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凍みわたり | 悠久録(長岡新聞コラム)

悠久録column

凍みわたり

 宮沢賢治の童話に「雪渡り」というのがある。「堅雪かんこ、凍しみ雪しんこ」と四郎とかん子とは小さな雪沓をはいてキックキックキック、野原に出てゆく話である。ここで二人は小狐紺三郎に逢う話である。
 賢治のいう「雪渡り」とは越後の「凍みわたり」を指す言葉である。前日が晴れで表面の雪が解け、翌朝、放射冷却現象で気温が下がると、雪の表面が凍って、雪の上を歩けるようになる。田んぼの上でも林の中でも自由に歩けるようになる。子供の頃雪が凍みた朝は心がうきうきした。「今日はがんがん凍みだ」という。「がんがん凍み」とは凍みが硬く、飛び上がっても雪面が埋まらないほどのことをさす。登校するにもいつもの道を通らず近道して原っぱの凍った雪面を歩いて行くことができた。
 「凍みわたり」を「しんばし」とも言っていた。「しんばししょうや 庄屋のかかが寝ててあっぱこいて宿の嬶にかずけた かずけた」」などという憎まれ歌があった。旧中里村では「しみたか ホーイ しみねか ホーイ」(わらべ歳時記/野島出版)というわらべ歌があったそうだ。
 遠くの森まで凍みわたりしていって、森や林の中を探検するうきうきした心は忘れられない。
 凍み渡りができる日は、一冬に何日もない。またあんまり遠くまで行きすぎて帰りが遅くなって昼頃になると凍みが融けて足がドビ(埋まって)困った経験もある。ようやく訪れつつある春。雪に反射して、太陽の光がかがっぽい(まぶしい)。凍み渡りには、そんな喜びがあふれている。(ひこぜん)


※「悠久録」は長岡新聞の一面コラムです。

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