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「喜左衛門家の柿」 | 第一小説集『雪残る村』

喜左衛門家の柿works

喜左衛門家の柿 5

       (五)
 末っ子の友江が、中学を卒業して、姉と同じ紡績工場に就職した。広作ととりは、友江を駅まで送って、家に帰ってきた。家の中は出発前のあわただしさの中で、荷物をしばった縄や、包装に使った新聞紙が、ちらかったままだった。いつもなら、高い声で子供たちを叱りながら、しまいにはぶつぶついって自分でかたづけるとりであった。でも、もうこの家に残っている子はひとりもいないのである。この家に嫁いできて三十年余り、それは、七人の子を育てるために費された年月であった。今、その七人目の子を送って、とりと広作だけがこの家に残った。とりは、それを知った時、軽い目まいを感じて、炉のそばにぺったりと座りこんでしまった。子供たちのきずつけた柱、落書きした壁は、そのまま、教科書や参考書といったものも、ダンボールに入れたまま部屋のすみに置かれている。傾いた柱、ぎしぎしと鳴る床板、やぶれた障子、うす暗い壁に死んだようにだらりとさがっている野良着。改めて、家の中がしんとして、あらゆるものが生気を失ったように思えてきた。子供たちがいた時は、そんなものが、みんな生きて動いていた。とりは、今、心の中の大きな支えが崩れ、そこに大きな空洞がぽっかりできて、冷たい風が通ってゆくような気持ちだった。
「かあちゃん、なにぼんやりしているい、お茶でも出さねえかい」
「おや、そうだったのう、忘れてしもうて」
 広作に促されて、とりは、はっとしたように立ちあがって、茶の用意をした。
「友江も、末っ子であまやかされて育ったども、うまくやってくれるんだろうか、心配だて」
 とりがいった。
「なに、友江だとて、あの子はしんのしっかりした子だすけ、やってくれるこて、このきぜんの家の子の中で、いままで親に心配かけた子がひとりでもいたかい、そりゃ、敏一が職がなかったり、二郎が大学落ちたりしたこたあ、あったども、今じゃ二人ともちゃんとした先生になったし、満は満で、中学卒だけでも、今じゃ人の上にたって仕事しているというじゃねえかい。ミチもミエ子も、親は大して金をかけてやらねえのに、ちゃんと嫁になって、今じゃ幸せに暮している。和彦も東京の夜学でがんばっている。だれひとり、ものにならんかったちゅう子はいねかったねか」
「ほんに、小さいどきにゃ、どの子も、どの子も、いうこときかん子で、心配したが、子供てや、大きくなってみねえとわからんものだのう」
「きぜんの子に、そんげ悪い子がいるわけないこて」
 広作は、自信をもつようにいった。
「おらたちばっか、こんげのとこへ残されて、ほんとに、だれか家へはいるもんいるろか。七人の子が、みんな出てしまうと、こんだあそれが心配になってきて」
「そらあ、わからんて、いま、敏一が家にはいるというても、嫁さんもらうまでは、嫁さんの力ほど強いものはないすけねえ」
 広作は、とりの気持ちを知っていながら、つき放したようなことをいう。
「そんげのこといわんでくんねか、それでなくても、友江がいったばっかで、胸に穴があいたみていな気がしているてがんに、死ぬまで、じさとばあの二人ぐらしなんて、考えてみてもぞっとするて」
 嫁にきた当座は、姑のヨシ婆さんから、さんざんいわれた「うすのろ」「のろま」。仕事のおそいとりに対しての、ののしりのことばであった。寅次じいさまが女みたいなところがあったので、ヨシ婆さんは、もちつきのきねさえも自分で持った。そんなヨシ婆さんから見たら、とりのやることなど、はがゆくて見ていられなかったのだろう。それでも、とりは、それにじっと耐えて、九人の子を生み七人をりっぱに育てあげた。一度だって、実家に泣きごとをいって帰ったことはなかった。
「女が嫁いだ家は、女の骨を埋める家だぞ、生まれた家なんて、自分の知らない別の人があとを継ぐんだ、嫁いだ家を守ってゆくのが女の務めだぞ」
 とりは、嫁ぐときに父からこういわれてきた。とりの実家は、同じ栗ノ木沢部落であって、五百メートルも離れていない。そこに帰るのに、一年のうち一回か二回もあれば多いくらいだった。三十年間、とりがこの家に生きてきたのは、この喜左衛門を守るためといってよい。一度、家を出ていった子供たちは、ほんとうに帰ってくれるのだろうか。もし、だれも家のあとを継いでくれないとしたら、三十年間のとりの苦労は水泡に帰し、今までとりひとりがまもってきたといってもよい、先祖のまつりごとも、だれもやってくれないだろう。先祖に対して、おわびの申しようもない。とりは、それを思うと急に心細くなってきた。嫁さんの力ほど大きいものはないという広作のことばで、とりはこと婆さんのことを思い出した。嫁にそそのかされて、家を出た喜一郎、家にたったひとり残されたこと婆さんのことが、どういうわけか、今急に思い出されてきた。
「いや、その方が気楽でいいかも知らんて、今は、嫁が姑をいじめるというねか、この前もテレビがいっていたぞ、八人も子を生んでいながら、たったひとり、家に残って自殺した年よりのことを。敏一の嫁がいい嫁ならまだしも、おらたちをじゃまにしたら、俺たちがかえって、気がねしながら住ませてもらうことになるねか」
 広作は、茶をすすりながら、人ごとのようにいった。
「おらやだぜ、この家を嫁に盗まれるようなことは」
 とりは、力をこめていった。

 そのころ、喜左衛門家は、新築の話がもちあがっていた。いい出したのは敏一であった。長い年月もたって、家の建物は、土台がくさり、柱も傾いて、なにより暗すぎる。こんなところへは、友達も連れていけないし、結婚するにも困るだろう。金の方は、少しなら出せるから、新築の話をすすめてくれというのだ。この話に、二郎も賛成し、満もいくらかの金を出そうといってきた。広作も、子供たちにけしかけられるような形であったが、ようやくのり気になってきた。そのため、人手不足で、手がまわらなくなっていた田を一カ所、欲しいという人に売った。広作が仕事をもらっている角山商店から金を借りる話もまとまった。
 敏一は、新しい家は、狭い敷地の現在地を離れて、別の場所がいいといい出した。今のところは、隣と後にすぐ家があって、なにをするにも、伸びるのを押えられるような所だというのだ。そして、いっそのこと、移転と同時に、喜左衛門という屋号のもつ、古くさい、暗いイメージをぬぐいさるために、新しい屋号をつけたらどうかともいった。それにつけては、北原広作のイニシアル二字をとって北広屋というのはどうか、キタヒロヤという発音は、明るく、のびのびとした感じにきこえるともいった。しかし、これは、他の人が困るだろうといって反対した。こうして選ばれた場所が、栗ノ木沢部落はずれの高台であった。

 昭和三十九年、雪どけを待ちきれないように、喜左衛門家の新しい家の工事が、新しい場所で始まった。喜左衛門家の人達は、これが新しい家の発展を約束するものとして、期待しないものはなかった。

 
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