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「心までは萎えず」 | 第三小説集『さつきの花』

心までは萎えずworks

心までは萎えず 3

 洋介が入院してから、続々と同じ筋ジスの仲間たちが、この療養所へ入院してきた。県内はもとより、富山や長野といった隣県から入院して来るものもいた。洋介は、自分以外のこの病気の仲間を、はじめて見た。どうにか、ひとりで歩ける洋介に比べて、ほとんどは車椅子生活で、床の上を四つん這いに動くものや、床に尻をついて、いざって歩くもの、その症状は、一人一人違っていた。体の変形は驚くほど進み、背骨がわん曲し、背がとび出ているもの、指先が蛇の頭のようにまがっているものもいた。歩けない足は、内側にまがり、鍬形虫の角のようになっているものもいた。
「これが、おれと同じ病気なのだろうか」
洋介は、表情にこそ出さなかったが、心の中では、こんな人よりも、自分はまだいいのだと納得した。しかし、症状がすすめば、いつか、自分も、この人たちと同じになるのだと思って恐ろしくなった。
 どの子も、洋介と同じくらいか、二、三歳上の子供たちであった。別れるときは、親も子も涙を流した。両親の愛をいっぱいにうけてきた子供たちであればあるほど、家族と離れて、友だちや病棟職員との生活が始まるわけだから、不安になるのはあたりまえである。洋介は、病棟の先輩として、つとめて、ゲームの仲間に入れてやったり、一緒に遊んだりして元気づけてやった。新しく入ってきた仲間に、一段と優位にたちたいとする洋介の見栄もあった。夜九時の消灯のあと、あちこちのベッドですすり泣きの声がしていた。夜勤の看護婦さんのなぐさめの声もきかず、そのすすり泣きの声は、いつまでも続いた。
 筋ジスで入院した子供たちは、同じ病院と廊下でつながっている養護学校に入学して、通っていた。昼間は、ベッドは、ほとんどからっぽで、かぜをひいたり、症状が重かったりした子のみ、病棟に残されていた。
 洋介の隣のベッドに、聖光一が入所してきたのは、一カ月もすぎてからであった。洋介より症状は進んでいて歩けなかったが、光一の彫りの深い、キリリとした顔を一目見て洋介は、かすかな嫉妬を持った。光一は、たちまち病棟内の人気者になった。看護婦でさえも、
「光一君って、ハンサムで、スマートで恰好いいわねえ」
といっているのを洋介はきいた。洋介は、光一と同学年で、二人は、一緒に養護学校に通った。勉強の方もよく出来、とりわけ光一の描く絵は、ずばぬけていた。洋介も決して、絵は下手ではなかったが、光一の絵を一目見たとたん、とてもかなわないと思った。二人は、何日もたたないうちに友達になったが、心の中では、激しい対抗意識を燃やしていた。
 二人の絵が、県の絵画コンクールに入賞したのは、養護学校小学部四年の時であった。夏休みの作品展のあと、八人のクラス全員で出品したのであったが、特選になったのは、光一と洋介の二人だけであった。光一は、病棟から眺めた中庭の全容を描いたものであったし、洋介は、外泊中に、家の窓から見える田園風景であった。
「光一君、入選おめでとう。よかったわね」
と病棟の看護婦にお祝いをいわれるたびに、光一は、嬉しそうにお礼をいい、誇らしげに絵の話をするのであった。このことがあって、光一の描く絵は、ますます磨きがかかり、洋介は、ますます対抗意識を燃やした。同じ入選にしても、洋介は、あまり嬉しそうな表情をしなかった。自分で積極的に参加したのでなく、担任の先生にすすめられたのだという気持ちが、洋介にはあった。小さい時から、洋介は、人からやってもらうことに抵抗を示した。バランスを崩して、床にくずれおちた時も、人の手を借りて立ちあがるのを拒否した。歯を食いしばって、どんな長い苦痛にも耐えた。負けず嫌いの、忍耐強い性格は、光一の目立ちたがりやの性格と大きく異なっていた。
 洋介が歩けなくなったのは、五年の二学期からだった。
「この夏休み、家に帰っているときがあぶないな」
とリハビリの先生にもいわれていた。こういう病気は、どんなに苦しくても、手足をできるかぎり動かし、それによって関節の拘縮を少しでも防ぐことが必要であった。動かさないでいると、たちまち手足も動かせなくなってしまう。体のいろいろな筋肉の機能を維持してゆくために歩くことが必要であった。洋介の体は、学校と病棟の往復にひどく疲れるようになった。何度も何度も、手すりにつかまって休みつつ、歩いた。一歩、二歩と歩いてはまた立ちどまるという行為をくり返した。足腰の筋肉の機能低下は、一日ととまらなかった。昨日は頭の上まであがった手が、今日はもうあげられなくなったというのも珍しいことではない。一つ一つ機能の低下を自ら確認することはつらかった。今日は少し疲れているせいだろう。コルセットがいたいのは、型があわなかったせいだろうと、人は自分の体力の低下を認めたがらない。洋介は、一学期のおわりに、
「洋介、お前の足は、もう歩く限界を越えている。これ以上無理すると、心臓に負担がかかることになる」
と医師からいわれていたのだが、
「できるだけ、歩いてみます。何とか歩けますから」
といっていた。今車椅子に移ることは、これから永久に自分の足で歩けないことを意味していた。今歩かなければ、もう二本の足でわが体を支え、大地をふみしめて歩くことは、出来ないのだ。もう一歩、もう一歩と、いとおしむように洋介は歩いた。むろん、このころ、洋介は、自分の病気が、進行性筋ジストロフィーという病気で、体の筋肉が衰え、ついには肺や心臓の筋肉までも冒されて、やがて早い時期に死を迎えなければならないことも知っていた。
 入院したころ、だれもいい子になって治療しさえすれば、必ず治って、家に帰れると思っていた。親もまた、
「いい子になって、先生や看護婦さんのいうことをきいていれば、必ず治るよ。そしたらまた家に帰れるんだよ」
といいきかせた。しかし、一年たっても、二年たっても、病気が治って退院していったものがない。これが患児たちの決定的な事実であった。親やまわりのものが何と言おうと、今目の前の事実に接して、いつのまにか患児たちは、わが病気のゆくすえを自覚するのである。入ってきたばかりの低学年の子が、
「早く治って家に帰りたいなあ」
といったりすると、上級生はせせらわらい、
「ばかだな、お前。この病気が治ると思っているのか。だれも治る人なんかいねえんだぞ。この病院を出るときは、仏様になった時なんだぞ」
と残酷に冷たくいい放つ。これで親の気休めのことばなんかいっぺんにふきとんでしまう。入院したての小さい子が、毎晩泣き出して、家に帰りたがるのも無理のないことなのである。やがて涙もかれてしまい、だれもかれも、いやおうなくこの病院生活に繰りこまれてしまう。小さいこぜりあいや、けんかは、日常茶飯事であった。家にいた時のようにわがままもいえず、神経がいらいらして常に欲求不満におかれている患児たちが、激しくけんかするのも仕方ないことであった。健康な子であれば、あたたかい両親の愛情の中に、ぬくぬくと育てられていく時期というのに、この病院では、なにもかにもひとりで生きてゆかねばならないのである。洋介は、病院の上級生として、小さい子の面倒もよく見たし、けんかの仲裁もしてやった。しかし、洋介に、今重大な転機が訪れてきたのである。
今、自分のことでせいいっぱいであった。自分の力で決断する時がきたのである。
 二学期にはいるとまもなく、車椅子が洋介のところへ運ばれて来た。乗ってみると、車椅子は疲れず、手で漕いで、自由に動くことができた。洋介は、ほっとした気持ちと同時に、さびしさも感じていた。自分の足で立つ、それは、もはや夢の中でしか出来ないことである。救われるのは、洋介の同級生の多くが、洋介よりずっと早く車椅子生活に入っていることであった。俺だけではない、他の人の体も、ともに病気が進行しているのだ。手で漕ぐ車椅子の後、電動車椅子(これは近年になって使用されるようになったのだが)にそして躯幹の維持が不可能になると、リクライニング式の車椅子に、そしてついにはベッドに寝たきり、そして人工呼吸器装着と、この病気は、じわじわと進行し、その先には死が待っている。人は死んで、どこへゆくのだろう。死がこわいと思った。仲のよい友達や、両親、先生にわかれ、たった一人でどこか未知の世界に旅立ってゆくことが、たまらなくこわかった。あと残された短い時間に、何をすればよいのだろう。
 来たばかりの車椅子を洋介は、ピカピカに磨きあげた。この車椅子は、もはや洋介の体の一部なのだ。自由に、わが意志の通りに動いてくれる車椅子に、心からお礼をいいつつ、これから何年、この車椅子といられるのだろうと思う。車椅子よ、たのむぞ、俺から離れないでくれ、洋介はそういって、車椅子に、母が旅先から買ってきてくれた、キイホルダーをぶらさげた。
 その年、洋介は、養護学校中学部一年になっていた。学校は、夏休み。外泊している人も多く、病棟は閑散としていて、洋介の周りには、だれもいなかった。いつものようにスケッチブックを出して絵を描いていた。洋介の絵のうまさは、周りのものだれもが認めていたので、だれかれとなく、スケッチブックやサインペンを彼のために買ってきてくれた。いつものように、人物画を、すべりのよいサインペンで描いていると、いつのまにかそれは、髪の長い女の裸像になっていた。尻をまるく大きく描き、乳房をつけ、腰をくびれさせると、たちまちその裸像は描きあがる。それを眺めていた洋介の下腹部が、熱く大きくふくらむのを感じた。すると、洋介は、ズボンのチャックをおろし、ふくらみ切った自分のものをあらわにした。そのものは、もはや洋介の意志とは無関係に息づき、蠢いていた。目は、自分の描いた裸像から離さぬまま、両手でゆっくり、時々は早く、しごき、あつく、かたい自分のものをもてあそんだ。洋介は、いつか空想の世界に引きずりこまれる。花の美しく咲き乱れた、甘美な泉のほとりに、洋介の描いた裸の女たちが踊り、洋介のまわりにやってきては、肌をすりよせて来た。洋介は、いつのまにか、甘い花の香りにひきよせられ、うっとりとしている。その洋介の体に、ゆるやかな波が寄せたり、引いたりして、頂点に到達した時、洋介のものから白く、ぬめぬめしたものが噴き出した。目がくらくらして、じっとしていられなかった。われにかえったように、チリ紙で、濡れたわがものをすばやくふきとって、ズボンの中にしまいこんだ。あたりには、だれもいない。おわってしまうと、うしろめたい、悪事をはたらいたような感じがして、自分自身を責めた。裸の女は、太いマジックで黒々と塗りつぶされ、散乱したチリ紙は、あつめられて、くずかごに投げこまれる。
 洋介が自らの手で快感を求めるようになったのは、他の人よりずっと早く、むろんこれが初めてではなかった。小学校五年の時からであった。早いころは、週刊誌のヌード写真を見ながら、その行為にひたった。短時間のうちに、それは、洋介を未知の、甘美な世界に誘ってくれた。週刊誌のないときは、自らの絵の才能に頼った。雑誌の写真ほど鮮明ではないが、洋介の欲望に火をつけるための道具だてには、これで十分であった。洋介は、風景や静物画を描くのにも得意であったが、女の裸像を描く時は、いい知れぬ喜びを感じた。絵のうまい洋介だけが浸ることのできる世界であった。人に隠れてやるこの行為は、どこか罪の意識が残っていた。おわったあとのけだるさとともに、こんなことを続けていたら、自分がだめになってしまうのではないかという、自責の念にさいなまれた。
 看護婦の山里小夜子に恋したのは、そのころであった。車椅子にのせてもらったり、おろしてもらったりは、当然看護婦の手を借りなければならない。たいていの場合は、二人で、一人の看護婦が、両腋に手を入れて、もう一人で足をもって車椅子に移してくれるが、手の足りない時は、赤ん坊をだっこするようにして看護婦に抱きあげられた。
 洋介は、何かにつけて、山里看護婦に介助をたのんだ。山里小夜子は、まだ看護学校を卒業して二年しかたっていない、小柄で、丸顔、笑うと笑くぼが出来て、八重歯が見える。山里小夜子が近くに来るのを見て、洋介は、やれ車椅子にのせてほしいとか、本をとってほしいとか頼んだ。山里小夜子は、いやな顔ひとつせず、すぐ来てくれた。ほかの用事で手が離せない時は、「これおやしたらすぐいくからちょっと待っててね」とやさしくいって、返事をしなかったり、荒々しく拒否したりすることはない。
 入院患児にとっては、世話してくれる看護婦の批評が最大の関心事であった。気の短い看護婦、ことばの荒い看護婦、気分にむらのある看護婦、患児は、たちまち看護婦の性格を見抜いてしまう。白衣の天使などといわれ、いつも献身的で、親切で、優しく看護してくれるというイメージは、外から見た看護婦像である。白衣の下には、いろいろな性格をもった生身のドロドロした人間が蠢いていて、いつもそれは、介助なしに生きてゆけない筋ジスの患児とぶつかる。看護婦の手のかからない、素直な患児は、みんなからかわいがられ、いつもわがままばかり通そうとする患児には、看護婦は近づきたがらない、わがままな患児が、看護婦を独占するように、あれこれたのむと、
「私は、あんたの召使じゃないのよ」
とつめたくつき放される。
 病院の方からみると、四十の病床に対して、医師、看護婦、理学療法士、指導員、保母、栄養士など、いろいろな職種が、それぞれの仕事にあたっている。定員職員二十七、賃金職員十三、が国の基準とされている。
 排便、食事、車椅子ののりおり、衣服の着脱、体位交換、どれ一つとっても、手のかかるこの筋ジス病棟では、深夜はわずか三人の夜勤看護婦によって管理されている。看護婦たちにとってかなりきつい職場である。体重のある患児を抱きあげたりするため、腰を痛めている看護婦が多い。患児の方からみれば、どんな時が一番、用事をたのみやすい時なのか、ちゃんと、研究していて、要領のいい患児は、さっと自分の用事をたのむ。内気で声も小さい患児は、いつまでも排便の介助をたのめず、ついには、シーツを汚してしまうこともある。
「だめじゃないの、どうしてもっと早くいってくれないの」
 看護婦に叱られてしょんぼりしている。四十人の患児の熾烈な生存競争というべきかも知れない。そして、だれもが、待つことに慣らされる。体位がきまらなくても遠慮して我慢する。待つこと、がまんすること、それは四十人の筋ジス患児がいやおうなしに体得しなければならない生きてゆくすべであった。
 病棟の看護婦の中で、若く、親切な山里小夜子は、患児たちの憧れの的であった。山里小夜子に抱きかかえられると、小夜子の化粧の匂いや、体全体から発散するなんともいえないいい匂いが、洋介の嗅覚をくすぐった。
 七月のおわり、入院している洋介たち一行は、療養所のマイクロバスで、近くの海に海水浴に出かけた。医師から注意を受けたあと、職員に抱きかかえられて、海に入った。泳ぐというのではなく、文字通りの「海水浴」であった。山里小夜子も、ここに参加して、患児たちの面倒を見ていた。日頃、病院にいるときには、白衣をつけて、きりきりと動いている姿しか見ていない洋介には、水着姿の看護婦は、まるで別人を見るようで、まぶしすぎた。看護婦たちは、むろん、肌が多く露出した刺激的な水着をつけているものはいなかったが、洋介には、身近に見る水着姿の女の人は初めてであった。小夜子の水着は、淡いクリーム色のものだった。体に密着した水着から、小夜子の体の線があらわになっていた。胸のふくらみや臀部の丸み、髪の毛のはえぎわの白い膚など、洋介は、正視することが後ろめたかった。体にぴったりついた小夜子の水着が洋介の視線の中で、別な動物のようなものに変身してゆく。尻のあたりのやわらかな肉づき、腰の締まった体つきは、いつのまにか洋介の目を釘づけにしてしまった。洋介の下腹部が炎のように熱くなっている。洋介のそれはむくむくと成長をはじめ、洋介の海水パンツをしきりにつきあげた。あわてて、手でおおいかくそうとするが、いつまでも萎えることがなかった。だれかに見られているのではないかと、気になったが、洋介のそれは、意志と無関係に、いつまでも熱く、別の生き物のように蠢いていた。下腹部を貫くような、いたみとも快感ともつかぬものが走りぬけ、洋介は果てて、肩で大きく息をした。ぬめぬめした白い精液は、海の中で洗い流せばだれに知られることもない。こんなことを続けていいはずがないことはよく知っている。でもどうすることもできない。洋介の体のどこかに潜む、もう一人の荒々しい獣のしわざの前に、それにかしずく下僕のような洋介の肉体であった。一度、小夜子に抱いてもらって、果てることができたらと思う。むらむらと小夜子の水着の下にある白い肉体が、洋介の脳裏に浮かんでくるのだ。
 その山里小夜子が、洋介の病棟から、別の病棟へ配置がえになるといううわさが流れたのは、海水浴がおわってまもなくのことであった。毎年十月は、この療養所の勤務交替の月にあたっていた。この療養所は、一つの病棟に長く職員を勤務させるということはなく、二年ごとに特別の理由がない限り配置がえさせることになっていた。もとより、中学生の洋介に、そんなことがわかるはずがなかった。山里小夜子の配置がえを知った洋介のうろたえ方は、尋常でなかった。洋介の心の中の灯を消される思いでもあった。なんとかして山里看護婦を、この筋ジス病棟に長くいてもらうためには、どうしたらよいのだろう。それは、山岡婦長に直接たのむしかない。それが洋介の唯一の実力行使だった。
 ある日、洋介は、思いあまって、ナースステーションを訪れた。山岡婦長は、机に向かって、書きものをしていた。洋介が中にはいってゆくと、顔をあげ、
「あら、洋介君。何か用?」
とけげんな顔をして、洋介を見た。
洋介は、前おきもなく、
「婦長さん、山里看護婦さんを配置がえさせないで下さい」
といった。あまりに唐突な洋介の申し出に、山岡婦長は、びっくりしたように、洋介を見た。
「あら、そんなこと、どうして知ったの。耳が早いわねえ……。そうね。山里看護婦さんは、きれいで、やさしくて、みんなから、お姉さんみたいに思われているもんねえ」
といって、しばらく考えこむようにしていた山岡婦長は、おもむろに口を開いた。
「洋介君が、山里看護婦さんにどこにも行ってほしくないというのもよくわかるわ。私だって、山里看護婦さんに、いつまでもいてほしいという気持ちなのよ。でもねえ、山里看護婦さんは、洋介君だけの看護婦さんじゃないのよ。この療養所に入院しているみんなの看護婦さんなのよ。ここで仕事をしていて、出てゆく番が来たら、ちゃんと出ていって、他の病棟の世話をしなくちゃならないのよ。他の病棟だって、山里さんみたいな、優しい人から世話してもらいたいと思っている人がいっぱいいるのよ。わかるわね」
 山岡婦長は、洋介の目を見つめながらいいきかせた。そのシビアな言葉を、洋介はだまって聞いていた。これまでの洋介の甘い期待は、こうして打ち砕かれてしまった。山里小夜子との別れは、決定的となった。
 その日から、洋介は、小夜子のために贈り物をしようと決意した。それは、洋介の得意な小夜子の似顔絵であった。この制作には、人に見られないように、細心の注意を払った。ベッドとベッドの間にしきりはなく、カーテンを一枚引くだけである。何とか、プライバシーの保てる所をほしいと思っても、それは無理なことである。ナースステーションから病室全部を見回せて、管理に手落ちのないようにすることは、病院の最優先課題である。薄暗いベッドの片すみに、スケッチブックを隠すように、色鉛筆で、何回も色を塗り重ねた。モデルにした写真は、洋介のアルバムから剥がした小夜子のスナップ写真だった。小夜子は、病棟の中で、白のナースキャップ、白の上衣、スカートと白ずくめだったので、洋介は、この小夜子の似顔絵に花柄のワンピースをつけることにした。洋介の好きな、ピンクの朝顔の模様にした。それを着せて、小夜子の姿は、一層大人びた感じに見えた。
 いよいよ、小夜子の最後の勤務の日が来た。長い間、少しずつ、丹精こめて描きあげた小夜子の似顔絵も、その前日に完成していた。小夜子のその日の勤務は、半日でおわった。勤務が終わってからも、みんなから離れがたいように、みんなと遊んだり、お菓子をつまんだり、コーヒーを飲んだりした。大分時間がすぎて、あたりが暗くなるころ、
「それじゃ、私もそろそろ帰るわね、みんな元気でね」
といって、みんなの見送りの中を小夜子は去っていった。洋介は、見送るみんなと反対に自分のベッドにもどると、小夜子へのプレゼントの絵を車椅子のポケットにまるめて入れ、一人、長い廊下へ出て、小夜子を追って車椅子を漕いだ。車椅子は、タイヤをきしませつつ、ようやく、小夜子のところまで来た。
「これ、看護婦さんにあげるよ」
と、輪ゴムでとめた絵を差し出した。小夜子は、その絵を広げて、
「まあ、これ洋介君が描いてくれたの、ありがとう、大事にするわね」
と目を細めていった。
「洋介君も、病気になんか負けずに、元気でいるのよ」
 小夜子は、両手を開いて洋介の頬をおさえ、洋介の額に、自分の顔を軽く押しつけた。小夜子の化粧の匂いが、洋介の鼻を刺激した。小夜子の目に、うっすらと涙の浮かんでいるのを洋介は見た。洋介の胸が、急に締めつけられるような気がした。小夜子は、何回もふりかえりながら、薄暗い渡り廊下の奥へ消えていった。一人ぽつねんと洋介はとりのこされて、いつまでも動かなかった。洋介がこの病院に入院した七年前、母ナミは、洋介一人を残して家へ帰っていった。いつも、洋介は、一人とりのこされる。死ぬときも、父や母よりも、先に、一人でいかなければならないのだ。親より先に逝く不幸ということばがある。人の手を借りずに生きられず、そのあげく親に先立つ不幸を重ねるのか、これからどう生きていったらよいのだ。洋介の車椅子は病棟の渡り廊下から長いこと動かなかった。

 
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