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「雪ごもり」 | 第一小説集『雪残る村』

雪ごもりworks

雪ごもり 1

 バスの終点をおりて、けわしい雪道にさしかかったのは、一時間ほど歩いてからであった。それまでは、ブルドーザーで雪を割った土道なので歩きやすかったが、こんどはざくざくした雪道に足をとられ、なかなか前に進めなかった。沢木祐助は、背負った荷物をなおして、上着をぬいだ。汗がふき出て、体中から湯気がたっていた。道端は雪がとけ、黒い地肌からいくつかのふきのとうの芽を見つけることができた。視界が開けると、遠くに低い山脈が折り重なって、沢木の目にとびこんできた。どの山も消えのこった雪とむき出しの地肌とでだんだらもようができていた。道は、山の中腹をえぐってつけられていて、右手は深い谷に落ちこんでいれば、左手は、雪がおおいかぶさるように頂上に続いていた。時として尾根のような平らなところにも出た。そして確実に標高が高まっていることは、道がいつものぼり坂になっていることでわかった。小さな長ぐつと大きな長ぐつの足跡が、それも決して多くはなかったが、消え入りそうに山陰にまで続いていた。ずっと人にも会わず、家も見えなかった。深い静けさの中に、森も雑木林もすっかり包まれていた。沢木は、この道が彼ひとりをのこしたまま突然消えてしまうのではないかという不安に襲われた。
「花村部落は、この道でまちがいありませんね」通りがかりの人を見つけてきくと、
「ああ、この山をこえるとすぐ隣の部落ですよ」
と教えてくれた。沢木はほっとし、また勇気を出して歩きはじめた。
 しばらくして、高台に、花村部落の入口を示す二軒の茅葺屋根の見える場所にきた。沢木が歩き出してからすでに三時間がすぎようとしていた。沢木は、しばらく雪道の上にたちどまった。この地が、彼の新しい赴任地であった。まだ学校は見えなかったが、まもなく沢木の視界の中に、小さな山の学校がはいってくるはずであった。そこが彼の行く新しい赴任校なのである。二軒の家とも、屋根の線が、こんもりとやわらかな曲線を描いて、軒に続いていた。雪の上にたてた物干しざおに洗濯ものが風にゆれているのが見えた。人の声も聞こえない。ひっそりと村全体が雪の中に静まりかえっていた。彼が通ってきたあの自動車の音も、人の雑踏も、人間の作り出すあらゆる音が、この雪の中の村には、全く聞こえなかった。時折、雪の消えた林で、かん高い鳥の鳴き声が聞こえた。この地で、これからの新しい人生が開けてゆくのだ。沢木の胸の中にあついものがこみあげてきた。それは、この村の中に自分の人生がすっかり埋没してしまいそうな不安でもあり、この中で彼の人生を静かに燃焼させていこうとする深い決意といってもよかった。今まで沢木が新しい環境にはいったときに感じた不安と期待はこの時もいっそう大きく、彼の胸に迫っていた。
 花村部落にはいると、彼の歩いている道の下に、何軒もの家が見えた。雪の消えた土の上では、子供たちが、盛んにたこをあげていた。たこは、谷から吹きあげてくる風にあおられて、するすると糸をのばすと、青くすみきった空に高々とあがった。どの家も、暖かな春の陽ざしをいっぱいに受けて、部落全体が燃えるようなけだるさの中にあった。
「沢木先生でしょうか」
 その時、突然、彼に話しかける人がいた。
「はあ」
 沢木はびっくりして答えた。
「私が花村小中学校用務員の田代です。きようは、遠いところほんとうにごくろうさまです」
 陽やけした小柄な男が、背中にリュックを背負って立っていた。
「実は、もっと早く迎えに出るつもりでいたのですが、すっかりおそくなって、ほんとうに失礼いたしました」
 沢木が、バスをおりたとき、これから花村校に向かうことを電話しておいたので、田代はそのことをわびていたのだ。
 この時が沢木と田代順三のはじめての出会いであった。田代は、はじめての沢木がことばをはさむ時をゆるさないほど早口で、しゃべりつづけた。村のこと、学校のこと、田代は話に熱中すると、それといっしょに足の方も早くなった。しかし、そのわずかの間に、沢木と田代は、すっかりうちとけてしまった。沢木は次々と質問をつづけた。
 花村部落は、戸数六十余戸、海抜四百メートルの低い山の中腹に、しがみつくように家が軒を並べていた。部落の中には、平地といわれるものがなかった。夏になると、日に四往復のバスが通う県道から、部落へは急な坂道をかけおりるほどであった。山々は深いひだをいくつも作りながら、谷となっておちこんでいた。花村部落さえも、そのひだの間にすっかりかくれてしまうほどであった。田は、山ひだの間にわずかにひらけているだけで、冬の間、男たちは、女子供だけを雪に埋まる村に残して、遠く関東の暖かい地に働きに出かけてゆく。
 学校は部落で一番高いところにたっていた。体育館を真中にして、細長い一棟の校舎には、花村部落と、隣の杉沢部落の小中学生が通ってきた。小学校と中学校あわせても、その生徒数は百名を少しこえるほどの数しかもっていなかった。それに加えて、生徒数は毎年激しい勢いで減ってゆくのだった。
 沢木は、この花村小中学校と、それをとりまく村のさまざまな問題が、洪水のように急激に自分の前に現われてくるような気がした。沢木自身も雪深い村の農家の二男として生まれた。しかし、それがどうしたというのだ。目の前によこたわっている村は、さらに多くの複雑な問題をかかえて、彼の前にあらわれつつある。田代のことばに低くうなずきながら、しきりとそれを思いつづけていた。

 
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