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「喜左衛門家の柿」 | 第一小説集『雪残る村』

喜左衛門家の柿works

喜左衛門家の柿 1

      (一)
 栗ノ木沢部落の高台に一軒の家が建った。その場所は、道を広げるために、山の土を取ったあとで、栗ノ太沢部落のはずれで、近くに家はなかった。山は、大きな石をふくんだ固い地質であったので、地盤が固く、木の杭を打ちこもうとすれば、折れてしまうほどだった。今は、基礎をコンクートで固めるが、昔でも、こんなところは石場がちで土を固めなくてもよかったろうと人々は話し合った。
 すぐ脇を隣の部落へ通じる広い道が通っていたので、道を通る人たちも、立ちどまってこの珍しい場所に建った家をながめていた。
「おもしろいどこに、家が建ったのう」
「ほんに、おらの小さい時は、このあたりは昼でも暗いほどの杉林で、いたちが砂をひっかけるとかで、おっかなくて走って通ったところだったどものう」
 「こんげのところへ、家を建てるては、どこの衆だい」
 「あのきぜんの家だと、あそこの家も子供がいっぺいで、だいぶ広作さんも苦労したろうのう」
 「へえ、きぜんの衆がのう、思いきったことするのう」
 きぜんと聞いて人々は大げさな驚きの声をあげた。子供ばかり多くて、しかも、その子供の服といったら、尻のすりきれたのやら、ボタンがついていないのやら、満足のものをきていなかったことが印象にあった。子供のために、毎日、あくせく働く広作の姿を思い浮かべていた。人々がきぜんとよぶ家は、正しくは喜左衛門という屋号なのだが、昔からの貧乏家で、屋根がくぼみ、柱が傾いたこの家をだれも格式ばった武士の名前のような屋号で呼ばなかった。五左衛門であれば、ごぜんどんとよび、忠右衛門であれば、ちゅういどんとよび、屋号のあとには、敬称をあらわすどん(殿)がつけられるのに、喜左衛門は、昔からきぜんであった。
 この喜左衛門の新築現場は、人でこったがえしていた。手伝いに来てくれた隣近所や親戚の人ばかりでなく、喜左衛門にあまり縁のない通りすがりの人や部落の物好きな年とりたちもやってきて、高々とそびえる新築の家を見上げるのであった。新築の屋根に登ると栗ノ木川に沿った細長い栗ノ木沢部落の家並を一望のうちにながめることができた。
 この新築現場での立役者は、なんといってもことし六十歳になるこの喜左衛門家の主人、広作であった。広作はさっきからじっとしていられなかった。たいした用事もないのに、木切れを集めたり、家のまわりをほうきではいたりしていた。
「いい家ができましたのう」
とお祝いのことばをかけてくる人たちに、顔中笑いにして、
「いやあ、どうも、これもみなさまのおかげですて」
と何度くり返したであろう。そのあと、きまって、その客を新しい家の中に引き込んで、柱がからまつを材料にしていることや、食堂をかねた広い台所のことなどを説明し続けるのであった。
「ここは、漬物を置く倉庫にして、その上には薪も置けるしっかりした棚を作ろうと思って。ここは、外から出入りできるように戸をつける、雪のことを考えると、そんなに大きい戸はだめだがのう」
 柱だけが何本か立ち、けたやはりが渡されているだけで、あと何の細工もなされていない家も、広作の頭の中では、もうすっかりできあがって、生活していると同じだった。
「この家の柱はのう、他の家より柱が多くてそれだけがんじようになっているのも、地震のことをちゃんと考えてあるがんそう」
 その実、広作は、柱の数まで考えていなかったのだが、素人の設計なので、いつのまにか柱ばかに多くなって、こういう説明にかえたのである。
 家の中にはいっての説明が長びくと、上で仕事をしている大工さんが、たまりかねて大声でどなる。 「ここのとうちゃん、家の説明はおらたちが下りてからしてくんねか、頭の上になにが落ちてくるかわからんすけ」
 しかし、その声は広作の耳にはいらなかった。あたりがにぎやかだったせいもあるが、それより広作の説明が、あまりに熱心であったためである。
 新築現場には、おとなも多かったが、近所の子供たちも大勢集まってきていた。うしろの土がむき出た低い山から、ずるずるとすべり降りて、どの子の尻も赤茶けた土がべっとりついていたが、だれもそんなことを気にせず、何度ものぼってはすべりおりていた。この遊びに飽きると、まわりにころがっている木切れを、両手いっぱいに集めてきて、彼らの家を作った。彼らにとって、これほど面白く、創造性にみちた遊びはなかった。それのみならず、終れば、棟上げのキャラメルにありつけるというのだから、これほどいい遊び場があろうはずがない。広作は、彼らに対しても
「ねら、待っていてくれや、すぐキャラメルをやるすけな」
と愛きょうをふりまくことも忘れなかった。
 この現場に、広作の長男敏一と、次男の二郎もやってきていた。ふたりとも、この家から離れて、県内の各地で、教員をしていたが、この日が土曜の午後にあたっていたので、授業を終えてかけつけたのである。敏一も二郎も、喜左衛門家を離れて、すでに長い年月がたっていた。敏一は、地元の農業高校分校を出て以来、隣県の短大を出て教員となり、二郎は、中学卒業と同時に、町の高校へ通うため下宿したので、二人とも家を離れて十年近くなっていた。ともに教員となっていた。
「おめえさんが、ここの家のあんさまだかい」
と話しかける人もいた。
「おらあ、おじだせ、いろいろ世話になりましてのう」
「おっかな、おめえさんがおっさんかい。いいこてやのう、ここのとうちゃんもいい子をもって」
 部落の人たちにとっては、敏一も二郎ももう区別できなくなっていた。それは、二人が、この部落からいよいよ遠のいてゆくことを示しているといってもよかった。
 棟上げ式の準備が整って、屋根の上の急ごしらえの祭壇には、米やくだものが飾られた。棟梁さんの短い祝詞がおわり、家の四方に酒がまかれたあと、こよりに結んだ五円玉や、緒を切ったわら草履が投げられた。その時、下にいた子供のひとりが、五十円玉を捨ってその成果を喜び勇んで家へ報告した。家の人は、それを見てびっくりしていった。
「きぜんの衆は、よっぽど景気がいいがんだのう、五十円玉をばらまいたがんだ」
 いくら喜左衛門が喜びにあふれていたとて、五十円玉をまくはずはなかった。それは、屋根の上で敏一が腰をかがめた拍子に、胸ポケットのいくつかの硬貨が、下におちたのだった。

 その日の夜、喜左衛門の古い家では、棟上げを祝う宴会が、にぎやかに行なわれた。大工の棟梁から、手伝いの若い衆、親戚や近所の手伝いの人が招かれ、狭い家は、人であふれた。部屋と部屋を仕切っている障子戸ははずされ、ぐるりと並べられた膳の前に、黒くすすけた、喜左衛門の子供たちがガムをくっつけたあとの残る何本かの柱がつったっていた。朱塗りの膳の上には、漆塗りの飯椀と汁椀がのっていた。これらは、何十年に一度の振舞いのために、何軒か共同で購入された古くからの膳椀である。大きな飯椀には、なみなみと酒がつがれてあった。この地方の習慣で、まずその酒を飲み干すことから宴会が始まるのである。
 天井の低い、狭い台所は、これまた手伝いの女衆でこったがえしていた。五段につくられた膳棚に、ずらりと大きなどんぶりが並びその一つ一つには、キャベツのひたしがあり、きんぴらごぼうがあり、芋や豆腐の煮物が山のように盛られていた。そして、そばの土のかまどには、大きな鉄なべがどっかりとのって、その中に、三羽分の鶏肉がぐつぐつと煮えたぎって、木のふたをもちあげていた。飯はすでに、木のひつの中にうつしかえられて湯気をたてていた。かまどにおしげもなく投げこまれるまきは、たき口いっぱいにあかあかと燃え盛った。
 宴席に並んだどの顔も、酒がまわって火のように赤かった。広作と敏一は、そこに並んでいた。今、喜左衛門家の跡とりの敏一が、広作にかわって一同にお礼を述べたところであった。
「やっぱり、先生になるような人は、ちがうもんだのう」
「いや、りっぱなもんだて。その下の二郎さんも先生になったてがんだし、ここの広作さんも苦労したかいがあったてもんだのう」
 宴席に並んだ人たちは、ひそひそとこんなことをささやき合った。敏一は、そのあと三階節を歌うと、これまた一同感心した。その時は、台所を手伝っている人の間でも、ちょっとしたさわぎがおこった。
「敏一さんてや、あんげに声がよかったけか」
「おらも、敏一さんの歌なんか初めてだて」
「こらあ、とうちゃんに似てないぞ」
 宴席では、そのあと次々と歌が出た。広作も歌ったが、低くうなるような声は、代々の喜左衛門の地声であった。そして、棟梁の安来節が出るころ、宴会は最高潮に達した。腰の手ぬぐいで頬かむりし、ズボンを膝までまくりあげ、台所から借りたざるを片手に、宴席の真中で、大きく足をはねあげた。しなをつけた右手の手首が、へびのように動くのを見て、人々は笑いほうけた。
 宴会がおわると、何人かの人たちは、棟梁を耕運機にのせ、新しい家の図面を棒でたたきながら、にぎやかに歌いながら送っていった。これをこの地方で棟梁送りという。台所の手伝いの人たちも、細かい仕事は、明日にして帰っていった。宴席には、まだ酒の香は残っていたが、長い喜左衛門の歴史の中での大きな行事は、これですべて終った。
 喜左衛門家の広作と妻のとり、そして長男の敏一、次男の二郎、今晩この家に泊る広作の妹で遠くに嫁いでいるハルの五人は、ようやくほっとして茶をすすっていた。七人の子供も、去年末っ子の友江が中学を出て就職したのを最後に、喜左衛門家から離れていた。
「これで、この家も敏一に、嫁さんをもらって、家にはいってもらえば、あとはなんの心配もないというところだのう」
ハルがいった。
「まあそんなところだろうか、だいぶ今まで子供のことで、苦労させられたすけに」
広作は、こういって大きく息をついた。
「今になってみれば、子供が大ぜいの方が、助かっているこてい、とてもお前さんの働きだけじゃ、この家なんか建てらんねかったこっつお」
「そうだといいが、いくら子供がいても、家にはいってみるまで、わからんて」
こんどは、とりが答えた。
「どうだい敏一、こんだおめいから家へはいってもらわねばならねえんだが」
 ハルのことばに、敏一は、ちょっと口ごもるようにして
「そうだなあ、教員には、転勤があるし、そりあ、年とってからならともかく、今のうちは、こんなところへじっとしていらんねえろう」
 と答えた。
「心配いらねえて、だれかはいるて、この家も、こんだあ、ちったあよくなっていくろうて、今まで、あんまり大へんだったすけのう」
 ハルはひとりで確かめるようにいった。
「家さえ作っておけば、いくらなんでも、家の跡が絶えるなんてことはないろうと思うろものう」
 広作がいった。二郎は、だまってお茶をすすっていた。この家ができて以来、ずっと貧困に苦しめられてきた喜左衛門家の人たちも、これからは、少しずつよくなっていくかも知れないと思った。しかし、その二郎が、この家の跡を継ぐなどとは、思ってもみなかった。

 
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