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仏教界の母性となった越後 | 悠久録(長岡新聞コラム)

悠久録column

仏教界の母性となった越後

 長岡関原で元新潟県議会議員、僧侶で多数の評論を執筆している太田修氏から『越後の佛性』と題した著作を贈っていただいた。氏はその中で「越後は宗教の、日本的仏性の宝庫と確信できると思う」と書いている。その中で「親鸞」「日蓮」「白隠」「良寛」「井上円了」「北一輝」「芭蕉」「牧口常三郎」「庭野日敬」の10人について論じている。
 越後・佐渡はその昔親鸞や日蓮といった仏教界の指導者の流刑の地であった。しかし、そういう人たちがこの越後の地で、その宗教性を深めることになった。親鸞には恵信尼という越後の有力な伴侶がその生き方を支えた。良寛もまた、父の名代として盗賊の処刑場に立ち会い、出家剃髪する。近代にはいると、真宗大谷派出身の井上円了、創価学会の牧口常三郎、立正佼成会の庭野日敬、そして良寛のような異端の仏教信者を生んだ。
 牧口常三郎は柏崎の荒浜に生まれ、東京で教員生活を送りながら日蓮に傾倒する。政府の思想統制に反発し、逮捕されても節を変えず、昭和19年刑務所で獄死した。同じ法華経を奉じながら創価学会と立場を異にする立正佼成会を開いたのが、十日町市の山間の菅沼出身の庭野日敬。16歳で職を求めて上京。薪炭屋に奉公し信仰に生きる道を求め、現在の立正佼成会の開祖となった。
 越後にこうした仏教界の偉人が生まれるには、越後の風土が深く関係していたと太田氏は述べる。雪深く、貧しい農村部の人々の生き方を支えてきたのがこうした仏教の指導者だった。越後の風土は仏教界の母性となった。(ひこぜん)


※「悠久録」は長岡新聞の一面コラムです。

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