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「竜の住む池」 | 第一小説集『雪残る村』

竜の住む池works

竜の住む池 5

 あのデモの列の中で、加代子は私に対してふと質問したにすぎなかったかも知れない。しかし、そのせめるような質問と軽蔑の表情とは黒いしみのように長く消えなかった。加代子の質問は私にはなんの関係もない別の世界のことなのだろうか。すさまじく動揺しているこの目の前の社会が、何も知らない私をひきずりこんで、どこかにおし流してしまうような気がした。私が決していままで社会や政治について無関心だったわけではなかった。しかし、その批判はあくまでも自分と幾許かの距離をおいてのものだった。いつのまにか私もその社会の中に投げ出されているのである。その中で私はどうかしで自分の生きる道をさがさなければならないのだ。加代子の質問は大きな波紋となって私の心に広がっていった。
 若い人たちの見むきもしない民話の世界を知っているという小さな誇りは今音をたてて崩れていくのを知った。民話は現代の社会にどんな力になっているというのだ。かって人々はその話の中に生き、そこから自らの生きる道も、生きてゆくための知恵を学んだかも知れない。しかし、少なくても今そういう意味での民話はもはや死んでいるのだ。私が追い求めているのは、そうした前時代の死骸にすぎないのではないか。少しでも若い仲間からぬき出ているつもりだった私は、それどころか、ずっとおくれて、自らの生きる道も見つけ出せなかったではないか。民話の静かな美しい世界のかわりに、私の胸の中に夜の濁流のような暗い無気味な世界が広がっていた。
 それは自治会の執行委員である小林義一のいる世界だった。私が大学に入った直後、マルクス主義についてはじめて聞かされたのが彼であった。社会から貧しい人と富める人とのいない、共産主義の社会について義一は何もわからない私にむかって熱病のように話しかけてきた。演壇の上に立つとアメリカ帝国主義と手を結んだ日本の独占資本の横暴をあばくことに終始した。連日、せっせとアジビラを配り、講義には欠席が多かった。そして試験の前になると、あちこちからノートを借りるのだ。いつもは自分たちこそ社会の進歩に尽しているのだというような誇らしいようすでいるのに、その彼が小さくなって人のノートを借りに来る。私はそうした矛盾した彼等の生き方に強い反発を感じた。
 しかし、今社会が安保条約をめぐって大きく動揺しているとき、義一は常にその運動の先頭に立っている。社会を少しでもよりよいものに、多くの貧しい人たちにも幸福な社会にするために、私はむりやり自分をその世界に投げこまねばならないと思った。
 加代子は確実に義一に近づいていった。部室では二人の会話がきかれた。
「岡崎さん、今日Mさんのところへ集まりがあるんだって」
 義一がこう加代子に話しかけながら、「アカハタ」の新聞が渡された。Mさんというのはこの地方の共産党員であることも知っていた。義一の入っている民主青年同盟に加代子が入ったことも知った。「アカハタ」を読みながら加代子は冗談とも本心ともつかぬことばで、
「岸首相なんて、殺してしまえばいいんだわ」
 とつぶやくようにいった。義一はあわててそのことばをさえぎった。私はだまってきいていた。しかし、その加代子のことばは私にとって、加代子との間にある心のへだたりを感じさせた。私と加代子との間に壁のようなものが、いつのまにか作られているのだと思った。それは、私が加代子に対して初めて感じたものだった。
 私はどうしても加代子のように、素直に義一の考え方には近づいていけなかった。共産主義の未来を信じて、そのために献身するには、あまりにも私のまわりにはいろいろなものがまつわりついていた。自分のやっている研究も捨てることはできない。それと同時に激しく為政者や独占資本家を憎むほどの気持ももてなかった。
 かって同じ若い仲間だった浩の世界にも入りこめなかった。そして又、義一の世界にも入っていけなかった。この力のない自分が、自分の信ずる道を力強く生きて行くのはいったいどうすればよいのだろう。ひたすらに今まで自分が信じてきたものが、無気味な濁流の中に押し流されてしまうような気がした。海の上に投げ出された私が、これだけはと思って必死にすがりついていたブイは私をのせたまま、沈みはじめていた。「私って、自分のやっていることが不安なのよ」といったあの加代子のことばが、今思い出されてきた。あのころ、加代子はすでに私の経験したことのない、厳しい疑問をもっていたのかもしれない。その加代子はすでに自分の道を歩きはじめている。つき放されたような孤独感におそわれた。加代子だけがいとおしかった。その加代子が私の力の及ばない違った世界に歩きはじめている、その実感だけは激しい勢いで迫ってきた。

 
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