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唱歌「夏は来ぬ」 | 悠久録(長岡新聞コラム)

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唱歌「夏は来ぬ」

 田植えもすっかり終わり、水を湛えた田んぼに稚苗が風に揺れる季節となった。水面には周りの緑の山々が映って、今が一番美しい田園風景である。
 ここであのよく知られた『夏は来ぬ』の歌が思い出される。作詞佐佐木信綱、作曲小山作之助である。小山作之助は新潟県上越市大潟区出身で、現地に石碑も建っているという。
 卯の花の/ 匂う垣根に/時鳥(ほととぎす) 早も来鳴きて/忍音(しのびね)もらす/ 夏は来ぬ/ さみだれの/ そそぐ山田に/早乙女が/ 裳裾(もすそ)ぬらして/玉苗(たまなえ)植うる/夏は来ぬ
 歌は知られているが、歌詞は文語体のため、意味がなかなか難しい。題の「夏は来(き)ぬ」が現代文では「ぬ」が打ち消しの「ず」として使われるので、夏が来ないという意味にとられてしまう。しかし、この「ぬ」は文語文では完了の意味で、「てしまう」という意味である。したがって「夏は来ぬ」は夏が来たという意味になる。
 「さみだれ」は五月雨と漢字で書く。旧暦の5月は今の梅雨にあたる。さみだれ・さつき・さおとめとこの時期「さ」が出てくるのは田の神信仰。日本の古くからの稲作は、稲の生育を保証する田の神信仰と密接な関係があったという。
 特に田植えには特定の水田に祭場を設けて田の神を迎え、その前で作業を行うことから、一種の神聖な祭儀であった。田植えの中心は早乙女で衣装を整え、田の神に仕えて豊作を祈る。それが「早乙女が裳裾ぬらして」の歌詞である。
 今年も温順な気候で、豊かに稲が実りますように。(ひこぜん)


※「悠久録」は長岡新聞の一面コラムです。

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