本文へスキップ

収穫の秋 | 悠久録(長岡新聞コラム)

悠久録column

収穫の秋

 いよいよ収穫の秋を迎えた。わが家も昭和62年まで30アールほどの田んぼを作っていた。
 稲刈りはすべて手作業である。子供の頃は稲刈りと言っても稲運びが中心で、稲刈りはさせてもらえなかった。学校も稲刈り休みと言って休みになった。父が刈った稲をまず田の畔(あぜ)まで運び、背負って稲架(はさ)まで運ぶ仕事が中心だった。生の稲束は背中に食い込んで重かった。
 稲架は田面木(たもぎ)と呼ぶ木と木の間に笠木(かさぎ)を渡し、その間に縄を十字に掛けて造った。その高さが十段以上になることもあった。生稲が稲架場に運ばれるとそれを下から投げあげるのが子供の仕事だった。父は高い稲架に梯子を掛けて上で受け取り、稲束を二つに分けて稲架に掛けた。
 その稲架に台風が直撃すると稲架ごと飛ばされたり、掛けた稲が風で田に飛び散り、その後始末が大変だった。だから台風予報が出た時には稲架に掛けた一部の稲を外して風の通り道を作った。それを「窓を開ける」と呼んでいた。
 一週間もすると稲架の稲は乾いて稲架から外される。それをリアカーの通る広い道まで背負って運ぶ。荷縄はU字形に敷いて首の所が太くなっている。そこに背負えるだけの稲を横に積み、U字部分を首にかけ、荷縄の両端を胸の前で首縄に通して、きつく曳く。この曳きが緩いと稲が締まらず、肩に崩れてしまう。
 「肩の荷を下ろす」という諺があるが、背負っていた稲を下ろした時の解放感は何ともいえぬものがあった。今はコンバインが刈り取る。収穫方法はすっかり変わった。(ひこぜん)


※「悠久録」は長岡新聞の一面コラムです。

 > 収穫の秋 >