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「雪ごもり」 | 第一小説集『雪残る村』

雪ごもりworks

雪ごもり 9

 あと長くても一日はもつまいと医者はいっていたのに、ハツが息をひきとったのは、それから三日もたった朝だった。その間、ずっと昏睡状態を続け、とうとう意識をとりもどさないまま、眼りこむように息をひきとった。三人の子どもたちに見守られながら、それでもハツは恵まれていたのかも知れない。しかし、夫や子どもたちに、何のいい残すことばもなく、こつ然と死んでいった。
 母の枕もとで、三人の子どもたちが声をしのばせて泣いているのが見えた。田代は、体中のあらゆる力が、すうーっとぬけていくのを感じた。妻の顔には、白い布がかけられ、枕もとには、ローソクがともされ、線香がつけられた。手伝いにやってきた人たちは、すでに葬儀の準備にかかっていた。田代は、しばらく、あかく燃える炉の火を放心したように見つづけた。
 田代順三が、この花村小中学校の用務員になって以来、家のことは、ほとんどハツの仕事になっていた。田代は、朝、たいてい七時には家を出る、そして帰ってくるのは、すっかり暗くなってからだった。日曜日にも、日直と宿直の交代時には、必ず学校にいって、お茶を出したり、炭をおこしたりする。そればかりか、部落の人たちが、いろいろな仕事で学校を使う時には、その相手もしなければならぬ。
 夏の間、わずかな田畑の耕作、たきぎの始末、コーリキとよぶ部落の共同作業、道普請も村告げにも、公民館のたきぎとり、共同防除といった仕事は、いっさいハツにまかせきりであった。冬になると、山ぎわにある田代の家では、上からおして来る雪が、たちまち軒を埋めつくした。毎日、ハツはけんめいにまわりの雪のけをした。朝の道ふみがたいへんであった。隣の家まで離れているので、部落の道に出るまでは、他の家の三倍の距離もの道ふみをしなければならなかった。月二回ほど離れた隣の部落までの朝の道ふみ当番がまわってきた。ちょっと雪の量が多いと、往復するのに、午前中は完全にかかってしまった。学校の雪おろし、給食当番、公民館の雪おろし、部落の一員としてしなければならない仕事は、たくさんあった。ハツは、ひとりでだまってその仕事をつづけてきた。ハツの血圧は、その無理がたたって、高かったのであろう。倒れた日も、軒下の窓をあけるために朝から外に出て雪をのけていた。途中で少し疲れたといって、家の中にはいって、お湯をつごうとしたとき倒れたという。そばに孝夫もいたし、近所の人が遊びにきていたので大さわぎになった。思えば、ハツは俺のために死んだようなものだ。田代は、つめたくなった妻の前に、手をついてわびたい気持ちだった。
 翌日、田代の妻の遺骸を焼く煙が、授業している沢木の教室からも見えた。部落からもちよった藁を塔のようにつみあげ、その真中に柩をおいて、まわりから火をつけてやくのである。灰色の雪空をおおうように、黒い煙は、高く広がって、いつまでも続いた。あれほど雪に苦しめられ、雪にうまって生きてきた田代ハツは、今その雪の中に帰ってゆくのだ。田代ハツの体は、しだいに雪のようにすき透って、いつのまにかすうーっと雪にかえってゆくのだ。田代は、今ころどんなきもちでこの煙を眺めているであろう。
「先生、あの煙、おじさんとこの奥さんが死んだんだよね」
 生徒は、沢木にむかって話しかけた。

 
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