本文へスキップ

「道徳教育研究指定校」 | 第一小説集『雪残る村』

道徳教育研究指定校works

道徳教育研究指定校 6

 年間指導計画の検討会は、きようで三日目を迎えた。それでもまだ一年生分がおわっていないのである。各学年、平均十八の主題を三学年にわたって検討しようというのである。一つの主題についてみても、主題名、月、配当時間、主題設定の理由、ねらい、素材、資料、そして指導の大要という形式をとっていた。これらの形式は、すべて県教育委員会編集の道徳資料集に忠実にそっていた。一つの主題に半紙一枚のスペースをとるとすれば、三年までは五十頁になるのである。一つ一つの主題も、その適切性、文の続きぐあい資料の選び方と細かい点まで検討が加えられるのである。時間がかからないのがおかしいくらいなのだ。きのうもおとついも、終ったのは夜九時をすぎていた。遠くから通ってきている先生は終車にまにあわずタクシーで帰った。家に乳のみ児を残している女の先生もいた。この検討会のために、関係する先生の教室は午後から自習になった。年間計画の検討がおくれると、それに伴って印刷がおくれる、はたして、研究会当日まで、いったい印刷がまにあうのか、こうしたあせりが、職員をいらだたせてくる。なんとか、早く検討会をおわりたい。しかし、なかなか話合いはうまくすすまなかった。まして、資料が不適当な時は、別の資料を捜し、また新しく計画をつくりなおさねばならなかった。
 その検討会のところへ、二宮主事が、教育事務所の中山主事をつれてやってきた。近くの学校で開かれた研究会の帰りらしかった。
「やあ、みなさん、突然おじゃまします。毎日ごくろうさんです。みなさんの研究ぶりを中山主事先生にお話したところ、ぜひみたいということで、お連れしたわけです」
 検討会にあつまっていた職員たちはいっせいにたちあがってあいさつした。あわてて二人ぶんのスリッパを用意したり、プリント類をそろえたりした。吉村教頭は、恐縮したように、そのプリント類をあつめて、中山主事に今までの研究経過の説明にはいった。中山主事は軽くうなずきながら吉村教頭の説明をきいた。二人の主事ともに、少し酒がはいっているらしかった。研究会のあと、酒をもらってやってきたというのだ。このため、検討会は中断、みんなは中山主事のことばを待った。
「みなさんの研究のことはよくわかりました。ただ、この年間計画の形式の中で、現在は、もう『資料』と『素材』ということについては、全く区別がつかない、同じものを考えるよりしかたないといわれているのです。……全体計画についても、この計画では、今までのものと全くかわりがない、これはどの学校でもそうですが、空文化してしまっているのです。これからは、年間計画の中に、各教科のふまえているところをしっかりおさえていくことだと思います。だから、私は、全体計画について、あまり力を入れることは無駄だと考えているのです」
『資料』と『素材』の区別のことについてはじめは、このふたつは非常に区別しにくいということで、しいてわけていなかったのを県の資料によろうという吉村教頭の意見もあって、再びつくりなおしたのである。それを今になって、またもとにもどすといっても、むりなことである。山崎は、このことばにひどい反発を感じた。今まで、県の資料や、二宮主事の指導に忠実に従って、研究をすすめてきたというのに、まとめの時になって、それに水をさされたという感じであった。吉村教頭は、どう答えるだろう。山崎は、吉村教頭の方を見た。
「それは困ります、主事さんのおっしゃることも、もっともだと思いますが、私たちは県の資料に忠実に従ってきたのです。そして、すでに印刷にかかるという時にあたっている今、今ささらそんなことをいわれても、私たちも困るんです」
 それは、今までの吉村教頭に見られなかった強さであった。山崎は、ほっとすくわれたようなきもちだった。
「これは少し、いいすぎましたかな」
 中山主事は、そういって、大きく笑った。
「いいじゃないですか、研究紀要にはのせなくとも、研究発表のとき、そういう趣旨のことをのべれば、中山主事の意見もりっぱに生かされるでしょう」
 二宮主事は、中山主事の立場をかばうように、つけ加えた。他の委員たちも、山崎もそうだったが、だまって三人の会話をきいていた。
 しばらくして、バスの時間をつげた二宮主事のことばに、中山主事はたちあがった。
「それじゃ、これで失礼する」
「どうも、お忙しいところ、わざわざおいで下さって、貴重な意見ありがとうございました」
 吉村教頭は、ていちょうな礼をのべると、全員で頭をさげた。そして、ぞろぞろと玄関まで見送りに出ると、ここでも頭をさげた。
 全員、席にもどると、しばらく検討会も続行できそうなようすもなかった。
「それにしても、主事さんのいうことは、自分のいいたいことだけいって、みんなそのあとしまつを我々におしつけるような感じだな」
「いったい、私たちの研究というのは、なんなのだろうと考えることがありますよ。春以来、主事さんのいう通り動く、機械じゃないですか、学校の主体性というのは、どこにあるというのだろう」
「私自身、こんな目標や計画を緻密にして、指導が体系化してゆくことが、ほんとうに、道徳教育を推進してゆくことになるのかという疑問にとらわれることもありますよ」
 それは、吉村教頭だけでなく、この検討会に出席している人たちも同じ気持ちだった。春以来、多くの時間と労力とを費してやってきたこの研究の支えが失われたようなきもちであった。なんのために、なにを研究してきたというのであろう。それは研究ではなく、指導という名のもとに、人に命じられた仕事をやってきたにすぎないのではないか。
「今ころになって、そんなこといってもはじまりませんよ。それよりはやく年間計画の検討をおやしましょう。そうしないと研究会まで印刷が間にあわないかも知れませんよ」
 このことばに促されて、再び検討会が続けられた。しかし、その時には前のようにはりつめた気持は失せていた。なんとかおやしてしまいさえすればという気持だけだった。
 一年生分の年間計画の検討が終了したのは、夜十時をすぎていた。とっぷりとくれた秋の夜道を山崎はひとりで歩いて帰った。このところ、ずっと下宿での夕飯をたべていなかった。そして、毎日学校へなにをしにいっているのだろう。授業にも熱がはいらなくなった。
 そればかりか、授業さえも、自習になることが多くなった。そして、連日、校長室のプリント類を、ああでもない、こうでもないといじりまわしているのだ。ひとり、夜の道を歩いていると、急にそれと全く関係のない、自分のクラスのことが思い出されてきた。
 放課後、女子がやってきて、男子がいくらいっても掃除をしようとしないというのだ。男子をよんで事情をきいてみると、女子がいままでなまけていたのに、先生が注意しなかったからだというのだ。そして、山崎がいくら話をしても、ききいれなかった。
「だいたい、このごろの先生は少しどうかしています。クラスのことなどまるで考えてくれない。今クラスがどんなになっているのかわからんのですか。まるでバラバラになっているのですよ」
 男子のひとりが、山崎を詰問するような調子でいったことばが、ありありと心に残っていた。事実、研究会の準備におわれて、しばらく掃除も見てやっていなかったし、クラスの生徒とあまり接する機会をもてない自分のことを考えた。中学校の最終学年、しかも二学期の半ばすぎ、卒業後の進路のこともあって、このクラスの生徒にとって、もっとも心の動揺しやすい時期を迎えていた。そして、それはようやくおとなになろうとするはげしい感情と結びついているのだ。山崎自身、それらの生徒の心をどれだけ知っているというのだろう。山崎は、その時、教育者としての自分がはげしくむちうたれるのを感じた。しかも、掃除をなまけた男子に対する山崎の態度が、生徒をかえって増長させるばかりだと同僚の先生に注意されたこともあった。それに対して山崎はかえすことばがなかった。そうしたことを次々と思い浮べながら、山崎は激しい疲れを感じた。彼をとりまくあらゆるものが、彼の体を一気に分解させてしまうような激しい疲れだった。このまま、するりと学校をぬけ出して、どこか広い土地の中で、木を植えたり、花をつくったりする。自由な生活をおくることはできないのだろうか。
 夜の道を歩いてゆくと、道の両側に高々とかけられた干稲の匂いが山崎の鼻をついた。山崎は、そこに彼がいつのまにか忘れかけていた季節の匂いをかいだ。もうこんな季節になっていたのか。その時、山崎は、学校という大きな濫の中から、解き放たれたような自由を感じていた。

 
 >  >  >  >  > 6 >  >  >