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「いかのぼり」 | 第一小説集『雪残る村』

いかのぼりworks

いかのぼり 5

 文学研究会機関誌「ペチカ」合評会の日は雪だった。朝から降り続いた雪は夕方になっていっそう勢いよく降り続いた。
 真島先生にもお願いして、こうした会には毎回でてもらっていた。先生の批評をきくことが、みんなの楽しみでもあった。三十頁余りのガリバン刷りの機関誌の合評がおわったころ、あたりはすっかり日が暮れていた。部屋の小さい火鉢の火も、いつのまにか白い灰になり、みんなはあらためて雪の寒さを感じたようにたちあがった。こんな日、先生を住宅まで送らねばならならないことは、先輩たちから常にきかされていた。先生は心臓が悪いということだった。
 真島先生を住宅まで送っていく役を、私はかって出た。
「すまないねえ」と真島先生はいって、私の後ろになった。学校の外へ出ると、こまかい雪は、なにもかぶらない、私の髪の上におちていた。
「君はなにもかぶらないのかい」
 先生は心配しながら、こういう。
「いいんです」
 私は力を入れて答えた。学校と先生との住宅の間は歩いて十分、それ位の間、雪の中にいたって、私は少しも苦にならなかった。
「でも、それじゃ君、体によくないよ」
「いいんです。ほんとに。いつも慣れているんですから」
「でも体に悪い、これを貸してやろう」
 先生は、そういって、自分の首にまいていたえりまきをとって、貸してくれた。
「これを頭からかぶれば、それでもいいだろう」
 私は、ことわりきれず、先生のえりまきをかりて、すっぽりと頭にかけた。先生の体温が、まだ残っているようで、暖かかった。
「雪国はいやだねえ、雪が降ると、私のように年をとると、ひどく外に出るのがおっくうになってね。……それにこのごろ雪道を歩くと、胸が苦しくなってきてね」
 そういえば、真島先生の歩き方はひどくおそかった。まるで、手にもった茶わんの水がこぼれるのをおそれるような歩き方だった。それに、五、六歩歩くとちょっととまるほどであった。それでいて、すぐ前を歩いている私の方まで、先生の苦しそうな息づかいがきこえてきた。私は先生のひどくおそい歩調にあわせて、ゆっくりと、時々立ちどまりながら足を運んだ。
「それでも、この雪の中から雪国の人たちの粘り強さや辛棒強さが育つんではないでしょうか」
 そういってみて、私はかるい後悔の念がおこった。この雪道を難渋している先生に対して、私はひどく軽率なことばを口に出してしまったような気がした。それと同時に、こんな雪の中に引きとめていたこと自体軽率なことだと思った。真島先生の体のことについてきいてはいたが、これほど弱っていたことなど思ってもみなかった。入学式の時、いっしょについてきた父について、「君のおとうさんはほんとうに元気でうらやましいよ」とふともらした先生のことばの意味がわかるような気がした。先生といくつも年がちがわない父は、六十近くなっても、どんな雪道でも、重い荷物を背負って若者のように早く歩くのだ。
「私は体が弱っているから、こんな日はかんべんしてくれ給え」
 と一言いってくれさえしたら、私たちは先生をこんな雪の中、夕方までひきとめておくことなどなかったのに。真島先生は、そうした私たちの申し出を決してことわらなかった。半年の間、真島先生と接していて、私は先生のそうした一途なものを感じていた。学生たちと話すことが、先生にはよほど楽しいらしかった。それだから、これほど雪の中をわざわざ私たちのために残ってくださったのだ。私は先生に対してすまない気持ちと同時に、先生の暖かい思いやりを感じとって、体があつくなる思いだった。両側にある、どこの家も、明るい電灯がともり、夕食のだんらんがはじまっていた。私は少しでも先生が歩きやすいように、足でせっせと雪を踏んで道をこしらえていた。
「平野君、そんなにまでしなくてもいいよ。あと家まで少しだし、一人でいけるからここでいいよ」
 先生はこういっても、私はとうとう帰らなかった。そして、先生を住宅の入口まで送ると、そのまま雪の中を走って引き返した。
 細かい雪が、正面から顔に吹きつけてきた。
「五つの銅貨」という映画を見たのは、そのころであった。
 田舎から出てきて、世界一のコルネット吹きだといわれる主人公レッドは、気違いのようにコルネットを吹きまくる。コルネットこそレッドにとって唯一の生きがいであった。妻との間に娘ドロシーが生まれても彼女を寄宿舎に入れて、コルネットに生涯をかけようとする。ドロシーはそうした生活の中で次第に父親への愛を失ってゆく。
 誕生日の夜、彼女は小児マヒになり、驚いてかけつけた両親は、絶望的な床の前で泣きくずれる。そして彼女は奇跡的に助かるが、父レッドへの愛を裏切ってゆく。娘に見放されたレッドは、名声をあげはじめていた楽団を捨てて、親子三人小さな家で暮す。レッドの生きがいになっていたコルネットは、海に捨てられた。むなしい音を響かせて、海の底深く沈んでいくのだ。ドロシーが大きくなってから、彼女の家にやってきた友達は、父親レッドについて、名声がさがりはじめたのでコルネットを吹かなくなったというのだ。この屈辱的なうわさを聞いたレッドは、二十年間も吹かなかったコルネットを吹き出す。
「今はやっている歌は、昔の私のころの歌とはずいぶん違っている」といいながら。
 映画はここで終っていた。
 この映画を見ながら、私は真島先生のことが頭から離れなかった。先生が、この主人公のように、何かのきっかけから再び歌を作り出すことはないのだろうか。そして、かつて白秋の高弟として、歌壇に再び登場して、世間の人たちの注目をあつめる。先生の作る美しい歌は、沈滞しきった歌壇に新風をまきおこすだろう。そしたら、歌壇は、先生をこんなところに置くはずがない。
 映画館を出ると、町の図書館に寄った。その書架の中から、真島先生の歌を見つけるなんて、ほんとうに偶然であった。小さな歌集は、この地方の歌人たちの歌とともに先生の歌ものせていた。
  学問にうちこむこともなくなりて
      身は弱くして秋づきてなほ
 この歌の中に、私は先生のすべてをよみとったような気がした。「なにもかもすべてだめになったんです」という先生のことばがしきりに思い出された。映画の主人公のように、先生が、再び青年のように新しく出発することは、空想にすぎない。六十才を迎え、すっかり弱りきっている先生のことを考えると、さびしさが、体の奥から吹きあげてくるような気持ちだった。先生の歌には、どこか深い寂蓼感がこめられている。
 教務の前の黒板に「真島先生休講」の札がさがっていた。二年生の年度末試験が、真近にせまっていた時だった。今までよほどのことのない限り、休講になったことのない真島先生が、いったいなんのために休講にするのか。私はその時、突然そんな思いにとらわれた。
 真島先生が、その日の前日、自宅で倒れたことを知ったのは、倒れた日から三日すぎてからであった。田村先生の話によれば、朝、顔を洗おうとして、台所で倒れたということであった。病名は脳溢血、医師から絶対安静を命じられている。言語障害もあり、これから当分の間は、学校に出られないだろうということであった。
 それをきいたとき、私は激しい衝撃をうけた。もうなにより、真島先生と話すことができなくなるのではないか。二月の試験がおわれば、前期二年のT市での生活に別れをつげるのだ。試験がおわったら、ゆっくりと一日先生と歓談してお別れしたかった。しかし、それは、もう不可能なことかも知れない。いやそれまであと一月、先生だって話すことくらいできるかも知れない。試験が真近にせまってくるというのに、私は、それに熱中することができなかった。私の頭の中は、真島先生の病気のことでいっぱいであった。
 とうとう、前期二年の課程をおえ、そのT市での送別会の日になっても、先生は、私たちの前に姿をあらわさなかった。送別会のあと、先生の住宅を思いきって訪ねると、奥さんが、すっかり疲れきった顔であいさつにこられた。
「君か、さあ中にはいりなさい」という先生の声が奥からきこえるはずなのに。住宅全体が、へんに静まりかえっている。
 奥さんと少し話すと、医師が往診にやってきたのをしおに、私はにげるように先生の住宅を辞した。それが、真島先生のT市での最後のお別れであった。
 翌日、私はT市をあとにした。早朝、朝やけの空が美しかった。凍みた雪が、足でふむとかりかりとなった。もう元気な先生の姿に接することがないのではないか。ふとそんなことを思った。

 
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