本文へスキップ

よりよい最期を迎える | 悠久録(長岡新聞コラム)

悠久録column

よりよい最期を迎える

 今は廃校になってしまった筆者の卒業した上小国村立結城野小学校の体育館には「互尊独尊」の大きな額がかかっていた。
 揮毫した野本互尊は本名野本恭八郎、小国の旧家山口家の出身で、山口権三郎の弟であることを後年知った。嘉永(かえい)5年10月24日生まれ。第69国立銀行取締役、新潟県会議員などをつとめた。互尊即独尊を説き、昭和11年12月4日死去。85歳。
 国民の祝日である「文化の日」がなぜ11月3日なのか、そのいわれを知っている人は何人いるだろうか。文化の日の淵源を辿れば明治節に辿りつく。この日はかつて明治天皇の誕生日だった。野本は明治天皇崩御後であるが、遺徳を偲んで国の祝日にすべきと主張。昭和2年実現した。明治節は昭和23年廃止されたが、11月3日というのは、昭和21年に日本国憲法が公布された日でもある。このことから、この11月3日を「文化の日」と呼んでいる。だから文化の日の基は野本互尊が作ったといえる。
 他にも野本互尊は大正4年、大正天皇の即位を記念して「大正記念互尊文庫」(現在の市立図書館)を作り、その宣伝機関として互尊社を創設、全財産を長岡市に寄付した。その考えを広めるために機関誌「互尊」を毎月発行した。去年は互尊文庫創立百年だったが、それを記念した様々な催しが行われた。
 野本互尊は加えて「富士山」を国立公園に指定する運動も起こして、それが現在の世界遺産に繋がっている。野本互尊は実業家であるとともに社会教育家であった。実に幅の広い人物と言える。(ひこぜん)


※「悠久録」は長岡新聞の一面コラムです。

 > よりよい最期を迎える >