雪の中に埋もれてしまってもよいのではないかと思う。しかし、幻の母の声を聞いて、生きなければならぬと思い、雪の中を歩き出す。
 はじめて、五十七枚の次郎にしては長い作品となった。身近なモデルもいて、この作品が発表されれば、学内の人であれば、だれもそのモデルを思い浮かべることができた。しかし、今の次郎には、それよりも、書くことが生きてゆくことだった。書いていながら、いつのまにか、原稿用紙が涙で濡れてしまうこともあった。大きく溜息をついて、ペンをもったまま、一字も書けない日もあった。一カ月あまりで書き上げたあと、すぐ『山脈』編集部に送った。これが、『山脈』誌上で活字になるとき、次郎の新しい出発の日となるはずであった。

 
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