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「喜左衛門家の柿」 | 第一小説集『雪残る村』

喜左衛門家の柿works

喜左衛門家の柿 2

       (二)
 とりは、同じ栗ノ木沢部落に生まれ、この家に嫁いできて、九人の子を生み、里子をひとり育てた。そのうち最初の二人は、早く死に、そのすぐあと産婆からたのまれた里子は、戦争がおわって中国からの引揚船の中で死んだ。残った七人が成人となった。栗ノ木沢部落九十戸のうち、これだけの子福者はいなかった。昭和四年、とりがこの家に嫁いで、盛んに子を生んでいたころ、この国は大きな戦争をしていた時であった。男の子は、軍国日本の宝として、国から表彰されるだろうとうわさしあった。そのとりが、まだ子供を生み終らないうちに、あえなく戦争に負けてしまった。とりが、末っ子の友江を生んだのは、昭和二十三年の夏であった。戦争がおわり、食料難だというのに、七人の子供たちは、貧欲に食べることだけを考え続けた。広作もとりも一生懸命働いたが、喜左衛門家の条件の悪い田んぼでできる三十俵近い米は、一俵の供出米もなしに、たちまち子供たちの胃袋にはいってしまった。だから、広作は、田んぼだけ作っているわけにはいかなかった。冬になると、衣服の行商をしたり、ゴムぐつの修繕をしたりした。夏と秋には、屑繭買いの仕事があり、わらやぜんまいの仲買人をしたりして、現金を手に入れようと懸命だった。
 七人の子供のうち、長女のミチは、中学をおえて、岐阜の紡績工場に働きにいった。それでも、なお、中学三年の敏一を頭に、二歳の友江まで、六人の子供たちで、家の中はいつも兄弟げんかが絶えなかった。とりは、田んぼ仕事の他に、毎日、子供たちの世話に追われた。次男の二郎が、服のボタンを五つともきれいにとってくるかと思えば、三男の満は、ズボンの縫目を、もものところまで裂いてきた。そうかと思えば、中学一年の次女ミエ子は、学校でシャツがきたないといって、先生から注意をうけたという。
 喜左衛門家では、朝が早かった。夜明けのおそい冬の午前四時すぎ、だれかひとりが起きだして、こたつの灰の中に埋まっている火種をほりおこし、それに火消し壷の中からの消し炭をつぎ足した。この火に口をつけるようにして吹くと、たちまち炭は赤く起きてきた。火が燃えるように熱くなってくると、いいあわせたように他のこどもたちも起きてきて、こたつの中は、たちまち子供たちの足でいっぱいになった。外はまだ暗く、どこの家も、冷え切った雪の夜明けに震えあがっているというのに、喜左衛門家だけに、電燈がつき、子供たちのにぎやかな話し声がしていた。子供たちは、こたつにあたって、思い思いのことをしていた。学校の勉強の予習のために敏一は、英語辞書を引いていたし、ミエ子はせっせと編み棒を動かしていた。二郎は、少年雑誌を読んでいたし、二年生の満は、ゴムで走る自動車を組み立てようとして、ボール紙をくりぬいていた。来年、学校にあがる和彦は、それをじっと見ていて、しきりと手伝いたがっていた。時々、上唇までさがってくる鼻汁を大きな音をたてて吸いこみ、三度に一度は着物の袖でぬぐった。友江ひとりが、まだふとんで眠っているほかは喜左衛門家の朝は、いつもにぎやかであった。
「和、なあ、ここにあった車いじったろう」
満が、こたつぶとんの上をしきりに手さぐりながらいった。
「おら知らんて、なにもいじらんすけ」
「そうせや、ここにおいた車がどっかにいぐなんてこてが、ねえこてやれ」
「おら知らんて、なあ、自分でどっかへやったがんだねえかい」
和彦も負けてはいない。二人の口争いが勢いづいてくると、突然、厚くて重いこたつぶとんがまくられる。こうなると、他のものもだまっていない。ペンをとばされるやら、本をバラバラにされるやらして、文句をいいはじめる。
「なにしたがん、こんげにさあぶいてがんに」
「ここにつける車がどっかへいったんだんが」
「おら、どっかへやらんてがんに、おれにかづけるん(せいにする)が、やだこて」
 まくられたふとんを直すのも忘れて、子供たちは、ひとくさり、蜂の巣をつついたような口げんかをしなければならなかった。それでも、ひとりが馬のりになって、相手の顔をめちゃくちゃにたたいたり、ひっかいたりしないだけでも、まだ軽いけんかというべきであった。
 この子供たちにまじって、つくろい物をしていたとりは、立ちあがって、かまどの火をたきつけにいった。真黒にすすけた大きな土のかまどに、きのう夜のうちにといでいた三升の米のはいった鉄釜をどっかりすえつけた。すえつけたあと、大きく息をつかなければならないほど、その釜は重かった。それなのに、この米は、一日のうちにペロリと子供たちの腹の中にはいってしまうのだ。
 低く傾いた茅屋根の煙出しから、青い煙がたちのぼった。長い間葺きかえのない屋根は、あちこちにくぼみができ、そこに枯れ草が生えていた。傾いた柱のために、戸をしめても細い三角形のすきまをつくった。外の冷たい風は、そのすきまを容赦なくつきぬけて、家の中にはいってきた。毎年のうず高い雪は壁板をずり落し、戸のあきを悪くした。そんな中でも、子供たちだけは、明かるく、元気に育っていった。
「貧乏すけのこの家は、なんにもないが、にぎやかな子供だけがとりえでのう、これだけ生んでおけば、少しは、この家のためになるのも出てくるろうし、何が楽しみってわけでなし、子供の大きくなるのだけが楽しみで、こんげの苦労しているんだこて」
とりは、いつも他の人たちに、こういって、笑っていた。貧乏人の子だくさんと昔からいっているように、そうしたことへのてれからくる笑いであった。

 
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