本文へスキップ

佐渡の木食佛 | 悠久録(長岡新聞コラム)

悠久録column

佐渡の木食佛

 全国木喰研究会(広井忠男会長)は佐渡の木喰仏を訪ねるツアーを6月に実施する。佐渡での木喰は口偏のない「木食」で署名しているのでここでは「木食」を用いる。
 廻国途中の木食が佐渡に渡ったのは天明9年(1781)、64歳の時。以後4年間佐渡に滞在して天明9年5月、佐渡を去った。その時の歌が「四としへてきゃう立そむる佐渡島をいつ来て見るやのりのともし火」である(4年過ぎて今日後にする佐渡の島を今度は何時来られるのだろうか。仏の教えを見るために)。
 大佐渡山脈の檀特山(だんとくさん)山頂にあった「釈迦堂」の再建と島内各地に仏像約40体、揮亳110点を遺した。なかでも北平沢に九品堂(くほんどう)を建立し、九品仏9体、自刻像など14体を安置した。木食は、仏像を彫った後に自刻像を彫って残すが、最初が佐渡九品堂の自刻像だといわれている。
 その背銘には「天明五巳三月十五日 出生甲斐国願主…」の文字が書かれていたという。九品堂の仏像は昭和17年の平沢大火で焼失してしまったが、焼失前に木喰研究家で民藝運動を起こした思想家柳宗悦が撮影した写真が残っている。優しく穏やかな笑顔は見る人を引き付ける。微笑はこのあたりから始まったとみてよい。
 火事の時駆け付けた村人が火のついた仏像を堂のそばの池に投げ入れた。昭和22年九品堂は再建されたが焼け残った仏像が縁の下に忘れられていた。36年ぶりに取り出された焼け仏像10体を村人たちは祀っている。
 その焼け仏に会えるのを楽しみにしている。(ひこぜん)


※「悠久録」は長岡新聞の一面コラムです。

 > 佐渡の木食佛 >