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「雪に包まれる村」 | 第三小説集『さつきの花』

雪に包まれる村works

雪に包まれる村 1

 大学に入って最初の学生総会で、私は二つのことに驚いた。その一つはこの総会に出席する人達がひどく少ないことであった。机のぎっしりつまった広い講堂にはその最後の二、三列に申し訳みたいに出席している人がいた。他の人達はいったい何をしているのだろう。
 その二つは高い演壇に立つ執行部の人達はまさにひとかどの政治家のように堂々と世界情勢を説き、国内問題を分析したことであった。そしてその中で闘争とか絶対反対とかという言葉と一緒にアメリカ帝国主義とか資本家の独占とかという言葉がしきりと使われていた。なんの知識もなしにそこに出席した私は、まるで草稿の文句を忘れて演壇に立ったようなとまどいを感じた。高校時代の生徒総会とは比較にならなかった。私はいったいここに出席する資格があるのだろうかとさえ思った。
 演説は長々と続いた。少ない出席者の間には私語があちこちに行われ、きいている人は少数だった。仰々しく並んだ机に向かって演説しているのであるとさえ思えた。私は何かわからないままにそういう人達への反感が次第に大きくなっていった。その人達はいったいだれのために演説しているのだろう。私はそれすらわからなくなった。
 その時だけではなかった。どんな時でも総会は成立するためにはぎりぎりの人数であった。そして何度も流会をくり返した。しかし私はどんな時でも必ずその隅に座って、例の如く長い演説をゆっくりとかみしめていた。もちろん発言などすることもなかったし、多数決の時はいつでも棄権した。
 その年の十一月安保阻止闘争デーが目前にせまり、自治会としてなんらかの態度をとらねばならないのに、その日の臨時総会は流会になった。そして翌日人文地理学通論の講義が終わるや、執行部からたのまれた人達がピケをはり、だれ一人その教室から出さないようにして、すぐその教室は学生総会の会場にかわった。講義が終わってすぐ昼飯にありつけると思っていた人達から不満のささやきがおこった。
「安保問題という重要な時に昼飯が少し位おくれたからってなんだ!」
だれかがこう叱咤すると会場はしーんとなった。
 そのうちに執行委員長の演説が始まった。それに続いて行動方針案の説明があり、そこで三日の統一行動日には授業を半日ストライキすることが提案された。そしてその日には全学生を講堂にカン詰めにして裏切り者を出さないようにするというのだ。それが提案されるや、場内は一瞬ざわついた。「デモのために授業をストライキする」、いままで未経験の私にはそれは考えもつかないことであった。裏切り者という言葉も意外だった。真面目に講義に出ているものが何故裏切り者視されねばならないのだ。
「今こそ我々学生は先頭に立って労働者をひっぱって行くのだ」
そう言ったのが私と同じ学年の小林義一であることをはじめて知った。
 こういう執行部の強硬案は、まるで一般学生の意志を全く無視したものである。一般学生はその強硬案に有無をいわさずに引きずられていこうとするのだ。そして自分の考えを言おうとしないそうした人達は、不平や不満をもってもずるずるとひきずられていくのだ。私はそれをだまってみているわけにはいかなかった。そういった声のない人達のために私は黙っているわけにはいかなかった。私は思いきって手をあげた。
「一般の学生は総会の開けないほど関心がうすい。それなのに一部の人たちだけで授業放棄を決めても、ほんとうに純粋な気持ちでデモに参加する人が何人いよう。もっと一般学生を啓蒙することこそ大切ではないでしょうか」
 私はもちろん大学に入ってからはじめての発言だった。私の発言はそばにいる友達をおどろかした。私の発言は終わりの方は後ろに座っている人達のゴウゴウたる非難の中でもうだれもききとれない位だった。
「この切実な問題に関心がうすいとは何事か」
私はまだいいたかった。このストライキが現実を無視したものであることをいいたかった。学生の関心がうすい、それは一つの事実であった。半日ストライキは結局それが決められたとしても砂の上の楼閣にすぎないではないか。私の上げる手はもう議長から無視されてしまった。私の意見を無視した人達は、私もまた総会など一度も出たことのない無関心な学生の一人だと思っていたのだろう。半日ストライキはわずかな差で可決された。
「来月三日の安保阻止統一行動日には本校は半日授業ストライキ、市内デモをもって抗議することを可決します」
 議長がそう宣言すると同時に方々からおこった拍手は、次第に大きくなっていった。そしてそれは会場一杯に嵐のようになりひびいた。
 私はその嵐のような拍手の中に座ったまま荘然としていた。私の思慮が浅かったのだろうか。私はいま何もわからなかった。ただ日頃この安保問題に少しの関心もなしに、自分のしたいことばかり夢中でやっている人達が何故この強硬案を可決しなければならなかったのか。その時私は後ろの方で、「おい、三日にはドイツ語があるぞ」というささやきの言葉をきいた。その日に彼らの最もきらっていたドイツ語があるのを知った。会がおわるとガタガタと音をたてて会場を出ていく学生によって出口は異常な混乱を呈した。授業放棄という一つの決議をする集団というよりもそれはホールのパンのうりきれないうちに買おうという群集であったのだ。私は沈痛な気持ちでその群集の一番最後になって教室を出た。私が他の人達にかわって発言したつもりなのにそれはほんとうでなかったのだろうか。私の頭の中にはいろいろな疑惑や不満がわけもなくむやみにつみ重ねられていくような気がした。しかしその翌日、デモを七十二時間前に届け出るということを執行部の人達が知らなかった自らのミスのために、市内デモも授業ストも中止になった。私はほっとした。その日の臨時総会は執行部の人達を非難する人が多かったが、私はだまってそういう人の非難もきき、執行部の人達の謝罪もきいた。執行部の人達を嘲笑したり非難する気持ちはなかった。とにかくほっとしたことだけであった。

 
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