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「道徳教育研究指定校」 | 第一小説集『雪残る村』

道徳教育研究指定校works

道徳教育研究指定校 8

 発表会の日が近づいていた。発表会当日のくわしい日程や人員なども発表になった。当日はT市の中学校は一斉に臨時休校して、この田原中学校の道徳教育研究発表会に参加することが決定された。この決定は、かなりあとになって行なわれたため、当初各学年一クラスの公開授業の予定が、二クラスに急拠変更しなければならなくなった。二百名をこす参加者は、三つのクラスにはいりきらないからである。
 二百名をこす参加者のうけ入れ準備はかなり以前から綿密におこなわれていた。廊下に白線を引くこと、教室の床みがきと油ぬり、各教室の掲示物の整理といった校内整備に加えて、外来者に対する生徒の会釈や、人にものを聞かれた時の返事、応答のしかたまで話し合われた。一方当日の会場作り、スリッパや昼食の用意、演壇にかざる松の植木の準備、参加者にわたすレジュメの袋づめ、昼食に出すみそ汁の手配、数えればきりがないほど、細心の注意が払われた。そのために何回かの職員会議ももたれた。
 教育委員会から二宮主事を迎えて、いよいよ研究授業のリハーサルの日を迎えた。発表会当日と全く同じ指導案で、別のクラスで授業をやってみるのである。
「いったい、こんな授業案で、ほんとうに公開授業がやれるとでも思っているんですか。それにしても、よりによって、公開授業になぜこんなむつかしい資料をつかうのです。第一ねらいがはっきりわかりませんよ。それに導入だって、きょうのねらいにはあっていませんよ。………それに先生は教室の中を行ったり来たりして、少しもおちつきませんよ、いつも小さな舌うちをするのが耳ざわりです。一時間に何回したかわかりますか………」
 二宮主事のこうした手きびしい指導をうけながら、当日の公開授業者である鈴木先生はしきりに頭をかいたり、わけもなくだまってみたりしていた。鈴木先生は、はじめから公開授業をやる予定でなかったのに、参加人員の関係で急拠公開授業をやることになったといういきさつもあった。推進委員会にも出ていないし、年間計画作成だって、一部をうけもったにすぎなかった。その鈴木先生に、きょうのリハーサルの資料がとられてきた事情など知らないのは当然である。それにまだ新任まもない若い先生である。
「どうもまだ先生は指導案の書き方というものに、よくなれていないようですね。『学習活動』は教師の指導方法を書くのではありませんよ」
 二宮主事の鈴木先生に対する指導は、それからまだ続いた。指導案の書き直しを命じられて二宮主事が席をたったあと、鈴木先生はぼんやりと窓の外を眺めたまま、鉛筆をもとうとしなかった。
「先生、どうかしたんですか」
 山崎は心配になって、そっときいてみた。
「とても公開授業なんて、やれませんよ。もうすっかり、自信がなくなったな」
 鈴木先生はポンと鉛筆を投げ出して、腕ぐみすると、大きな溜息をついた。
「ああ、どうして俺みたいな、なにもできない男に授業をさせようというのだろうな」
「先生、今ごろそんな弱音をはいてどうするんです。研究会まであと二週間なんですよ」
 山崎はこういってみた。しかし、ほんとうに当日先生はうまく授業をやってくれるのだろうかという不安もあった。それと同時に、そのいやな役から自分がのがれることができてほっとするきもちもあった。同じ学校で、一つになって研究会をやろうというのに、自分がいやな役割からはずされるのを喜ぶきもちはどうだろう。山崎自身、この指定校のうけ入れを決定したときも、道徳主任を任せられたときも、どこか人の力をあてにすることがあった。今また、鈴木先生が苦しんでいるのを、人ごとのように見ている自分に気づいた。
 その日の夜、山崎は鈴木先生の指導案書き直しを手伝って、おそくまで教務室にいた。ふたりで話し合って、いざ文章にかこうとすると、少しも書けないのだ。しかも、鈴木先生は昼のショックがまだ続いていた。
「もう、とてもやる気がなくなった」
 としきりに口にしていた。山崎は、そのことばを、はらはらしながらきいてきた。
「もうそんなこといいっこなしですよ。この学校だって、まだベテランの先生がたくさんいますよ。よりもよって、我々みたいな経験の少ない若い者に、こんな大役をおしつけるんだから、いいたいことはありますよ。でも、ここまできてどうしようもないんですよ。ただやれるだけやるより仕方ないでしょう」
 しかし、鈴木先生の不満は、なかなかおさまりそうもなかった。
「結局、我々はあまりにお人よしだったということでしょうね」
「まあ、そんなことかも知れません」
 その日、同じ学年の他の先生たちは、早々と帰ってしまった。みんなそれぞれ自分のことに手いっぱいだったせいもあるだろう。授業者がきめられた以上、まわりからあれこれいわない方がいいともいった。その実、山崎のように、そのいやな役が自分のところへまわってこないことで胸をなぜおろしているに違いない。その日、おそくまでかかって、鈴木先生の当日の授業案は完成した。明日、印刷屋に渡されるはずであった。
 田原中学校、道徳教育研究発表会の日は、十一月の寒い日だった。その日、山崎はふつうの時間より少し早めに出勤した。彼は公開授業のあとの全体会で、本校の年間計画について、発表することになっていた。本庁や教育事務所からも何人かの指導主事がやってきていた。それに案内は市外の中学にも出されていたから、市外の学校からも何人かやってくるはずである。市内の中学校全職員をあわせて、おそらく二百名をこえる参会者が集まるであろう。今まではいたことのない新調の白ズックをはき、とっておきの背広をきて出勤した。
 すでに全校会場の準備は、完全にできていた。教室からもち出された机と椅子が運動場いっぱいに整然と並べられ、その両側に、白い布をかけた講師席や来賓席があった。ステージのバックには紫の幕がはられ、大きな国旗がはられていた。
 山崎は、会場の端の椅子に腰をおろした。春以来、彼のまわりで彼を脅かし、苦しめてきたものが、ほんとうにこの日を限りとして、消えてゆくのだろうか。山崎には、まだ信じられない気持だった。そのあと、四月に、吉村教頭が彼にいったことばがよみがえってきた。「この仕事をやれば、先生の名前は、たちまち有名になる。それがこれからの教職生活にプラスする」
 たしかに、きょう、田原中学校の若い道徳主任として、彼の堂々とした発表は、会に集まった二百余名の注目をあびるにちがいない。今になって、山崎はこの日をひそかに待ち望んでいた自分に気づいた。それにしても、この六カ月の苦しい日は、たったこの一日のためだったのだろうか。山崎は、この会場にきてみて、それをはっきり否定することはできなかった。むしろ、彼の生活をあらゆる面で束縛した時間の代償として、こんな時があってもよいはずだと思いなおした。
 他校からの参会者が、受付を通りはじめていた。ひっきりなしに、人の話し声や車の音がきこえた。この日、発表者と授業者には、これといった仕事がなかった。山崎には、それが妙に手もちぶたさに思えた。
 教務室にゆくと、授業を待つ六人の授業者が、ベルの鳴るのを待っていた。研究会のはじめは、どこでもそうであるが、まず公開授業から始まるのである。先日のリハーサルですっかり自信をなくした鈴木先生も、ついに来たるべき時がきたという感じで、お茶をすすっていた。この先生、リハーサルのあと、同じ指導案を研究会当日授業をやる自分のクラスを除いて、四つのクラスで行なった。そのたびに、学年の先生方は、自分の受持教科を自習にして、鈴木先生の教室にかけつけた。そのあとの研究協議には、もう教師の一つ一つの発問から、予想される生徒の反応まで綿密な授業案が作られていた。研究会の一週間前からは、ほとんど授業らしい授業はしていなかった。研究授業に、校内整備に、自習の時間も続いた。この研究会のために田原中学校の一年間の消耗品費を全て使いはたし、PTA会費からの多分の援助をもらったことは、山崎が後になって吉村教頭から聞いたことであった。市からこの研究指定校のためにきた費用はわずか二万円にすぎなかったという。それは全費用の三分の一にもならなかった。
 授業開始のベルが鳴った。授業する職員はいっせいに教務室を出ていった。山崎も鈴木先生の教室に出かけた。教室ではすでに生徒が、やゝ緊張した面持ちで待っていた。その教室も見事に飾られていた。学校と学級の目標は正面に、クリーム色の紙にかかれてはられていた。その他、今月の行事予定表、週番努力目標、明日の学習予定、各係からの連絡、壁には、まわりを紙テープでふちどりした、いろいろな色の掲示が壁面いっぱいにはられていた。ふつうだったら、掲示らしい掲示もなく、せいぜい目標と試験問題の解答が張られるくらいの殺風景の教室にすぎないのに。その掲示物の新しさからみても、明らかにこの日のために作られた掲示がほとんどであった。床は、二回も油を塗って、光っていた。
 鈴木先生の授業は、順調にすすんでいた。すでに板書も前時の通りであった。生徒も活発であった。はじめは、教室の後の参観者もまばらだったのに、時間のおわりごろになると、たくさんの人たちがつめかけてきた。しかし、きょうの鈴木先生は、そんなことに少しも動ずることもなく、実にあざやかな授業ぶりであった。
 五十分の授業はあっけなくおわった。この研究授業のために、今まで四回の指導案を作り、他のクラスで四回にわたって同じ授業を行なってきたにしては、あまりにもあっけない五十分だった。
 研究授業のあと、開会式と全体会、吉村教頭が全体計画について発表したあと、いよいよ山崎の年間計画について発表する時になった。大勢の先生たちの前での発表ははじめてであったが、不思議なほどのおちつきがあるのが自分でもわかった。ゆっくりと、一語一語かみしめるような発表であった。
「先生、実に堂々とした立派な発表でしたよ」
 発表をおわって、山崎が席につくと、隣の平野先生がこういった。すでに山崎の仕事はほとんどおわったといってもよかった。そのあとの分科会でも、ほとんど質問らしい質問は出なかった。
「御当校は、主題の構造的な位置づけということをいわれているようですが、この点について、もう、少しくわしく説明していただけませんか」
 参会者のこうした質問にも、山崎は手ぎわよく答えた。
「主題をとりあげるにしても、各学年間の系統性をとり入れ、さらに学活や他教科との関連によっておさえているわけです。それはお手もとの私たちの研究物○○頁にくわしく載せてございますので、ご覧下さい」
 この日、会の指導者として参加している二宮主事はさらにつけ加えて話した。
「主題の構造性ということは、すでに県でもさかんにいわれていることですが、これによって道徳の時間と他教科との連関を強めて、この時間が他教科から浮きあがらないようにする一つの試みだと思います。しかし、なかなかむずかしいらしく、実際にやっている学校は、県内でもわずかしかありません。
 その点、御当校で見事にそれをやられたことに大へん感心させられました。私も、さきほどらい、研究授業や、研究発表を拝聴させていただき、そのすばらしさにただおどろいているわけでございます。どうか、皆さんも、学校に帰られましたら、ぜひこの研究成果に学ばれて、道徳教育の一層の発展のために努力していただきたいと念願いたしております」
 むろん、主題の構造性ということは、田原中学校の職員の研究ではない、中山主事がやってきたとき、田原中学校の計画指導に盛り込むことを強く主張したことであった。春以来、二宮主事は何度か田原中学校に足を運んでいた。そして田原中学校の研究のすすめ方について、すでに知っているはずであった。時には、研究のやり直しを命じ、研究会の開催を危ぶんでいたのも二宮主事であった。しかし、きょうの態度は、今までのそれとはまるでちがっていた。山崎もいっしょにいた鈴木先生と思わず顔を見合わすほどのかわりようであった。そればかりではない。時としては主催校でどう答えてよいか迷っているような質問の時、
「ただいまの御質問の趣旨は、おそらくこういうことだと思います。そのことについて御当校の研究物は、この頁にのべられているようですが、そのとおりだと思います。どうです、御当校で他になにかにつけ加えることでもありますか」
 と二宮主事自身が答えてくれる時さえあった。
 山崎たちは、あわてたように
「ただいまの主事先生のおっしゃる通りです」
 と答える始末である。
 おそらく、第四分科会に出席した人たちは、この田原中学校の道徳研究が、自分たちの力のとても及ばないほどすすんでいることを感じたにちがいない。このすばらしい研究をどのようにしてなしとげたのか。驚きの目をもって田原中学校の職員たちを見たであろう。ここでの討議のようすは、それを十分感じさせるほどずっしりとした重みを感じさせた。そして、それが、二宮主事の見事な演出であることを感じとった人はおそらくいなかったであろう。その実、山崎自身すら、それに酔っているようにさえ思えるのであった。
 それぞれの分科会だけではなかった。分科会のあとの「指導講評」のところでも、常に田原中学校の道徳教育については賛辞でうまったという感があった。
「本日は、大へんすばらしい研究会を見せていただき、ありがとうございました。何においても本校の先生方が、一致協力してこのすばらしい研究にとりくんでいる姿をまのあたりにいたしまして、涙さえさそうくらいです。私たちでつくった県の道徳資料をこんなにすばらしく、見事に実践されている学校を見たことがありません。私も本庁にもどりましたら、なにをおいてもこのことをみんなに報告する義務があると思っております。
 とくに、若い先生方が活躍されているのにおどろきました。授業においても、発表においても、実に堂々としていて、立派でした。こういう若い先生方の御活躍こそ、これからの道徳教育をいっそう発展させてくれることと信じております」
 本庁からやってきた平沢主事の指導講評は終始この調子をくずさなかった。山崎も、この講評をききながら、ひそかに興奮していた。平沢主事のいう「若い先生」の中のひとりは少なくても山崎であることはまちがいなかった。この時、山崎は、春以来二宮主事や道徳資料のいうことに動かされていた自分を忘れた。
 自分の生活を犠牲にされていたことも、生徒の犠牲のことも、過去六カ月のあらゆる不満や疑問が、いつのまにか遠く去った気がした。
「きょうの主事さん方は、あまりにほめすぎて、どうもおかしなきもちだね」
 隣の鈴木先生が、こっそり耳うちした。あのリハーサルのあと、二宮主事に手ひどく批判された先生にしてみれば、そのことばは実感なのだろう。山崎も、だまってうなずきながら、小さく笑った。

 
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