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水浴り(あぶり) | 悠久録(長岡新聞コラム)

悠久録column

水浴り(あぶり)

 7月も下旬になると学校は夏休みに入り、各地のプールは子どもたちの声でにぎやかになる。筆者の子どもの頃はプールなどあるはずがない。もっぱら渋海川がプールの代わりだった。大人は昼寝の時間。その間子どもたちは連れ立って青く伸びた稲田の間の畔道を川へ急いだ。
 水泳は「水浴り(あぶり)」と言った。川岸には砂浜が広がっていて、そこに服を脱いで準備体操もそこそこに、川に飛び込んだ。今のように水泳パンツもなく、履いているパンツが即水泳着だった。上級生の女の子がシャツを着たまま川に入るのが不思議だった。まだうぶな小学生にはその意味が理解できない。
 川には岸が大きく湾曲した格好の水泳場があった。その中心は深く抉られて背が立たず、小学生は両側を上級生に付き添われてその腕のように伸びた岩の間を泳ぎ切った。上級生が泳ぎの先生だった。
 泳ぎの巧い上級生は水中にもぐって、川底の石を拾ってくることを競い合った。そのために水の事故もあった。中学2年の時、小学生5年生の男の子が川の深みにはまって見えなくなった。大急ぎで集落の大人たちや学校にも連絡が行き、先生や大人がその水泳場に駆け付けた。おぼれて川底に沈んだ子の両親がおろおろしながら川へ入ろうとする姿が忘れられない。
 30分も川底に沈んでいた小学生がようやく引き上げられた。人の死を間近に見たのは初めてだった。血の気の失せたあの手足の白さがだけが目に焼き付いている。池や川に落ちて死んだ子どもの記事など見るとあの時の光景が蘇ってくる。(ひこぜん)


※「悠久録」は長岡新聞の一面コラムです。

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