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卒業式 | 悠久録(長岡新聞コラム)

悠久録column

卒業式

  卒業歌又一堂に会すなし
 誰の作った句か作者名は忘れてしまったが、不思議にこの俳句だけは忘れられない。3月は卒業式の季節である。小学校6年間、中学高校3年間、大学4年間の最後の卒業式の思い出は誰の胸にも残っているはずだ。この日を最後に同じ教室で机を並べた仲間と別れ、その仲間が再び一堂に集まる事はない。
 生徒にとっても卒業式は忘れがたい儀式であるが、教師にとっても、さらに忘れがたい日である。『蛍の光』の「あけてぞけさはわかれゆく」など、すべて別れを意味して物悲しい。歌詞は文語調でさらに難しい。
 『仰げば尊し』を歌った記憶はない。当時は「身を立て名を挙げやよ励めよ」なんぞの歌詞は古臭くて、時代錯誤も甚だしいと避けられたのであろう。筆者には生徒に尊ばれるほどの事はしてやれなかった。「仰げば尊し」などという言葉を聞くとへそのあたりがむずむずする。
 会うは別れのはじめという諺があるが、おんなじクラスに机を並べ、担任となったクラスの生徒との出会いもすべて偶然から始まる。あんな先生とは2度と会いたくないといわれる教師があると思えば、この偶然が人の生涯を決するほどの出会いになることもある。
 いじめられていた生徒を助けてあげられなかった悔いもある。学校をさぼってバイクにのり、ケガして入院した生徒に、親のいる前で、叱った悔い。たとい規則を破ったとはいえ、ケガして入院中の生徒にもっと優しい言葉をなぜかけてやれなかったのか。
 卒業式には悲喜こもごも様々な思い出が詰まっている。(ひこぜん)


※「悠久録」は長岡新聞の一面コラムです。

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