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用水と道普請 | 悠久録(長岡新聞コラム)

悠久録column

用水と道普請

 田植えが終わると、集落の用水泥上げと作業道の整備がある。道普請と呼んでいる。道普請とは、都会の人達にはなじみにくい言葉だろうが、田舎の様々な共同作業の一つ。農業用の用水路の点検と清掃そして周辺の枝打ちをする。
 いくつかの班に分かれ軽トラに乗り込む。用水路に着くと班長(年行司と呼ぶ)の指示のもと、班員8名全員が長靴で冷たい水が流れる用水路に入る。あとは黙々と泥すくいを行うだけ。雪解けの用水路には、泥や枝が多く堆積していて結構な重労働である。腰や腕が痛くなる。
 用水作業が終わった後、用水路を水が音を立てて流れるのを見るのは気持ち良いものだ。この水が田んぼに入り、水稲の源になる。川の上流をせき止めて、その取り入れ口から延々と用水路が続く。用水路は、田よりも高い位置におかないと田に水を入れることが出来ない。
 「我田引水」という言葉があるが、他人のことを考えず、自分に都合がいいように言ったり行動したりすることをいう。自分に好都合なように取りはからうことの意味になる。自分の田んぼにだけ水を引き入れる意からつくられた言葉だが、今はこの原義を理解出来る人も少ないはずである。
 他にも「水盗む」という言葉も俳句の季語になっている。同じように「水喧嘩」という語もある。日照りのときに、農民が互いに自分の田に多く水を引こうとして争うことである。過去には当地で大きな水争いがあり、警察沙汰にもなったことがある。
 こうした言葉を生む背景は、田はいかに水が大事であるかを示している。(ひこぜん)


※「悠久録」は長岡新聞の一面コラムです。

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