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お墓事情 | 悠久録(長岡新聞コラム)

悠久録column

お墓事情

 八月はお盆のお墓参りでお墓をじっくり見る機会でもある。お墓は集落で固まって高台にまとめて建てられている。大正初めに墓寄せがあって、今までばらばらに建てられてあったお墓が一か所にまとめられた。その場所はマキと言われる同族集団ごとに建てられた。小林マキとか五十嵐マキとか集められて建っている。我が家の墓は三基あって一番新しい墓は昭和40年代父が建てたものだった。正面には「先祖代々之墓」の文字が刻まれ、脇にはその墓を建てた年月と建てた人の名前が刻まれている。
 この墓があの中越地震でことごとく倒れ、中のお骨がむき出しになったこともあった。縦長の長方形の墓は地震の揺れに弱かった。以来新しい墓は台石との間に支柱を差し込み、接着剤で倒壊を防ぐ処置がなされた。
 長い年月の間には、墓だけ残して世話する家が都会に引っ越してしまう家も出てくる。それでも引っ越しと同時に墓も移してしまう家はまだしも墓を残したままの家もあり、その墓の管理が残された人の手に任されてしまう。持ち主がわかる時は墓の管理料としていくらかお金をいただいて集落で管理するが、その子孫も行方が分からなくなると無縁墓となってしまう。わが集落ではそうした墓を一か所にまとめる作業をかつておこなった。
 お墓はこれまで親から子、子から孫へ承継されていくものと考えらえていた。都会に出た人は家の墓という意識が薄れてゆく現状でこれからの墓事情はどうなってゆくのであろうか。樹木葬・共同墓など墓事情も変わってきた。(ひこぜん)


※「悠久録」は長岡新聞の一面コラムです。

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