本文へスキップ

「いかのぼり」 | 第一小説集『雪残る村』

いかのぼりworks

いかのぼり 2

 私が真島先生に合ったのは、大学の入学式の日だった。しかし、その入学式といってもどこか広い体育館で、ずらりと並んだたくさんの入学生と、その脇に並んだ教官との出会いのようなものではなかった。
 四月の下旬、N大学教育学部分校主事室でたった六人の補欠入学生の入学式であった。もう他の入学生たちはとっくに式をすませ、すでに講義もはじまっていた。広い建物の中には、新学期のもつ、若々しい活気があった。講義の声、時間のおわるたびに廊下を活発に歩いてゆく新入生。補欠入学生たちは、すでに出発において、つまづいていた。他の人より半月おそい入学式であった。式は分校主事のあいさつのあと、入学生は、それぞれ受持ちの教官についてオリエンテーションをうけた。
 せまい研究室には、二つの机が並べられているだけだった。その一方の席に、先生は深々と腰をおろして、前の椅子を私にすすめた。私はおどおどして、ようやく腰をおろした。
「私が、あなたの担任の真島というものです。大学の講義は、すでに先週からはじまっていますが、決して心配はいりません。すぐ追いつきますよ」
 真島先生は、度の強い眼鏡の奥に、細くやさしそうな目で私を見た。常にかすかな笑いをたたえ、それは先生の目を一層細くした。大学の教授という名前からくるいかめしさは真島先生のどこにも感じられなかった。
「この部屋は、わたしと、もうひとり、国語学を主にやって下さる田村先生と二人でいます。なにか聞きたいことがあったらいつでもいらっしゃい」
 真島先生はそういって、大学での単位のとり方や、講義の内容について、ていねいに話された。
「国語科には、あなたの他に三人の一年生がいます。明日わたしの講義のあと、他の三人の人たちを紹介しましょう。くれぐれもいっておきますが、大学というところは、自分の方からすすんで勉強するところです。高等学校のように、いろいろなことはいいませんから、あなたの気持次第なんですよ。でも決して心配することもいりません」
 そういって真島先生は話をおえた。私は「はい」といってたちあがった。補欠入学という名のもつ劣等感は、真島先生のあたたかいことばの中で、しだいに消えてゆくのを感じた。校庭のもみの木が、この三階の研究室のすぐ下まで、青々とした葉をのばしているのが見えた。

 
 > 2 >  >  >  >