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山口権三郎を語る | 悠久録(長岡新聞コラム)

悠久録column

山口権三郎を語る

 長岡の住人は小国の豪農山口権三郎をどれだけの人が知っているであろうか。互尊文庫の名付け親である野本互尊であれば知っている人も多かろう。その互尊の兄が権三郎である。小国郷の横沢村金沢に天保九年(1838)に生まれ、明治35年(1902)年享年65で没した。生地の金沢から「かなざの旦那様」と方言で呼ばれている。
 権三郎は若くして100年後の社会を見据える慧眼を持っていた。第1回県会議員選挙で当選、翌年議長。長岡銀行(現北越銀行)、日本石油(現JXエネルギー)、北越鉄道(現JR東日本)の設立などにかかわったほか、電力会社を興し小学校を創るなど、多方面に活躍した。
 鉄道事業を例に見よう。明治の初めようやく鉄道が全国に展開し始めた頃、権三郎は新潟県で鉄道敷設の運動を始める。県内各地の有力者を回って鉄道の必要性を説いた。県庁へ鉄道会社設立の申請をしたが、不許可になった。その後政府にも提出したが方針に合わず、再び不許可になった。
 そこで権三郎は政府の力を借りず自力で鉄道を興すことを決意。こうして北越鉄道会社を設立。直江津・新潟間に鉄道を敷設する。新潟県の鉄道は権三郎の力で大きく前進した。その後も線路の選定や駅の位置に争いが起こったが、権三郎の不屈の意気込みは変わらなかった。
 権三郎は一度決心したら決してひるまない。そのために身銭を切っても惜しまない。現代社会に必要な多種多様な産業を手掛けた。明治の長岡、ひいては新潟県の実業界に燦然たる光芒を放っている。(ひこぜん)


※「悠久録」は長岡新聞の一面コラムです。

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