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「漉き舟の水」 | 第三小説集『さつきの花』

漉き舟の水works

漉き舟の水 3

 二、三日してから、沖津がまたやってきた。
「きょうは、珍しいもの持ってきました」
といって、カバンの中からビデオテープを出した。そこには、改装の終わった橋本家の姿が映って、大ぜいの人がつめかけていた。その中には、見覚えのある野地の人達の顔もあった。
「これは、ろくえんのじさまだがな」
「しおでのあねさもいる」
 リタとトミは、食い入るように画面に見入って、知っている人の顔を探した。目あきの若いごぜさの語る、葛の葉の子別れは、小さいころ、野地にやってきたごぜさから聞いた記憶が、リタにもある。こんなごぜ唄が、橋本家の出居(客間)で語られるとは。出居は、仏壇と床の間のある部屋で、上等のお客の接待の場である。そこに、例のあの屏風をバックに三味線をもったごぜさがすわり、それをかこむようにして、大ぜいの人が座っていた。見知らぬ人が多いのは、このために、外からやってきた人たちだろう。
「たまげたのう。家にこんげに人が集まったなんて……。野地には、村を出る人がいっぺいいるかと思えば、またこんげな人がくる。わからねえもんだのう」
 ビデオが終わったあと、リタはつぶやくようにいった。
「だから、世の中は、おもしろいんですよ」
沖津が応じた。この冬は、野地の空き家を、町で買って、改修して、『芸術村会館』として町からやってくる人をとめてやったり、紙漉きを体験させたりしようという計画がすすんでいるんですよ」
「へえ、そんげのことして、人がくるんだろうか」
「それが、何しろバス会社が、人を募集して、観光バスがやってくるという話があるんですよ」
「おらには、たまげるばっかだのう」
「ここの家だって、あと二、三年、野地にふみとどまって、紙漉きを続けていてくれたら、出番が来たかも知れませんよ。そうせば、上の人に気兼ねして、勤めに出るより、好きな紙漉きだけしていれば、生活は、できるんじゃないですか」
 リタも、この沖津の話に、少し心動かされた。こんなちっぽけな町の郊外の家を買うのに、二千万も出すのであれば、野地で生活が出来るほうがよっぽどいい。デパートの掃除婦なんて、やれ掃除のしかたが悪いの、商品をよごしたというだけで、上の人にこごとをいわれて、じっとがまんしていなくてはならない。これも金のためだといいきかせて、リタはじっと耐えている。家を買うためにした借金も、月々返していかなければならないし、トミの病院に通う金だってばかにならない。まだまだ、若造の良一の働きなんか、とても頼っていられない。
「こんな仕事いやだったら、いつやめてもらってもいいんですよ。パートの申し込みなんか、いっぱいあるんですから」
 勤め先の上司は、口ぐせのようにいう。このデパートは、二交代制で、開店前に掃除する人と、閉店後に掃除する人は、また別々の人を使っている。リタは、朝の当番なので、出勤は早いが、午前中に仕事はおわってしまう。一日中働ける仕事があれば、今の倍のお金をもらえるのにと思うが、リタくらいの年になると、使ってくれるところは限られているのである。あの野地に踏みとどまって、紙漉きを続けてさえいれば、大いばりで自分の好きなことをやっていられたのに、沖津の話がほんとうだとすれば、都会からやってきた若い女性たちに、紙漉きのしかたを誇らしげに教えてやることもできる。
「今、野地の芸術村の会員で、野地に住みついている中山さんという人がいるんですが、この人は、大国紙を使って、切り絵をしようというんですよ。ただ大国紙をそのままで売るんでなくて、これを美しい切り絵に刷って売れたら、町の人はよろこぶでしょう。あの芸術村会館で、中山さんからは、切り絵教室を開いてもらう、その隣では、ここのおかあさんから紙漉きを教えてもらうというのはどうですか、都会に住む若い人たちなんか、紙漉きなんか、見たことがないんですから。紙漉きの先生として、もう一度、野地へもどる気は、ありませんか」
 沖津はしきりにいう。
「ありがていろものう。一度村を出たおらみてぇのがんが、どのつらさげて、おめおめと野地へ戻っていげるその。野地の恥さらしになるだけだこっつぉ。この家買ったのだけれども大分借金してきたがんに、野地へまた帰って別の家を買うわけにもいくめえ。村中の笑い者になるだけだこっつぉ」
「その気持ちも、よくわかりますて」
「だっでも、こんげの町へ移りたくて来たんじゃねえ。野地みてえのどこへ、これからずっと年とるまで住んでいても、子供は帰ってこねえし、病気して、医者へ診てもろうたって、町へ出なきゃならねえし、野地にいたって、いいことなんかなんもねえがんそぉ」
「おばあちゃんが、ずっと一人で、さびしくないんですか」
 沖津は、またきく。トミは、口をもぐもぐさせて、
「留守番だって、なんもできんがんそぉ。一日中、人もこねえし、来る人てや、やれ化粧品はいらねえかとか、本はいらねえかとか、物売りの人ばっかそ」
といった。野地にいさえすれば、年寄りどうし、集まって、つけ菜を出したり、たくあんを出したりして、楽しく話しあって暮らせるだろうにとリタは、トミのことを考える。でも、あそこで医者にかかるとしたら、一日がかりで、つれていかなけりゃならない。トミのように、老い先見えている人にとって、どっちのほうが幸せなのであろう。五郎さえ、生きていてくれたら、こんなとき、相談にのってくれるのにとリタは思う。
「そっでも、もう一ぺん紙漉きはしてみていもんだという気もあるがんそ。漉き舟の中に紙玉とニレを入れて、かきまぜて、紙簀をはった簀桁をゆする、あのこちゃこちゃという音を、もう一度聞いてみていと思うこともあるがんそ。あの舟の中の水てや、こってりとして、のりのような水でのう。手を入れるとしゃっこいのなんの、手が切れるぐれいのがんそ。あの水から、どうして紙ができるんだか、今でも不思議に思うぐらいそ。どこの家からも、こちゃこちゃ水の音が聞こえたのう。ほうして、あのこうぞ蒸しの、甘い匂いもいいがんそぉ。紙漉きの時、夫婦げんかは、できねえがんそ。夫婦げんか紙てがんでそ、ちゃんと紙に出てくるんだすけ、厚くなったり、薄くなったり、紙漉きってがんは、手間ひま惜しんでちゃできねえがんそ。でも手間かけりゃ、ちゃんと、その分、いい紙になるんがそぉ。子供育てると同んなじそ。だすけ、紙漉きってがんは、おもしいがんだろうかの。とうちゃんもいねえし、こんげのとこへ、来てしまえや、もう紙漉きなんか、だめらっこっつぉ。おらができなくても、野地には、まだ紙漉きしたことのある人がいっぺいいるぜの。先生、野地の紙漉きのために、がんばってくんなせい」
リタは、力をこめていう。
「野地の紙漉きが、これからも続いて、よその人が大勢見学に来るようになったら、おらも、見学者の一人で、よして(寄せて)もらいますすけぃ」
 リタは、こういって、はははと笑った。

 
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