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「竜の住む池」 | 第一小説集『雪残る村』

竜の住む池works

竜の住む池 1

 窓からは柔らかい春の陽ざしが教室いっぱいに降り注いでいた。歴史研究部の入部歓迎会はまず自己紹介から始められた。私は二年生の並んでいる一番末席の椅子に坐りながら新しい部員の一人一人を眺めていた。新入生は八人であった。その新入生の一番最後の席にまだ高校生のようなお下げの女性がいた。いままで女子部員のいなかったこのクラブにこの女性の出現は他の二年生を少なからず驚かせた。
「K高校出身で岡崎加代子と申します。高校時代は社会科クラブで他の人達と一緒に古墳を研究していました。まだなにもわかりません。どうぞよろしくお願いします」
 彼女は澄んだ声ではっきりこういって坐った。古墳の研究などということばは私には始めてであった。そのことばを会話の中でいい放ったこの岡崎加代子の出現は一瞬私をとまどわせた。
 自己紹介の後、日本史の白川助教授が促されて話し始めた。小さいことでもよいから研究してみること、その一つの研究を深めてゆくためには歴史だけでなく、民俗学や美術史の知識も必要なこと。更にすべての研究は失敗の積み重ねであることなどを話された。
 白川助教授の話が終わると、私は思い切って自分のやっている民話の採集について話した。白川助教授も私の研究には興味があるらしく、しだいに二人の話は熱を帯びてきた。私もいつのまにか他の人の存在を忘れてしまうほど、民話の型、原型、分布などを話すことに熱中していた。
 その時、私と白川助教授の中に割り込んできたのが岡崎加代子であった。
「私も民話とか伝説には大へん興味をもっています。前に私の村の附近の池の伝説を集めたこともありました。でも結局中途でやめてしまわねばならなくなってしまいました」
 加代子はこういって私達の話の中に入って来た。私は加代子のこの話に興味をもった。
「どうしてやめてしまったんですか」
 そういって私は初めて彼女と顔を合わせた。
「これは私の性質から来ているのですが、私ってひどく気が弱いんです。一人でやっていることがひどく不安なんです。だれかに頼っていかないとやっていけないのです。まして女というハンデイキャップは私をだめにしてしまうのですわ」
 こういって少し間をおいてから、加代子は私を正面から見て、
「渡辺さんはどんな風にして民話をお集めになるんですの」
 と言った。
「どんな風にといっても、別にありませんが、まず民話集のようなものを手当り次第読んで見て、民話の型にはどんなものがあるかやはり知っておいた方がいいと思います。それは老人に会った時、話を聞く糸口をはたすわけです。それから直接いろいろな老人に会って、どんなつまらぬ話も漏らさずに聞いておくのです。初めは忘れてしまったという人でも、こちらから話しかけてやれば結構いろいろな話を知っています。そうしてできるだけたくさんの老人に会って見ると、その間に民話タイプの老人は話し振りでもわかるといいます。僕などはとてもそんなところまでいっていませんが」
「偉いですわ、わたしとてもそんな勇気がありませんのよ。いつかの折連れていって下さらない」
「そうですね、そのうち御一緒しましょうか」
 私はそういった。そして山間の村へ加代子と二人で入っていく光景を思い浮かべた。まだこの高校生のように、眼をキラキラとさせている加代子と一緒に。
「岡崎さん、高校時代の古墳の研究ってどんなことをやっておられたのですか」
 その時、出席者の一人が聞いた。
「とても研究なんていわれませんわ。グループの人達とそれでもよく上越地方などを歩きまわったんです」
 そうして話題は古墳の話にうつっていった。ここでも加代子はその話題の中心になって、白川助教授とかなりつっこんだ話がなされた。こうなると私はそれをだまって聞いているより他はなかった。そして古墳がこの地方でも各地に発見されていることや、それが昔の豪族達の墓であることなどをおぼろげながら知ることができた。
 その頃、私はほんとうに民話の採集に夢中になっていた。休みになると一人で山間の小さな部落に入り込んでは老人達の語る不思議な民話に聞きほれていた。その話の中には私が小さいころ祖母から聞いた懐しい話も入っていた。榾火のとろとろと燃える冬の夜、小さい時の記憶は私の心の中にまだ残っていた。そしてそれらの民話が新しい文化の中に消えようとしていることを知っていた。私はなにかに追いかけられるような気持で、その民話を聞いてまわった。たずねていった老人は、私がまだ学生服の高校生であることを見て「若いのに感心だのう」と喜びに顔をほころばせていった。同じ若い仲間たちが全くふりむこうとしないこの民話採集に、私なりの小さな誇りのようなものを持っていた。たしかに民話にはいろいろな型があった。しかしそれらはいくつかに分類することのできるものであった。とりわけ私の興味をそそったのは、全く人の交流などなかったと思われる二つの村に、驚くほど似ている二つの民話が伝承されていることであった。それのみならず、山間の老人の語る民話は外国のそれとも共通なものを備えていることであった。それは古代の人達が小さな舟をあやつってこの東の島国日本にまで伝えたのであろうか。その古代の人たちが口から口へ伝えつつ、この山奥の小さな村の隅々まで入り込んでいったのだろうか。私はほんとうに夢中だった。岡崎加代子はその私の前に現われた。いつでも一人だった私の前に、同じ興味を持つ一人の女性が現われた。私はどうかして加代子にこの美しい世界を知らせてやりたいと思った。

 
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