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新潟地震 | 悠久録(長岡新聞コラム)

悠久録column

新潟地震

 6月16日は新潟地震から53年目にあたるという。テレビの報道を見て53年前のことがよみがえってきた。ちょうど教員になって2年目、その日十日町市立水沢中学校に勤務していた。昼休みの会議中だった。道具をとるために教務室に戻ったが、激しい揺れでこのまま2階が落ちて建物の下敷きになるのではないかと恐怖心を感じた。外に出ると生徒たちが一斉に叫び声をあげてひとところに集まっていた。
 テレビを見ると新潟市の被害状況が放映されていた。津波が信濃川を逆流する様子や製油タンクの爆発、液状化現象で川岸町のビルが横倒しになった様子などが映された。
 その後何日かしてして新潟市に行きその惨状に驚いた。新潟駅前付近でビルの1階がすっぽり埋まって、歩いていると2階の中が見えたりするところもあった。大学の先生は子供が生まれたばかりだった。留年して大学にとどまっていた同僚から地震直接の様子を聞いた。
 その後地震は、昭和58年の秋田沖地震、そして平成16年の中越地震、その2年後の中越沖地震と大きな地震を体験した。中越地震はあまりにも生々しい。
 地震列島日本、過去の文政11年の三条地震の事は「瞽女口説き地震の身の上」という唄にもなっている。当時は地震の発生の原因など知る由もない。そこには人々が驕りを極め、世の中が乱れきっているので、神が怒って地震を起こさせたと唄っている。
 地震はある日突然襲ってくる。良寛は地震に遭うときは逢うがよかろうと悟りきっている。凡人は良寛のように悟りきれない。(ひこぜん)


※「悠久録」は長岡新聞の一面コラムです。

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