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三つの耳 | 悠久録(長岡新聞コラム)

悠久録column

三つの耳

 恒例の長岡民話の会による「長岡民話百物語」が9月20日、21日と迫ってきた。2日間で百の昔話を語り継ぐ。
 人の話を聞くとき、ぼんやり他の事を考えていると、話し終った後、今どんな話だったか全く思い出せないことがある。
 小学校の時、先生が「鉄砲耳と笊(ざる)頭」と言われたことがあった。子ども達の聴き方を馬鹿にして使う言葉だった。人の話を右の耳から聞いても、左の耳に抜けて、何も頭に残らないというのである。笊頭も同じ意味である。
 この話を思い出して、ネットで引いてみると「三つの耳」という語が載っていた。人の話を聞いてもぼんやりしてなにも頭に残らないのが「鉄砲耳」。次が「笊耳」で主なことは覚えているが、細かいことは覚えていない。三つめが「巾着耳」(きんちゃくみみ)。これは人の話を細かいところまですべて覚えている。今は「財布耳」と呼んでいるという。巾着などという語は知らない人が増えているからだ。なる程人の話は、こういう段階があるのか。
 確かにぼんやり聴いていると、どんな話だったか思い出せない。最近はその時わかっていたのに、後で思い出せないことがある。これも加齢のせいなのだろうか。これを4つ目に「氷耳」として追加したい。
 その時は覚えているのに、日柄がたつうちに次第に忘れてゆくのである。特に人の名前が思い出せない。話していても、話題の人物名が出てこない。あの人はなんて名前だったか、もどかしいほどである。
 長岡百物語も鉄砲耳、笊耳、氷耳にならないようにしたいものだ。(ひこぜん)


※「悠久録」は長岡新聞の一面コラムです。

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