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「心までは萎えず」 | 第三小説集『さつきの花』

心までは萎えずworks

心までは萎えず 4

 洋介がプロレスの魅力にとりつかれるようになったのは、小学校の早いころからだった。プロレスの洋介と、級友たちはうわさしあった。体につけるものといえば、短いタイツとシューズだけ。肩や腕に筋肉がもりあがって激しい闘志をむき出しにした二人が、肉体の極限まで闘いぬく。洋介だけでなく、筋ジスの子供たちは、一様にプロレスが好きであった。自由に動かない肉体の代償行為なのであろうか。自由に動き、走り、跳びたいという願望を、スポーツを見ることによって、満たそうとしているのかも知れない。洋介のプロレス狂は、そのプロレスラーのブロマイドを集めることからはじまった。むき出しの敵意と激しい気迫で相手にたちむかってゆく。脳天を割られ、顔面、血だらけになっても、なおひるむことなく、一層敵愾心を燃やして力尽きるまで闘おうとする、洋介は、プロレスのそうしたところが好きであった。
 洋介の好きなレスラーは、前NWFヘビー級チャンピオン、アントニオ猪木であった。長くつきでたあごが特徴的で、身長一九三センチの長身、相手をにらみつけるような鋭い視線は、獲物をねらう鷹のようなところがあった。猪木は、昭和十八年に横浜に生まれ、五歳で父に死別、祖父は、猪木をつれてブラジルにわたったが、ブラジルへゆく船の中で息をひきとった。
 ブラジルの農園で仕事を手伝っていた時、ブラジルにやってきた、日本プロレス界の草分け、力道山に認められて日本にもどってきた。プロレスラーとしての猪木の生活が始まったのだ。それから、猪木の血を吐くようなトレーニングが始まる。プロレスは、世界の格闘技の集大成といわれ、これほど徹底的に肉体と精神を鍛えぬく格闘技は、他にないといわれる。昭和三十五年、猪木ははじめてリングの上にのぼった。相手は、後にジャイアント馬場と共に日本プロレス界の三羽烏ともいわれた大木金太郎であった。この試合に猪木は、徹底的に敗北し、猪木の闘魂を一層燃えあがらせる結果となった。昭和三十八年、力道山が死ぬと、アメリカ遠征に出かけ、昭和四十一年に帰ってきた。その年、アメリカのジョニーバレンタインを破り、プロレスラーとしてはじめてチヤンピオンベルトを締めた。その猪木の宿敵が、インドの狂える猛虎といわれるタイガージェットシンである。このシンの虎のツメとよばれる窒息締めに猪木も苦しめられた。これに対して、猪木の得意技は、アバラ折りともいわれるコブラツイスト。背後から立っている相手の左足の内側にこちらの左足をかけ、こちらの片腕を肩ごしに相手の首にまきつけ、こちらの両腕で相手の体を一気に絞りあげる。この技は、背の高い猪木に最も適した攻撃であった。猪木の闘志は、このコブラツイストの技と相まって、いやがうえにも燃えた。これにさらに改良を加え、立ったまま相手を攻める卍固めという技をあみ出した。
 その瞳れのアントニオ猪木が、同じ仲間のジャンボ鶴田とともに、洋介の通う養護学校を訪れたのは、洋介が高等部三年の時である。このころ、洋介は、躯幹の筋肉の萎縮がすすみ、車椅子から、寝たままのリクライニング車椅子の生活に移行していた。今まで、テレビを通してしか見られなかったこのプロレスラーを、目の前に見られるなんて、夢のような気持ちであった。アントニオ猪木の見上げるような高さの背に改めておどろいた。坐っているパイプ椅子が、小さく、こわれるかと思えるほどであった。K市のプロレス試合のあい間をぬってこの学校の生徒の激励に来てくれたのであって、あまり長い時間ではなかったが、洋介は、学校を代表して、お礼のことばを述べた。この日は、洋介にとって最高の日になった。洋介のために「燃えよ闘魂! アントニオ猪木」と色紙にサインしてくれた。その色紙は、洋介のベッドの脇に額に入れて飾られてある。
 それから、近くの市にアントニオ猪木が巡業にくると、家の人にねだって、洋介は、リングサイドまで、何回か連れていってもらった。このころ、岬恵三は、洋介のために、ワゴン車を改造し、リクライニング車椅子をそのままのせられるようにして、どこまでも連れていってくれた。大ぜいの観客の中で、リクライニング車椅子の洋介の姿は、人々の視線を集めることになったが、中には、洋介のために場所をあけてくれる人もいた。リングサイドに陣どって、洋介は、プロレスラーの気持ちよく動く、盛りあがった筋肉や、肩や腹に噴き出す汗を食い入るように眺めた。それを見ていると、洋介の萎えた体に、パチパチと電流が走り、体中の筋肉がよみがえって生気をふきこまれるような気がした。アントニオ猪木は、その長身を生かして、洋介の目の前で、見事にコブラツイストを決めた。相手の外人レスラーは、この猪木の怪力に、獣のような悲鳴をあげた。あるいは、猪木の額が割られ、顔面が血で染まり、見えぬ目で、猛然と相手に挑んでゆく姿も何回か見た。洋介は、おもわず興奮して、掌や額に汗をかいていた。プロレスこそ、洋介の生きている証しであった。
「ヒェー、疲れたな。洋介、お前リハビリ辛いとは思わないかい」
 洋介に遅れて、機能訓練を終えて、もどってきた光一は、ベッドに腰をおろすなり、洋介に話しかけた。
「うん、このごろは特につらくなったよ」
洋介も答えた。訓練の内容がかわったわけでないのに、今まで楽にやれたことが、やけにきつく感じるようになった。
 この病気は、使わないところから関節の拘縮がおきてくるので、リハビリは、重要な意味を持っていた。装具をつけての起立訓練、暖かい布を筋肉にあてて、筋肉を柔らかくする温湿布、肺機能の低下している者には、酸素による呼吸訓練、理学療法士によるストレッチなど、それぞれの体力にあわせてメニューがきめられている。光一も、同じ内容でも日を追って疲れるというのは、それだけ筋力が低下していることを意味していた。今まで出来たことが身の周りのことでもできなくなってゆく。食事でも、汁の入った茶わんを口にもってゆくことが出来なくなって、みそ汁をストローで飲まなくてはならなくなった。同じ姿勢でいると疲れるらしく、「尻がいたい」「腹がいたい」といって、体をもちあげてもらったり、体の向きを変えてもらわなければならなかった。体位交換が、一時間に一回から、三十分に一回、十五分に一回というふうに、回数が増えていった。光一の肉体はくの字に折れまがり、変形がますます進んでいった。いつも体がいたく、苦痛をこらえていると、内臓に負担がかかり、顔面蒼白となり、学校から病院にもどってくる回数も多くなった。変形による内臓への圧迫から、吐き気をもよおすこともあり、排便時の腹圧不足から便秘になったりする。
 そうなってくると、医師も療法士も、そろってリクライニング車椅子にのることをすすめる。まわりから、リクライをすすめられても、患児たちは、それに移行するのをいやがった。リクライニング車椅子は、苦痛が消えるかわりに、自由を手放すことになる。今まで、自分の手で電動車椅子のスイッチを入れ、ハンドルを動かすことによって、自由に病棟と学校を一人で往復し、手先を使って、絵を描いたり、本のページをめくったりすることも出来た。リクライニングは、その自由のすべてを失うことになる。自由を捨てて、安楽の道をとるか、苦痛を押して、自由を手に入れるか、筋ジス児たちの、だれもが、通らなければならぬ関門なのである。回復の望みがなく、進行するばかりのこの病気は、歩行から車椅子へ、車椅子から、寝たきりの状態にすすめば、再び前にもどることはない。
 光一の病状は、洋介より早く進行した。授業中も、何回となく、体の持ち上げを頼むようになり、顔色も冴えなかった。
「いつまでも意地をはって、無理して車椅子に乗っていると、体がどうかなってしまうぞ。牧野先生も、これ以上光一の車椅子は無理だといったぞ」
 時あるごとに、療法士から、光一は、リクライへの移行をすすめられていた。しかし、光一は、どうしても、ウンといわなかった。部屋に帰ると、洋介は、その光一を励ました。
「光一、お前にだけ痛い思いをさせておかない。俺もがんばるから、お前も負けるな。リクライになってしまったら、そのあと残されているのは、死しかないんだ」
「なにこれくらい。お前が大丈夫なのに、俺がまいってしまうことはないさ」
 光一は、洋介にいいかえした。それは、光一の強がりであることを、洋介は気づいていた。光一の口元に、自嘲のような笑いがあるのを、見てとった。
 病棟の窓から、桜の青葉が、五月の光りをはねかえしているのが見えた。つい一カ月前、花びらを散らしていたばかりの桜は、今青葉を一面に茂らせて、確実に季節は、動いていた。光一が、リクライニング車椅子にかわったのは、高等部一年の五月末であった。
 学校がおわり、病棟でおやつのあと、光一は突然、
「看護婦さん、リクライの車椅子にのせてほしいんです」
といい出した。光一は仲のよい洋介にも、この話はしていなかった。看護婦は、一瞬「えっ」といって、目を丸くしたが、すぐ納得したようにうなずいた。
「そう……でも、あんなにいやがっていたのに、そんなにあっさりきめてしまっていいの」
「たしかに、この間まで、自由がきかなくなるより、苦痛をがまんするとがんばってきました。でも、近頃は、授業を受けていても、痛くて、勉強に身がはいらないんです。何かやろうと思って、神経を集中しようとしても、痛くて、そちらばかり気になってしまい、何もできないんです。それでも、病気に負けたくなかったから、なんとかもちこたえようとしたんだけど、もうこれ以上はむりです」
 光一は、一気にいった。今まで苦痛をもらしたことのない光一だったのに、洋介の知らないところで、光一は、一人でじっと苦しんでいたのだなと思った。
「わかったわ、光一さん。それでもう悔いはないんですね」
「はい、お願いします」
と光一はいった。看護婦が去ったあと、
「俺って根性がないんだよなあ、意気地なしなんだよなあ」
と光一はいって、涙で顔をくちゃくちゃにしていた。
「光一、泣くなよ。お前は、やれるだけのことはやったんだから、悔いはないだろう。最後まで弱音を吐かなかったじゃないか。リクライになったら、こんどは、そこでやれる何かを探せばよいのさ。俺だって、お前のすぐあとからついてゆくから」
 洋介はいった。それは、光一を力づけるとともに、自分にいいきかせることばでもあった。今までの洋介は、光一より進行がゆるやかで、彼と別の道を歩いているように思っていた。しかし、洋介は、光一の悔し涙を見て、自分もまた確実に、光一と同じ道を、ほんの少し遅れて歩いているのだと思った。今までは、光一の姿が、はるか前方にあったのに、その距離は確実に近づいている。たった今、光一の通り抜けた険しい道のりを、自分もたどることになるのだと思った。その先に、大きく、口をあけて待っているのは、巨大な暗黒の死である。その底知れぬ死の淵に、胴体がわん曲し、手足の萎えた自分の幻影が立ちすくんでいる。健康な人であれば、そのあと妻を娶り、子をつくり、家庭をなして、自らの手で働いて、収入を得る。そして、老いを迎える準備を少しずつしてゆくことが出来るのに、その人生の半ばも知ることなしに、死を迎えるとは、何と残酷な運命であろう。神は、なぜこんな残酷な運命に俺を投げ込んだのであろう。
 考えてみれば、こうした運命は、なにもこの病気だけではない。かつて、結核がそうであった。この療養所で、何人の若い人たちがもっと生きたいと願いつつ死んでいったであろう。結核は新しい薬と治療法によって、克服されていった。筋ジスも、新薬の発見が新聞に報道されたりして、何年か後には、治療の道が必ず開けてくるはずだ。しかし、それは、洋介の命を長びかせるところにはいかない。健康な高校生が、バイクによって、一瞬のうちに若い命を路上に散らす。
 それを考えれば、この病気は、死への準備がもてるだけで恵まれているのかも知れぬ。この先、どんなことが待ちうけようとも、洋介はそれを甘んじてうけようという気がしてきた。
 光一のところに、ピカピカのリクライニング車椅子が届いた。光一は、おだやかな顔でそれに乗せてもらった。病棟の仲間たちは、激しい戦いに破れて、引きあげてくるボクサーを、タオルをもって迎え、いたわるトレーナーのように、光一を迎えた。
「おう、とうとう観念したな。こいつめ、手こずらせおって。心配したぞ。よく決心したなあ。どうだ、うそみたいに楽だろう。今まで、痛むばかりだったお前の体も、だんだんもとにもどってゆくぞ」
 ひまを見つけてやってきた医師の牧野は、光一を見つけて、はずんだ声でいった。それは、おちこんでいる光一を、せいいっぱい励ます、明るい声だった。光一は、車椅子の上で、てれたような笑い顔を見せた。
 洋介も、光一のリクライの姿を見慣れてきた。よく決心したと喜ぶ反面、あまりにもあっけなく、光一がリクライにしてしまったのに、ものたりなさを感じていた。何だか、さしたるクライマックスもなしに、完結してしまったドラマのように思えた。自分の応援しているボクサーが、マットの前にはいつくばってしまったような悔しさを味わった。今まで必死に守り通してきた自由なのだから、ただ苦痛に耐えることだけに終わらせず、俺はこれをやりとげたんだという何かを残して欲しかった。たとえば、油絵を五枚描きあげるとか、ハーモニカで二十曲マスターするとか、なんでもよいから目標をなしとげてからにしてほしかった。そうすれば、たとえ力尽きて、リクライニングに身を横たえても、他の仲間には、彼の姿はヒーローのようにうつったであろう。ボクサーが死闘のすえ、ようやく相手をノックアウトし、自らも力尽きて、リングの上にへなへなとすわりこむように、その姿は、観客の歓呼のどよめきにつつまれるであろう。
 こんなことを洋介は思っていた。明日はわが身、いざ自分がその立場に立ったとき、どうなるであろうか。その日は、すぐそこに来ている。

 
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