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「心までは萎えず」 | 第三小説集『さつきの花』

心までは萎えずworks

心までは萎えず 5

 高等部三年の秋、洋介は、リクライニング車椅子にかわった。もう立位をとることが困難となっていたのだ。肺機能、心機能ともに衰えていった。洋介が、自分で動かせる部分といえば、まぶたと口、指先くらいのものであった。ライバルの光一は、前年夏、外泊中に自宅でなくなった。
 あの時、洋介と光一は、夏の外泊を前にして、仲よくダウンして、みんなが帰宅したあとも病棟へ残された。それも、しばらくして医師の許しが出て、二人ともどんなに喜んだことか。
「おう、また会おうぜ、いい思い出をいっぱいつくって」
二人は、そういって別れたのに。二週間たって、洋介が病院にもどってきても、光一はいつまでも帰ってこなかった。
「どうして、あいつは帰ってこないんですか」
となにげなく、洋介がきいたとき、看護婦が光一の死を告げた。そのころ、友人が次々と死んでゆくのに、病棟ではできるだけそれを隠そうとして、夜中にこっそり遺体を運び出したりしていた。できるだけ他の人にショックを与えないとする配慮であったが、洋介には奇異に感じられた。洋介は、心の中の何かががらがらとくずれおちるような気がした。かけがえのない友を失ってしまった。あの時、洋介は、生きる目標までも失ってしまった。光一、俺を残して、どうしてお前はいってしまったんだ。今も光一がさわやかに笑いながら帰ってきそうな気がする。洋介は、今、枯れ木のような体をベッドに横たえている。いや応なしに、洋介にも、死が直前に迫っていることを実感せざるをえなくなった。何をするにも、人手をかりなければならない。洋介が出来ることといえば、小さいころから好きだった話や文を書くことしか残されていなかった。病棟という狭い社会、そのベッドに寝たまま、わずかに病院の窓から見える木の葉や空の一部、看護婦のスカート、友だちの姿。それが洋介の世界のすべてであった。それでも、洋介の神経はますます冴え、研ぎすまされていた。その叫びや願い、喜び、悲しみを、文章に残すことによって洋介の心は、狭い病棟からぬけ出し、広い世界にはばたいて、人々の心に映るであろう。それは、洋介の体が滅びても文章は永遠の命を与えられて、生きつづけるであろう。命果てるまでの残されたわずかな年月を、自らの生きて来た記録を残そうと思った。悲しいことにほとんど寝たきりの洋介には、すでにペンをもって、書くことができなくなっていた。しかし、わずかにテープレコーダーのリモコン式のスイッチを操作することは出来た。この指先のわずかの運動機能とそして会話と目の動きくらいしか今の洋介には残されていない。洋介は、まず、この療養所に、入院することになった場面から吹きこみはじめた。
 午前中、入院の患児たちは、ほとんど養護学校へゆき、病棟の中は静かになる。洋介のように、高等部をおえて卒業後も継続療養している人はまだ少ない時期であった。洋介の録音は、こういう時間を使っておこなわれる。洋介の気持ちをくみとって、花田指導員がノートしてくれることもある。一日、数行のこともあった。文字と違って、口述ではよみがえしが出来ず、同じことをくりかえすことがあった。登場人物の名をまちがえてしまうこともあった。しかし、今日、自分が書き残していかなかったら、この難病と闘う洋介の心理は、洋介の命とともに消えてしまうであろう。それは、洋介だけではない。筋ジストロフィー症の仲間のすべての心理でもある。二十数年病気と闘って懸命に生きた記録は、この俺が残さなくて、だれが残すことになろう。洋介の体は動かなかったが、精神はますます冴えていた。憑かれたように機械に向かって語りかけた。少しずつ頁がうめられていった。洋介の自伝小説は、それでもなかなかすすまなかった。まだ、小学校時代のことを書いているうち、次第に、口述も疲れてきた。小説の進行より、病状の進行が早かったというべきなのかも知れない。
 そのころから、しきりに詩を書くようになった。詩は、短く、たちまち完結してしまう。


 車椅子のチャレンジャー

体が動かないと何もできないのかそんなことはない
ハンディは大きいけど
力いっぱいぶつかれば
きっと何かができる
生きている
君は、確かに生きている
熱いたましい
車椅子のチャレンジャー
君にもちゃんとあるのさ
大きな可能性が
よく見てごらん
見つけたものがあるなら
走りだそうよ 迷わずに
ゴールは遠いけれど
見つめている
もえるひとみで 見つめている輝く明日
車椅子のチャレンジャー


 筋ジスOB文芸サークル機関誌に、洋介は、こういう詩を次々に書き出した。書くことが、洋介の生きている証しだった。書くことによって、洋介は生かされているといってもよい。枯れ木のような洋介の体でも、心は春の芽吹きにも似てみずみずしく生き生きとしていた。
 洋介の詩が、障害者対象の「おりづるコンサート」に入選したのは、昭和五十九年、二十四歳の時だった。障害者の作った詩に曲をつけてもらって、発表するのが、このコンサートであった.五月に、県都N市の音楽文化会館で、洋介の詩に曲がつけられ、みんなの前で歌われるという手紙が来た。洋介の詩にどんな曲がつけられたのであろう。入選の報せがきたとき、洋介は、思わずガッツポーズをとってしまった。そのあと新聞社が取材にきたりして、洋介の身辺は、にわかにあわただしくなった。病棟職員から、口々に祝福を受け、洋介は、得意であった。病院に外出願いを出し、家へも連絡した。その日は、たちまちやってきた。朝早く、父母が例によってワゴン車で迎えにきた。病棟から、花田指導員が同行することになった。発表会にいけるのも嬉しかったが、何よりも洋介にとって、病棟から出て、外の空気にふれることが一番うれしかった。外は、小雨まじりのさえない天気だったが、洋介の体調もよく、心もはずんでいた。友人や看護婦に見送られてN市へむけて出発した。車窓から、雨に濡れた、青葉が目にしみた。田植えの終わったばかりの田には、一面に水が張られ、小さな苗が、風にゆれているのが見えた。洋介の肺の中に、緑の空気がいっぱいにつまってゆく感じがした。生きていてよかった。洋介は思った。
 N市に着いたあと、コンサートまでは、まだ時間があるので、高い鉄塔のまわりをくるくるまわって上にのぼってゆくレインボータワーにのせてもらったり、デパートに入って買物をしたりして時間をつぶし、開会直前に会場にはいった。
 曲は、どんどん進み、いよいよ洋介の曲が演奏されることになった。ロングドレスを着た、若い二人の女の人が、舞台の上にあらわれると、ライトが明るくなった。一人は、ピアノの椅子に腰かけ、もう一人がそこに向かいあうようにして立った。二人とも、リクライ車椅子の上からみる洋介には、まぶしすぎるほど、魅力的な美しい女性だった。きけば音楽大学の学生という。洋介は、その演奏を聞くまえに、もう心がどきどきしていた。
 やがて静かな、柔らかいピアノの音が流れはじめ、すきとおるようなソプラノが、会場一ぱいに響きわたると、洋介は、そこにじっとしていられないような気持ちになった。洋介の作詩した曲が、広い会場をいっぱいに埋めた人達の心に滲み透ってゆくのだ。


アトリエ

 (一)

君と二人でとびきりあざやかな愛を描きたい
真っ白なキャンバスに心をこめて
絵の具を塗り重ねてゆくように
君がそばにいてくれるだけで
心に日差しが降り注ぐ
君が好きだよ
一緒に幸せ色の愛を描こう
二人なら出来るさ
ぼくらは今、青春というきらめくアトリエに
いるんだよ

 (二)

君と二人でとびきり大きな夢をつくりたい
何もない塊をすこしずつ
確かな形にしていくように
君が微笑んでくれるから
どんなにつらくても耐えられる
君は素敵さ
一緒に夢のレリーフを刻もう
二人なら出来るさ
ぼくらは今、青春というときめくアトリエに
いるんだよ


 この詩が、健康な若者の恋と夢であれば、平凡な恋愛讃歌でおわってしまうであろう。作詞者の洋介は、枯れ木のような体を、車椅子に横たえつつ、精神は、健康な若者のように愛の世界に悠々と遊んでいる。恋愛とか、結婚とか若者たちが、だれもが憧れ、その実現に心を傾けている時でさえも、洋介には、それは、実現不可能な空想の世界にすぎなかった。作詞者を知っていればなおこの曲は、聞く人に切なく、心の奥底に浸みこんでゆく。若者がその甘い泉の水を掬って飲もうとしている時、洋介一人、なぜ暗黒の闇に向かって歩まねばならないのか、その先に大きく口を開けて待っているのは、恐ろしい死である。こんな理不尽なことが、あっていいのだろうか。今まで、何度、この萎えたわが身を嘆き、世を憤ったことか、もう今は、その時期を通り越した。そして、精神の世界に自由に遊ぶゆとりさえ出来た。洋介の作った歌は、もう、洋介の手元から離れ、一人で歩き始めたのだ。傍らにいるナミは、涙をふいていた。身体萎え、寝たままのわが息子の晴れ姿が、あるいは、これが生きているときの最後の晴れ姿になるかもしれないという思いが胸を衝いてきたのである。
 すべての発表が終わったところで、作曲者が作詞者に花束を贈り、交流を深める場面が設定されていた。洋介のリクライニング車椅子も、ステージの上にあげてもらい、花のような美しい女子大生から、花束を贈られた。看護婦以外、こんな若い女の人を身近に見るのは、初めてのことであった。
「岬さん、おめでとう、これからも病気にまけず、がんばって生きて下さいね」
と励ましのことばを受けた。洋介の胸が感激で震えた。上気した洋介は、自分が、身体萎えて、車椅子に身をよこたえていることを忘れてしまった。こんな人と、恋を語り合えることが出来たら、どんなにすばらしいだろう。
 その時、突然、女の人の傍らにいた母親らしい人が、花田指導員のところへ寄ってきて、「まあ、岬さんのお母さまでいらっしゃいますか、ずいぶんお若いんですねー」と声をかけた。花田指導員は、一瞬、声をのんだように、どぎまぎしてことばが出ない。
「…………。いえ、ちがいます。私、洋介君の病院の指導員をしているんです」
「ああ、これは失礼を」
 傍らにいた洋介の父母も、まわりのものも笑った。ドラマのエピローグは、えてしてこういう喜劇で終わる。洋介は、満ちたりて、病院へ向かう車中の人となった。

 
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