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「喜左衛門家の柿」 | 第一小説集『雪残る村』

喜左衛門家の柿works

喜左衛門家の柿 8

     (八)
 喜左衛門家の子供たちが小さかったころ、子供たちは強い風の吹いた晩の翌朝が楽しみであった。隣の家の柿の実拾いにゆけるからである。子供が多い喜左衛門家には、柿の木がなかったが、隣の家の後ろに大きなあま柿の木があった。子供たちは、何より柿の実をほしがった。隣の家の柿がどんなに羨ましかったことか。しかし、正面きってたのむことはできなかったのは、子供らしいプライドやてれがあったためか。風の吹いた翌朝など、だれよりも早く目をさまして、ふとんをぬけ出すと、二郎も満も暗いうちからごそごそと服を着かえはじめた。
「おい満、きのうの夜の風はすごかったぞ」
「うん、この分じゃ落ちた柿もきっといっぱいだぞ」
 大きな柿の木の下一面に敷かれたようにして落ちている紅葉した柿の葉、その中に赤い実がぼとぼとと落ちている光景を、どの子も生き生きと頭の中に浮かべることができた。
 そのとおり、柿の実は、両手に抱え切れないほど多かった。高い木から落ちてくるのだから、二つにわれているのもあれば、大きく口をあけて、果肉がとび出ているものもあった。しかし、子供たちは、そんなことにはかまわず、手の甲で、柿についた泥をこすり落すと、あけるだけの大きな口で、がぶりとかぶりついた。口の中いっぱいに広がる甘みをもった果汁、それは、なによりも子供たちの好きな果物に違いなかった。
 古い屋敷の片隅に、一本の小さい柿の木が植えられてあった。狭い屋敷のちょうど軒先にあったせいか、まだ柿の実をつけるところまで成長しなかったが、それでも、春先になると、丸いすべすべした葉をつけることだけは忘れなかった。この木は、かつて、祖父寅次が、孫たちに柿を食べさせたいがために、植えた柿の木だという。しかし、とうとう、孫たちが大きくなるまで、たいした実をつけずにしまった。ようやく、小さい実をつけるころになったとき、孫たちは大きくなって、家には残っていなかった。
 二郎が、喜左衛門家を継ぐことがきまると、どうしたわけか、この柿の実のことが思い出された。柿の木のある古い屋敷は、すでに人手にわたっていたが、柿の木はそのままだった。なんとかして、柿の木だけは頼みこんで新しい土地に移植させてもらおうと思った。その木は、新しい土地でも、春になるときっと芽をふき、祖父の願っていた甘い実を鈴なりにつけてくれるだろう。二郎は、なんとかして、この木を新しい屋敷でなんとか大きくしたいと思った。祖父の実現できなかった願いを、この俺が実現してみせる、柿の木は、代々の喜左衛門家の願いを秘めてみごとな大樹に育ってくれるであろう。
 雪降り前の小春日和、二郎は、古い屋敷の地主となった家に電話してみた。柿の太一本でいいからとらせてもらえないかというのだ。主人の了承を得ると、リヤカーにシャベルやクワ、つるはしを積みこんで、陽気に古い屋敷あとへ出かけていた。根を切りすぎると枯れる心配があるから、いくら時間をかけてもよい。どんなにまわりの穴が大きくなってもよい。細かい根をいためないように、ていねいに掘ってこよう、二郎は、自分の思いつきのよさに自ら酔っているかのようで、いつのまにか口笛が出ていた。
 古い屋敷につくと、柿の木は紅葉した葉をすっかり落として、心細く立っていた。まだこずえには、取らなかった柿の実が、赤くうれたまま、ついていた。この地主の人は、この木にあまり関心を示していないようであった。二郎は、まず道具をそろえると、囲りから、ていねいに掘っていった。そして、ようやく土がまわりに山のようになり、体中から汗が吹き出てきたころ、突然、二郎の頭上で激しい女の声がした。
「そんな大がかりなことをするんですか。そんなに大きな穴を掘ったら、土手がくずれてしまうじゃないですか。この土地は、私の家で買って、もう三年もたっているんですよ。三年もたってから、こんな勝手なことをするなんて、あまりにもひどいじゃありませんか。土地代金だって、ちゃんと支払ってあるんですよ」
 二郎がびっくりして見上げると、地主のおかみさんだった。
「さっき、御主人に電話して承知してもらったんですが」
「いくらなんでも、こんな大がかりのことなんて、私は、思ってもみませんでしたよ。これじゃあ、あんまりひどいじゃありませんか。いくら、私たちがお人好しだって、こんな泥棒みたいなことをされて、だまっていられませんよ。私たちが、この土地を買った時といったら、いるものだけは、きれいに持っていって、あとのいらないものは、山のように積んであったんですよ、ここに。そのかたづけを、みんな私たちにさせるなんて。それが先生と名のつく人のすることなんですか」
 二郎は、その激しい口調に、ただ頭をさげるばかりであった。
「すみませんですね、私も長く家にいなかったもんで、そんな事情を少しも知らなかったものですから」 「そんないいわけなんか、聞きたくありませんよ。それに、こんどは、おまえさんが家のあとつぎになるというのでしょう。自分の都合の悪い時だけ、知らなかったという。そんな無責任は、通用しませんよ」 「ほんとにすみません、お願いですが、せっかく掘りはじめたこの一本の柿だけは、掘らせていただけませんか」
「こんなことまでしているのに、今さら私がだめだといえないでしょう。でも、あとはきちんとしていて下さいよ。そして、今までかたづけてなかった、石やコンクリートも、きれいにかたづけて、ちゃんとしまつしていって下さいよ」
 こういって、おかみさんは、二郎の前から姿を消した。これだけで、二郎は、汗びっしょりになってしまった。今までの陽気さとはうってかわって、自分のしていることが泥棒のようにさえ思えてきた。しかし、今やめてしまうには、二郎は、あまりに力みすぎていた。こうなったら、なんでもかんでも、この木だけでも掘りおこさなくては、かっこうがつかなかった。
 このおかみさんは、二郎が中学三年の年に喜左衛門家のすぐ後の家へ嫁いできた。よく整った美しい顔立ちで、二郎は、台所の窓からこの美しい顔立ちの若いお嫁さんをどきどきしながら眺めたものであった。あねさんかぶりの真白い手拭い、紺ガスリのモンペのひもをきりりとしめて、庭で草をむしったり、まきを積んだりする姿が、今の二郎の脳裏に鮮かに残っていた。その後、二郎は、高校へ進学するために家を離れたし、若く美しかった嫁さんは、今、中学生を頭に、三人の子の母となった。
 柿の根は、思いがけず深かった。祖父が死ぬ前に植えた木は、地味も日当りも悪くて、土手ぎわにあったので成長は鈍かったのだが、今、まわりの土を掘りかえしてみて、改めてこの木が、この古い屋敷にしっかりと根をおろしていることを知った。それは祖父寅次の執念であり、喜左衛門家にこもる執念であるように思えた。今の二郎は、それがかえって恨めしいくらいだった。一刻も早くこの根を掘って、唾棄すべきこの古い屋敷から離れたいと思った。大きな根もあらかたクワとシャベルでブツブツ切ってしまった。今まで黒土にしっかり根を張っていた柿の根は、二郎の前に、白く痛ましい切り口を容赦なくさらけ出した。二郎の体中から、大粒の汗がボロボロとこぼれて、眼鏡を曇らせた。二郎は、それも拭こうとせずに、大きな根に挑んでいた。こんちくしょう、こんちくしょうと、ひとりでつぶやきながら、クワの柄をこじった。こんなに根を切られては、新しく植えかえても、枯れてしまうかも知れないと思いつつ、二郎は夢中でクワを打ちおろした。こんな柿の木、枯れたら枯れただけのことさ、惜しいという気はしなかった。柿の木のこずえの枝は、ギシギシとぶつかりあって、こまかい枝をおとしてきた。
 翌年春、二郎は、遠くに転勤となり、家族をつれて新しい任地へ出発した。喜左衛門家には、かつての時より、いっそう年老いた広作ととりが残された。二郎たちが家へ戻る日がはたして来るのか、だれも知らなかった。

 
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