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映画「風の波紋」 | 悠久録(長岡新聞コラム)

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映画「風の波紋」

 暮れになって大雪注意報がでて、どっさり雪が降った。その雪の降る前にアオーレで「小国フェスタ」のイベントがあり、参加した。午後小林茂監督の映画『風の波紋』があった。
 小林監督は、かつて映画『阿賀に生きる』の撮影を手掛け、各種の映画賞を受賞されている。チラシの中に「手間を惜しまず丹念に育てられた米や野菜が、私たちの日々の暮らしを彩るように、心をこめて作られた映画が、人生の大切な糧となることがあります」と紹介されている。
 前にもこの『風の波紋』は見ているが、見るたびに考えさせられる。里山とは何か、村とはなにか、様々な課題を鋭く問うている。舞台は十日町市旧松之山地区中立山に移り住んだ小暮さん一家が主人公になっている。積雪が4メートルを越える豪雪地帯に人々は生き続ける。
 背丈を超す屋根雪にスノーダンプを突き刺す場面もあった。そうかと思えば人が住まなくなった茅葺民家が機械でつぶされる場面もあった。そこにも人々は住み続け、機会あるたびに集まって酒を酌み交わし、カラオケを歌う。
 小林監督のあいさつの中で言った言葉が印象に残った。大木が育つには、根っこにそれを支える大きな根があり、さらにその根の先端の細い根から栄養を吸い上げているからである。その先端の根が里山に暮らす人々である。都会の大木に人々の目が向けられ、里山は捨てられる。里山で丹念に育てられた栄養が里山の人の暮らしを潤すことなく、都会に吸い上げられていく。
 里山の人や自然が荒れてゆく現状に鋭く迫る映画だった。(ひこぜん)


※「悠久録」は長岡新聞の一面コラムです。

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