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人とのコミュニケーション不足 | 悠久録(長岡新聞コラム)

悠久録column

人とのコミュニケーション不足

 またまた悲惨な殺人があった。富山で交番をおそい、警官を射殺し、盗んだ拳銃で学校に向い、建設会社の警備員を射殺したというのである。殺す相手はだれでもよかったという事件が次々起こる。
 駅で切符を買う。銀行で預金を下す。スーパーで買った品物の代金を払う。すべてキイを押すだけで、相手と話さなくても用が足りる。人手不足で機械が人の代りをしてくれるようになった。便利な世の中になったと思う。わざわざ人と話さなくても用が足りる。
 将来人工頭脳が発達すればますます人の相手が不要になる。かつては電話を繋ぐには番号を告げるだけで交換手がつないでくれた。電車でたまたま隣り合った人と話が弾んで、それが縁で結婚したという話もある。
 最近「個人情報」がしきりに強調されるようになった。その情報を悪用する人がいるためである。学校でも同じクラスの生徒の住所録を作れないところもあるという。昔は何をするにも人とのコミュニケーションが基本だった。
 昭和30年代に遡れば、囲炉裏が家の中心だった。そこで家族のコミュニケーションはもちろん、近所の人達もやってきて、話の仲間になった。世の中が便利になったと喜ぶのはいいが、それに伴ってコミュニケーション不足が世の中をギスギスにし、味気ないものにしてしまっているのではなかろうか。
 スマホで指を動かし、メールで人と意思疎通を図る。その人の顔色も表情も肉声も聞こえてこない。人と人の距離がますます遠くなる。それが動機なき殺人に繋がっているのではないだろうか。(ひこぜん)


※「悠久録」は長岡新聞の一面コラムです。

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