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「漉き舟の水」 | 第三小説集『さつきの花』

漉き舟の水works

漉き舟の水 2

 野地で、リタとトミは、嫁姑の女手だけで、一冬中紙漉きをしていた。リタが、下ごしらえした紙素は、トミがもっぱら漉いていた。紙漉きは、寒さとの我慢くらべである。紙素とネリを溶かしこんだ漉き舟の水は、手が切れるほどだ。漉き舟の下に、お湯を入れた桶を置いて、赤くなって、感覚のなくなった手を、時々そのお湯の中であたためては、また漉き続けた。寒紙といって、大国和紙はこの厳冬期の紙が、最高である。春先、あたたかくなってしまうと、しまりのない紙になって、紙買いには買い叩かれる。夏に漉く紙は夏紙といって、鼻紙くらいのものにしかならない。むろん、今、夏は、農作業があるのでとても紙など漉いていられないが。
 橋本家の玄関脇の一坪ほどの場所が、トミの紙漉き場である。この野地は、どこの家でも、この場所に紙漉き場をもっていた。玄関に入ると、こちゃこちゃという紙漉きの音が聞こえたものだ。夜なべ仕事にやる紙叩きの音がドンドンと聞こえていて、お互いに競争して紙を漉いた。その音も、橋本家が最後の一軒となってしまった。紙漉き場の真ん中に漉き舟を据えて、右側には、漉き上げた紙を重ねておく。左側には、簀桁からはずした紙のついた紙簀をたてかけて、水を切る。昔からの大国和紙は、横一尺三寸、縦九寸二分ときまっているから、簀桁も、その大きさに作られている。
 野地を離れる二、三年前から、リタが紙漉き場に入るようになった。トミがひざの痛みのため、歩くのにやっとという状態になったためである。リタの漉く紙は、トミほどうまくなく、紙の厚さも不揃いであった。五郎の不在の冬は、一家の主人としての仕事もまわってくるので、リタが紙漉きに集中できる時間が短くなる。屋根の雪おろし、家のまわりの除雪、外部から紙漉きを見学にいろいろな人がやってくる、その相手もしなければならない。テレビ局の人がくるかと思えば、学校の先生や、絵描きがやってくる。そうした人の相手は、時間ばかりくって少しも仕事にならない。それでもトミが、お昼の汁はあたためてくれ、ごはん炊きもしてくれる。朝十時と午後三時には、せまい紙漉き場を出て、お茶にする。
 一日中漉き続けても、一日一束四百枚漉ければよいほうである。一日漉いた紙の束は、上に木の板をのせて蓋にし、そのまま軒下の雪の中に埋める。これをカングレとよぶ。雪の重みで水を切るとともに、雪という天然の貯蔵庫を利用するのである。
 春先雪がとけ出すと、毎日、このカングレが雪の下から顔を出さないように、見回りして雪をかぶせる仕事もでてくる。四月になって毎日、天気が続いて、暖かい日がもどってくると、このカングレを掘り出して、紙干しがはじまる。雪の上にならべた紙干し板に湿紙をはりつけて、天日乾燥させるわけである。
 橋本家で漉いた紙は、凧合戦で有名な三条の凧屋さんがまとめて買ってくれる。橋本家の紙は丈夫の上に軽く、凧が川におちても紙が溶けて川を汚すことがないといって評判がよい。橋本家にも、凧屋さんからもらった大きな鍾馗の絵の描いた凧が飾ってある。
 K市郊外の団地に住むリタの手元に、この時漉いた五束の紙が保存されている。ここまで紙買いにくる人はいない。野地から離れてしまった橋本家に、大国和紙が保存されていることなど、だれも信じないだろう。これは、リタの紙漉きの記念品ともいえる。六十近いリタから、紙漉きを除いて、何があるというのだろう。掃除婦としての仕事くらいが、ちょうどあっているのかも知れない。
 新しい年があけて、三月になると、橋本家を再び沖津が訪問した。そして、野地に東京の人が家を買って住みついた話をした。
「こんど、野地に、東京の人が、家買ったそうですよ」
「へえ、ものずきの人がいるもんだのう、あんげの山の中のどこがいいがんだろう」
「都会は、やたら、高いビルは立つ、人ばかり多くて、気が休まらないというんですよ。野地のような緑がたくさんあって、人情の豊かなところで暮らしたいんじゃないんですか」
「だろも、あっげのとこで、どうやって暮らしていくがんだろう」
「絵を描くとか、脚本を書くとか、都会に住んでいなくても、できる仕事をもっている人なんだそうですよ」
「へえ、そっげの人が、またよりもよって、どうして野地なんかに来たがんだろう。他にも野地みたいなどこはいっぺいあるてがんに」
「それも、ここの家の紙漉きを見てからだそうですよ。東京の劇場で、紙漉きの芝居をやるというので、実際に紙漉きの場面を見学にきた時からというそうですが、おぼえていますか」
「そういわれれば、そっげの人が来たようなこともあったようだが、このごろ物忘れがひどくなって…年だかのう。そっげの人がきて、野地の人は、たまげるだろう」
「野地の人は、あんまり信用していないようですね。どうせすぐ、退屈して帰るに違いないって」
「そんにしても、野地は、これからどうなってゆくがんだろうのう。村の人はどんどん出てゆく、そのかわり東京の人が住みつくがんだろうか」
 沖津の話は、リタとトミには、おどろくことばかりだった。橋本家を買ったのも、その東京の一人で、芝居をやるとき、脚本を書く人や役者や、音楽や照明やらやる人を集めて、いろいろなところへ企画を売り込む仕事をする人だという。リタやトミにはもちろん沖津にもよくわからない職業だ。何しろ、その野地に来た人が「野地芸術村」と名のっているという。芸術なんていったって、根からの百姓で紙漉きのリタにわかろうはずがないリタが漉いた紙が芸術品だというのである。
 五月のはじめ、リタは、野地に残したものを始末するため、良一の車にのせてもらって久しぶりに野地に出かけていった。雪が解けたばかりの林は、青い芽がふき出し、山菜とりの車が、坂には止まっていた。見なれた山や林も野地を後にした三年前とかわらない。
 リタの住んでいた家は、改装工事の真っ最中だった。この家を舞台にして、連休の間に芸術村フェスティバルとやらが開かれるという。
「そのフェスティバルてや、なんだい」
と野地の人にきいても、
「よくわからねえろも、お祭りみていのがんだねえろうか」
と答えるだけである。
 入口のまや口は、すっかりこわされていて、新しい座敷の口が玄関になっていた。リタの紙漉き場は、まや口の便所脇にあったが、ここはそのあとかたもない。まわりに、真新しい壁板が張られていた。野地のどの家も、二つの玄関口をもち、まや口が日常の出入の場所であり、座敷口は、結婚の嫁の入り口であり、葬式の棺の出口でもある。特別な出入りの場所なのである。この座敷口から、お経をよむ寺の坊さんが出入りするので、通常、何かの用事で村の人が座敷口から入る時も、「お寺さんみていで悪いろも……」
とことわりつつ入ってゆく。東京から来た人に、そんなことがわかるはずがない。庭先に紙干しに使う三本足のキョタツ(脚立)が投げ出されてあった。木の枝が三本に分かれている上下を切ったばかりの、道具ともいえないこのキョタツを初めて見た人には、これが何のために使うのかわからないのも無理はない。このキョタツの上に、紙干し板をのせて湿紙をはりつけたり、はいだりするのに台として使う道具なのである。紙漉きの桶やら、タタキに使う板、タタキ棒などは、そっくり残っていた。道具は、そのままにして、将来は、ここで再び紙漉きをやってもらうつもりだという。そのせいか、台所のわきに、三畳くらいの部屋があり、ここで紙漉きをやってもらうらしい。前の物置小屋の中は、まだそっくりしていた。ここには、いろいろな百姓の道具がしまってあった。橋本家で、まだきれいに片づけが終わっていないのに、東京の人がやってきて、改装工事にとりかかったのである。あまりにもあわただしく、こまかい道具もそのままになっていた。山水の書かれた一双の屏風は、橋本家に代々伝わったもので、おめでたい時には、これを立てかけて、やってきた人に見せたものだった。これを、新しい家に運ぼうとしてやってきたのに、屏風は、床の間に飾られてあった。明日は、この家が、ごぜ宿になって、この屏風を背に、三昧線がひかれるという。そんなところにのこのことやってきて、いくらなんでも、これは、俺のものだと屏風を持ち出すことはできない。もはや、この家は、人手にわたっているものなのである。どの人がわが家を買ってくれた人なのだろう、あいさつくらいしなければと、きょろきょろして、それらしい人を捜すが、大工さんが、まだ工事していたり、大ぜいごたごたとあわただしく人が出入りしているので、見つけることはできない。そのまま、良一の待っている車にリタは、引き返した。ここには、もうリタを迎える家はないのだ。何の気兼ねなしに、手足を存分に伸ばして、眠る家はないのだと思った。リタの姿を見つけた野地のだれもが、
「おめえさん、きたかい。元気だったかい。ばあちゃんはどっげだい」
と寄ってきて、車の中に、ジャガイモや、雪の中から掘り出した三月菜の束をほうりこんでくれる。
「あした、おめさんどこの家で、ごぜ唄きかしてくれるというが、おらうちへ泊まっていがんかい」という人もいる。
「あい、ありがてえろも、むこうでやらんけやならねえ仕事もあるすけ、帰らしてもらおうぇ」
とことわって、リタは、車にのりこんだ。何代にわたって、ここに住みついで来た家でも一度捨てて、村から出てしまえば、よそものである、五郎や広美の墓はあるが、そんなに度々来るわけにはいかない。もうここに、リタのいる場所はないのだと思う。良一の車はごとごとと野地の急な坂を下った。

 
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