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柿渋 | 悠久録(長岡新聞コラム)

悠久録column

柿渋

 柿渋という言葉を知っている人も少なくなった。柿に甘柿と渋柿がある事は知っているだろう昔話「猿蟹合戦」で猿が木に登って下にいる蟹に向かって投げつける柿は渋柿だったに違いない。
 この渋柿から取った液が柿渋である。我が家はかつて屋号「渋屋」と呼ばれ、柿渋を作って売っていた。まだ熟す前の青柿をもぐのがちょうど八月終わりころだった。柿の木一本いくらで買い取ってこの柿をもぐための特殊な鎌を使って落とした。もぎ終わると南京袋には入れて背負い、リアカーの通るところまで運んだ。これを餅つきのようにして臼と杵で細かく砕いて水を入れ袋に入れて、絞って桶に移し発酵させた。
 何日かすると濃い茶色の渋が出来上がる。これを新築の家の新しく張った床に塗り、和紙に塗って渋紙にした。渋団扇も和紙の上に渋を塗った。ビニールの敷物が出る前には、この渋紙を畳の上に敷いて、汚れを防いだ。魚取り用の投網に塗ると丈夫になった。これを中風の薬として飲んだ人もあった。
 小国は「紙漉きの里」。楮の靭皮を細かく砕いて、漉き舟の中で漉く。その一つが出来上がった紙にコンニャクを塗って強度を保つ紙衣(かみこ)といわれるものがある。お水取りで知られる奈良東大寺の僧たちがこの紙衣を着ていることで知られる。この紙衣は洗濯が利かない。それに対してこの渋を和紙で作った紙糸に塗ると丈夫な諸紙布(もろじふ)といわれる布ができる。これは洗濯が可能である。和紙と柿渋は切り離せない。柿渋の用途は今も健在である。(ひこぜん)


※「悠久録」は長岡新聞の一面コラムです。

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