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「雪に包まれる村」 | 第三小説集『さつきの花』

雪に包まれる村works

雪に包まれる村 2

 「誤った英雄主義」、私のこの投書が新聞に掲載されたのは、それからしばらく後のことであった。日頃こういった安保問題に無関心な他の学生がこの日半日ストのようなことをきめるのは、それをなにか浮ついた調子で喜んでいる誤った英雄主観だというのが私の考えであった。そしてもっと他の意思表示はないものかというものであった。それは私が長い間考えてようやく到達した結論であった。しかし、その文ののっている新聞をした時、大いに不安だった。
 俺にいったいこの意見をはかせるだけの証拠でもあるのだろうか。いったいこの新聞を同じ学生達はどういう気持で読んでくれるだろう。だれからも何もいわれずにいつのまにかすぎてしまった。このほんの片隅の私の投書はだれも注意することなしに見過ごされてしまったのかも知れなかった。
 冷々とした雨を交えた風が吹きよせる窓際に立って、私は風呂から上がったばかりのほかほかとした熱のある体をさらしていた。しかし、その時私の心の中にいつまでも動かない暗い影があった。さっきまで友達と体を流し合い、談じ合っていたときに、いつのまにか隅の方へおしやられていたその黒い影は、今一人で窓の雨を眺めていると私の心をおおい尽くし、大きくゆさぶった。
 市内デモに出かけていった人たちはどうしたんだろう。その日行なわれた安保反対の市内デモに参加しなかったからである。デモに参加しない友達は沢山いた。
「デモなんて、大声で歌を歌い、アカ旗をふることが好きな奴がやればいいのさ」
こんな友達もいた。だれでも早く夕飯をたべたい。みんなそれぞれの家庭教師のアルバイトをもっていた。私も七時から出かけていかなければならなかった。このごろ度々デモ行進に出ておくれたり、休んだりするので少しは真面目に出たかったのである。
 私がデモに出なかったのは今回がはじめてだった。デモに出るといっても私は目立たない存在だった。人のように労働歌を声をからして歌うこともなかったし、街中でジグザグデモもやらなかった。デモの先頭に立っていた小林義一が交通整理の警官のあとから思い切りアッパーカットをくわせたのも、私はにがにがしい気持ちでみていた。私はデモの列の最後から唖のようにおしだまったまま歩いているだけだった。市内をデモ行進したところでどんな効果があるというのだ。街を通る人達はそれを見てどんな考えを抱くだろう。
また学生達の世間知らずがさわいでいるとしか見ないかも知れない。しかし、大きく揺れ動いている社会の中で私はじっとしていることが出来なかった。黙々としてデモの列へ加わることが私のせいいっぱいの意志であった。しかし私は頻繁に行なわれるデモについていけなかった。デモに加わることをやめてしまった今、私はついに自分の意志をも捨ててしまったのだろうか。私はそれを考えると良心にむちうたれた。
 その時、デモに行った一群の人達が雨にうたれてびしょびしょになって帰ってくるのを私は見た。赤旗は雨にぬれてしぼみ、ポスターカラーでゴチャゴチャと書かれたプラカードの字は、にじんでいて読めないくらいだった。十人位がかたまって丁度それは敗者の群れのように見えた。「誤った英雄主義」、その雨にぬれて帰ってくるデモの人達を見ながら、私はあの投書のことを思い出した。あの人達は本当に誤った英雄主義をもってデモに出ているのだろうか。私の頭の中に積み上げてきた私なりの生き方は今音をたてて崩れおちて行くような気がした。私はたまらなくなって窓をしめた。私の心の中には大きな黒い波が覆いかぶさるように岩にぶつかり、そして白い泡をたてて砕け散った。

 
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