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「雪に包まれる村」 | 第三小説集『さつきの花』

雪に包まれる村works

雪に包まれる村 4

 ダンスパーティになると夢中になって出かけるものがあると思えば、連日寮の一室にたむろして夜ふかしでマージャンをやるものもいる。講義が面白くないといってはサボリ、単位がほしいといっては代返をたのむ者。一方にはこうした人達がいる反面、連日自分の専門とする絵の勉強をしたり、声楽の練習をしているいわゆる優等生タイプがいる。
 こうしたまるで雑居家族のような学校、私は入学したばかりのとき、同じ大学生といってもずいぶんいろいろな人がいるものだと感じた。そこでは自治会の活動を中心にやる人たちもそのいろいろな人たちの中の一つであったのである。しかし、同じ教育にたずさわろうとする広い共通地盤さえもっていればなんとかなるだろう。私はそんな考えをもっていた。
 私はあまりに大学生活を過信しすぎたと思った。学生たちの間で教師になることや教育について語られることはまるでなかった。それというのも教師になるという純粋な教育愛に燃えて入ってきた者がいったい何人いるのかというのさえもわからないほどだったのである。どこにも行くところがないし、先生にでもなろうかというものがいるかと思えば、成績もよくないし、東京の学校に行くには金がかかる、という人もはいって来た。教育学部――それは激しい競争についていけなくなった人の気休めの場所でもあり、学力も経済力もないという共通点をもって集まってくる人たちの最後の到達点に過ぎなかった。それは運動会でやる仮装行列の群れのようだった。大きなハリコの怪物を頭からすっぽりとかむっているかと思えば、体中に墨をぬって土人のまねをしてわめきたてるものがいる。教育という大きな仮装の下にいろいろな考えをもった人間がより集まっているのだと思った。そこには皆が固いエゴの殻の中にとじこもってどこにも出ようとしない。
 そこには学風とか校風とかいわれるものは全くない。大学の教授や助教授の中にも教育を少しも理解せずに、ただ自分の専門の殻にとじこもろうとしている人もいた。それは私の学校だけではないらしかった。そういう教育学部の情勢の中で教育の国家統制の奔流のような動きがあった。教育二法案、学習指導要領改定、道徳教育と矢つぎばやに教育は国家統制へと不気味な音をたてて歯車を回していた。
 この中でそういう学生をどのようにして一つにまとめていったらいいのか。執行部の人たちもわからないのだろう。もちろん私もわからなかった。そうしているうちに新しい執行委員も決まり、私はその人たちが自治会の活動をスムーズに進めてくれることをひたすらに祈るだけだった。そしていつしか私はあのビラのことを忘れてしまった。
 五月十五日、新安保が自民党だけで強行採決が行われると、世論の反対運動は日毎に激しくなっていった。度々デモが行なわれた。
「デモに出よう」
 私は友達の和夫をさそった。和夫は私と一緒に総決起大会の開かれる大学の前に向かった。しかし、そこに集まっている人々はひどく少なかった。彼はそれを見ると、
「今日、家庭教師に行く日だ」
といったまま逃げるように私の前を去った。私は彼を再び呼びとめる気がしなかった。私は彼が今激しい恋をしているのを知っていた。彼と幾度私は人生について論を戦わせたであろう。私達が黙々として街頭をデモっているとき、喫茶店で相手の女性とコーヒーをすすっているかも知れない。彼には彼の生きていく道がある。私は彼が去っていく姿を見送ると控室に行ってみた。そこでは同じ文芸サークルの鈴木菊江が一人で本を読んでいた。彼女は農機具会社の重役の娘であった。
「鈴木さん、誰の本読んでるの?」
私が聞くと、彼女は顔を上げると、
「清張の推理小説なのよ。このごろ推理小説が面白くてたまらないの。だってさ、この人が犯人だなという予想がまったく裏切られて思いもかけない犯人があって、それがまるでもつれた糸をほぐすように一つ一つ解かれていくのよ」
といった。私は結局、彼女にデモのことを言い出せなかった。私がここでデモに誘ったら彼女はどうしただろう。やっぱり彼女にはなにもいわないほうがいいと思った。
 彼女はこの学校を型どおりに卒業して、いい先生になりさえすればいいのだ。彼女が労働歌を歌うなんてなんと不自然なことだろう。
 その日のデモに私は一人もさそうことなしに出かけた。疲れた足をひきずりながら、私はただその列におくれないように歩くだけだった。寮に帰るとそのまま泥のように眠ってしまった。万葉集や国文学の雑誌も長いこと枕元においたまま、開かれなかった。いったいそれでいいのだろうか。私は何かおいかけられるような気持だった。私の頭の中はいろいろなことが何の整理もつかないままごちゃごちゃに詰め込まれていた。ただじっとしていてはならないのだという気持だけがむちのように体にあたるのを感じた。
 しかし、そういった切っぱ詰まった気持の中で私は常にもっと静かな瞬間を憧れていた。そして社会の動きとは別の静かな中で思い切り息をすってみたかった。それを私はどんな時でも忘れなかった。デモ行進の時でも私は頭上に広がっている澄み切った青空を忘れなかった。

 
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